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中東旅行日記


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現在地はどこなの?

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サナアの新市街
2006年5月29日(月)
シーシャ

 サナアもちょっと飽きてきたので、イエメン北部にツアーで行くことにした。
 基本的に、イエメン北部はツアーじゃないと行けない。 北部は武装部族の力が強い地域で、非常に保守的な為、よそ者が入り込むことを好まないようだ。
 敵が攻め難いように、険しい断崖絶壁の山の一番上に町を作り、イエメン全域がオスマン帝国の支配下に置かれた時代も、山の部族(略して山族)だけは独立を保っていたと言う。
 今でも、サウジアラビアとの国境近くのサーダ(Sa'da)という町は陸路移動は無理、飛行機で行くのも危険と言われている。 どうやら山族と政府軍の間でドンパチやってるらしい。 サーダはツアーでも行くことも無理だ。

 知り合った日本人2人と一緒に、ツアーに申し込んだ。 人数が多い方が割安になる。

 夕方から、シーシャを吸いに行く。 シーシャとは水タバコのこと。 中東では、このシーシャをよく見かける。
 バーバルヤマン(イエメン門)の前のビルの2階のテラスに座り、シーシャをプカ〜。 リンゴ味で、普通の巻きタバコよりも軽い吸い口だ。

 写真は、サナアの新市街。

旅の出費(2人分)
シャハラ・ツアー: 50USドル
食費: 240イエメン・リアル
外食代: 2,025イエメン・リアル
水タバコ: 200イエメン・リアル
ジュース代: 110イエメン・リアル
ダッバーブ代: 80イエメン・リアル
お土産代: 2,700イエメン・リアル
インターネット: 220イエメン・リアル
宿代(6泊分): 7,200イエメン・リアル
合計: 50USD+12,775YR(約13,220円)

護衛の警察
2006年5月30日(火)
イエメン北部ツアー

 朝8時にランドクルーザーに乗り込む。
 まず向かった所は、サナアから50kmほど走った場所にあるアムラン(Amran)という町。
 他の多くのイエメンの町と同様に、ここも新市街と旧市街に分かれている。 城壁に囲まれた旧市街に入っていくと、土・レンガ壁の家々が建っている。
 昔は交通の要所だったらしいアムランも、今は寂れた感じのする町だ。

 旧市街を歩いていると、子供たちが寄って来て「スーラ、スーラ!」の大合唱が始まる。
 「スーラ」とは“写真”のこと。 イエメンでは子供たちが外国人を見ると、「ハロー」的に「スーラ」を“とりあえず言ってくる”。
 こちらは、子供たちの写真が撮れるので、最初はパチパチ撮っていたが、撮っても撮っても限がない。 撮っていると、そこら辺で遊んでいる子供たちがワッと集まって来て、アッという間に撮影会になってしまう。

 アムランでの写真撮影会を終え、移動する。
 アムランを出てからは、機関銃を荷台に取り付けたトラックに乗り、カラシニコフを肩から提げた警察官8人が護衛に付いた(写真)。 『誰と戦うの?』的装備だ。
 サナアを出ると、普通に道を歩いている人が、カラシニコフを肩から提げたおっさんである率が急激に高まる。 別に軍人ではない、普通のおっさん。 そう、イエメンは銃社会だ。 “男”は体の正面にジャンビーラ(小刀)をさし、手にはカラシニコフ(小銃)を持つというのが、伝統的(?)なスタイルらしい。
 ツアーで乗ったランドクルーザーも、座席の下とかポケットから出てくる出てくる、カラシニコフ(小銃)、トカレフ(拳銃)。 運ちゃんも笑顔で「カラシニコフ!」と見せてくるが、おいっ!俺に銃口向けんな!!

 護衛に先導されて、シャハラ(Shahara)という村を目指す。
 シャハラは、標高3,000mを超える山の山頂にある。 下から見上げると、文字通り断崖絶壁の上に家々が見える。
 “難攻不落の村”というのは、見れば分かる。 オスマン帝国全盛期にイエメン全域も支配下に置かれたが、シャハラ村は激しい抵抗をして、ついに支配下に置かれなかったそうだ。 攻め込んだオスマン帝国軍も、シャハラの激しい抵抗に多くの犠牲者を出して、シャハラ一帯は『トルコ人の墓』と呼ばれていたらしい。

 それだけの自然の要塞だから、シャハラに行くまでが大変。 今では車でも行けるシャハラだが、道路が舗装されているわけではない。
 山の麓にある村アル・カバイ(Al Qabai)からシャハラを見上げると、「本当にあそこに行けるの?」と思ってしまう。 このアル・カバイで車を乗り換える。 ツアーの車の立ち入りを嫌がるのだろうか? 地元のランドクルーザーに乗り換え、護衛の警察も1人を除いてアル・カバイで俺らの明日の下山を待つ。

 乗り換えたランドクルーザーの荷台に乗り込み、急斜面の山道を登って行く。 斜面の角度で、荷台の荷物が全部後ろに転がってきた。 しかも、大きな岩がゴロゴロしているか、石畳の道かで、乗り心地は最悪。
 石畳の道と聞くと整備されている感があるが、とんでもない! 石でスリップして全然良くなーい! しかも道の片側は崖で、落ちたら間違いなく死ぬ。
 この斜面を2時間半掛けて登る。 かなりしんどかった・・・ こんな所、攻め込む気にもならん。

 ようやく頂上に辿り着くと、下から見上げるのと違って、意外に広々している。
 シャハラの最大の見所は、10イエメン・リアル硬貨のデザインにもなっている17世紀に造られた『石造りの橋』。 この橋は深さ300mもある谷底の上に掛かっている。
 有名なので、かなり期待してしまうポイントだが、あまり期待はしない方がいい。 ま、普通に橋だ。

 崖っぷちに立って周りの山々を見渡すと、隣りの山の上にも集落が見える。 またそんな変な所に家を建てちゃってさー、何がしたいわけ? シャハラで標高3,000mを超えているわけだから、隣りの集落だって標高3,000m以上あるわけ。 しかも山と山の間は谷だから、簡単に遊びに行けないじゃん。
 絶対にシャハラから会社に出勤とかしたくないね。

 でも、こんな所にも電気と水道は通っている。 水道はトヨタの援助で整備されたそうだ。
 ・・・トヨタはイエメンの山奥で何がしたいわけ?
 世界征服を狙ってるの?

旅の出費(2人分)
ゼロ

イエメン・シャハラの景色
2006年5月31日(水)
カラシニコフとイラク人

 早朝に再び『石造りの橋』を見に行った。
 一通り見終わると、随行して来た警官が「俺のカラシニコフを撃ってみるか?」と聞いてきた。
 えー、マジで?! っていうか、ちょーだい?
 通称『カラシニコフ』は旧ソ連で開発された小銃で、正式名称はAK-47。 共産圏でライセンス生産されていて、世界で一番出回っており、『小さな大量虐殺兵器』とも呼ばれている。

 おねだりにも関わらず、さすがに“俺の物”にはならなかったが、撃たせてもらった。 手に取るとずっしり重く、構えた時に安定感がある。
 反動がどんなものなのか?分からなかったので、しゃがんで構え、岩山に向かって標準を合わせる。 引き金を引いた瞬間、岩山の岩が煙を上げて弾けた。 速ぇー!!
 あと、思ったより銃声が凄くて耳がキーンとなった。 反動はそれほどでもない。
 重いのが気になるけど、バックパックに入らないことはないなぁ〜。 そろそろ俺もカラシニコフ・デビュー?

 俺がカラシニコフを撃ってる写真はコチラ。 写真の上にカーソルを合わせると、写真が変わります。

 シャハラの町から歩いて山を降りる(写真)。 急な岩肌の斜面を歩くと足もパンパンだ。 標高が3,000mある所を歩くわけだから、息も荒くなる。
 山の麓のアル・カバイから、護衛の警察たちも合流。

 続いて、スーラ(Thula)という村に行く。 ここも山のてっぺんにある。 好きだねー、山の上。
 山の上に住んでいると、敵を発見しやすい。 さらに自然の岩山が村自体を要塞化しているし、前方は段々畑と城壁になっているので敵が攻め難い。 ここもオスマン帝国がイエメンを支配していた時代に独立を保っていたそうだ。
 でもね、今の時代、誰が攻めて来るのよ? 生活するのに不便じゃん。

 ちなみに、今まで訪れたことのあるイエメンの町の中でスーラが一番うざかった。 お土産物屋の客引き(オーナー)が片言の日本語で絡んでくる。

 スーラの後は、シバーム(Shibam)とコーカバン(Kawkaban)という双子村に行く。
 もう、この頃になると景色にも飽きてくる。 確かに凄いんだろうけど、昨日からずーっと険しい山の上にある村々を見ているから、違いが分からなくなってくる。 それに、シャハラのある山が一番険しかったから、それ以外はどうしても見劣りしてしまう。

 シバームとコーカバンには、同じ部族が住んでいる。 ただ他と違うのは、山の上と下に別れて住んでいること。 山の下に位置するシバーム(標高2,500m)は、農業と商業を担当し、コーカバン(標高2,850m)は、軍事を担当する。 だから〜、誰が攻めて来るの?
 昔は、シバームが襲われそうになると、コーカバンの住人は岩山を駆け下りて外敵と戦ったそうだ。 でも、今は別れて住んでたら不便じゃん。

 サナアまでの帰りに、あられのドシャ降りになった。 寒〜い!! BB弾大のあられがビシバシ車の屋根を打ち付ける。
 灼熱地獄をイメージするアラビア半島でも、地域によって気候も違う。 ちなみに、オマーンを抜けて来た旅行者によると、オマーンの気温は日中52度だったそうだ。

 サナアに戻って、夜に他の日本人旅行者5人とフルーツジュース屋さんでおしゃべりをしていると、1人のおっさんが話し掛けて来た。
 聞くと、イラク人だそうだ。 彼に、いきなり「日本が軍服を着た兵士をイラクに派兵していることをどう思う?」と聞かれた。
 メロン・ジュースをちゅーちゅー飲んで楽しく話していたのに、思いっきり面倒な話題を持って来たなー。
 色々なやり取りをしていて気が付いたのだが、情報の欠如は多くの軋轢を生む。 どーせ、細かい話をしていても、感情的になっているおっさんに通じる可能性も低いので、適当に流しておいた。
 すると、最後におっさんはCD-Rを一枚くれた。 「私はアメリカに4人の子供、妻を殺された」と言いながら。 「このCDには私の歴史が入っている」。

 ちょっとコンピューター・ウィルスが怖かったが、宿に戻って再生してみた。
 全然おっさんと関係ないじゃん・・・・ バリバリの反米宣伝フィルム・・・ なにやら演説調のナレーションがアラビア語で全く意味不明だったが、映像から察するに『アメリカを倒そう』的ノリ。 アル・カイーダの軍事訓練の映像もあったから、もしかするとアル・カイーダの洗脳ビデオかも知れん。
 でもねー、作りがしょぼい!! もうちょっと上手に作らないと、仲間集まらないよ?!
 アメリカ兵がイラク人を殺すシーンとかあって、反米感情を高めようとする意図の映像があるんだけど、間違いなくやらせ映像。 戦闘中にあんなアングルでカメラを回せる訳がない。

 感情的な面を考慮しても、情報の質を計れない人間は可哀相だ。

旅の出費(2人分)
ツアー代(残金): 40USドル
タバコ: 130イエメン・リアル
外食代: 360イエメン・リアル
ジュース代: 290イエメン・リアル
インターネット: 80イエメン・リアル
合計: 40USD+860YR(約5,100円)

イエメン・シャハラ
2006年6月1日(木)
シバの女王

 来週中にイエメンを出ないと、ビザが切れる。
 面倒臭いが移動する時期が来たようだ。 実は、月曜日にシャハラ・ツアーを申し込んだ際に、サナアからサユーン行きのバス・チケットの代理購入も頼んでおいた。
 サユーンには、ソコトラ島からサナアに帰って来る時に寄っているので二度目になってしまうが、オマーン(国の名前ね)行きのバスはサユーンから出ているので、再び行かざるを得ない。

 バス・チケットが取れたかどうか確認に行くと、「買えなかった」という返事が待っていた。
 警察からの旅行許可証は取れたが、バス会社がチケットを売ってくれないと言う。 外国人がチケットを買いに行くよりは、イエメン人に頼んだ方が買える確率が高まるかな?と思っていたのだが、あまり関係ないようだ。
 まず、前回サユーンからサナアまで戻って来た時に乗ったYETCOというバス会社は、『外国人が乗っていると、検問で時間を食うから嫌だ』という理由でチケット販売拒否。 その他のバス会社も、『満席』などという嘘っぽい理由で拒否。
 本当にイエメンは移動が大変だ・・・

 飛行機で飛ぶしかないのか?と困っていると、ツアー会社のおっちゃんが「四駆をチャーターしてサユーンまで行く方法もある」と言って来た。
 シャハラ・ツアーの時と同じように、武装警察が先導してサユーンまで行くと言う。 さらに、途中にあるマーリブ(Marib)という町にも寄れるらしい。
 このマーリブという町も北部同様に武装部族の力が強い地域にあり、政府の力が及んでいないのが現状。 個人でのマーリブ観光は、不可能な状態が続いている。

 マーリブは、シバ王国の首都だった所だ。 シバが有名なのは、聖書に登場するから。 聖書には、“シバの女王”が、ソロモン王に謁見する為に古代イスラエルを訪れた逸話が書かれている。
 アラビア半島南部を1世紀以上にわたって治めたシバ王国は、ヨーロッパと中国・インド・アフリカとの貿易中継拠点として繁栄して、巨万の富を蓄えていたらしい。

 ちなみに、エチオピアを建国した王は、ソロモン王とシバの女王の子供だという神話がエチオピアにはある。 謁見したついでに子供まで作っていたのかぁー・・・
 世の中、乱れとる!!

 行くことすら難しいマーリブに行けると知って、四駆チャーターが魅力的に思えて来た。 オマーンを目指す旅行者は俺らの他に3人いるので、5人で割り勘にすれば1人当たりの出費も48USドルに抑えられる。
 バスなら8USドルで行ける区間だが、普通は行けないマーリブにも寄れるし、バス・チケットが買えない現状を考えれば、陸路で移動する唯一の手段は『四駆チャーター』しか残されていない感じだ。
 他の5人も、「マーリブに行けるなら・・・」と異論はない。

 明日、もう一度バス会社巡りをしてチケット購入を挑戦してみて、やはり駄目だったら四駆をチャーターしてサナアを出ることにした。

 写真の、崖の上にポツポツと見えるのがシャハラ村。

旅の出費(2人分)
食費: 120イエメン・リアル
絵葉書: 90イエメン・リアル
タバコ: 130イエメン・リアル
外食代: 390イエメン・リアル
ジュース代: 60イエメン・リアル
インターネット: 90イエメン・リアル
合計: 880イエメン・リアル(約510円)

シャハラの『石造りの橋』
2006年6月2日(金)
安息日

 今日は安息日。 イスラム社会では、木曜日が日本で言う土曜日、金曜日が日本で言う日曜日になる。
 銀行や会社などは閉まるが、レストランなどは開いている。
 サユーン行きのバス・チケットを購入する為に、バス会社巡りをしようと思ったが、やはりどのバス会社も閉まっていた。 ここは潔く諦めて、サユーンまでは四駆チャーターで行くことにしよう。

 写真は、シャハラにある『石造りの橋』を下から見上げて撮った。

旅の出費(2人分)
外食代: 460イエメン・リアル
ジュース代: 250イエメン・リアル
インターネット: 440イエメン・リアル
合計: 1,150イエメン・リアル(約670円)

アムランの旧市街
2006年6月3日(土)
トカレフ

 今日は、トカレフ(拳銃)を分解して、何分で組み立てられるか練習。 と言っても、別にMyトカレフを買ったわけではない。
 北部ツアーを手配してもらったおっさんの家で、おっさん所有のトカレフでお遊び。 トカレフを分解したのは生まれて初めてだが、ものすごーく作りがシンプル。 こんなにも簡単な作りなんだーと驚いた。 こんなもんで人間を殺せてしまう道具なんだから恐ろしいよな。
 普通にカートを食いながらおしゃべりしている輪の真ん中に、さり気なくトカレフが置いてある絵はすごくシュールだ。

 おっさんに、ビン・ラディンについても意見を聞いてみた。 一般のイスラム教徒は彼のことをどう思っているのか?興味があった。
 まず、『今、ビン・ラディンはどこにいると思うか?』聞いてみると、面白い答えが返ってきた。
 おっさんは「アメリカだ」と言う。 その理由が中々興味深い。
 アル・カイーダなどのテロ組織によって、『イスラム教は危険だ』という風潮が世界で出来たり、9・11のワールド・トレード・センターに旅客機が突っ込んだ時には、複数のイスラエル系企業が事件の前にワールド・トレード・センターを転居していたり(真相不明、おっさん曰く)、突っ込んだ旅客機に乗っていた乗客の80%はアラブ系だったりという事を考えると、これらは全てビン・ラディンを使ったアメリカ(さらに裏にはイスラエルがいる)の自作自演だと言う。 だから、実はアメリカとビン・ラディンは仲間だと言う。
 世界の裏舞台がどうなっているか、一般人には分からないので何とも言えないが、中東のイスラム教徒が「アメリカは嫌い」、「でもビン・ラディンのやり方も好きではない」という考えの狭間の中で、そのような結論に至ったのかなぁーと興味深かった。

 写真は、アムランの旧市街で子供たちに囲まれる俺。 パソコンで黒装束たちを拡大してみたら、カメラを睨んでいる目が見えた・・・ ちなみに、ハード・イスラム国家では女性の写真撮影はまず不可能。

旅の出費(2人分)
食費: 740イエメン・リアル
ハガキ: 30イエメン・リアル
切手代: 390イエメン・リアル
外食代: 520イエメン・リアル
お土産: 650イエメン・リアル
タバコ: 100イエメン・リアル
ジュース代: 200イエメン・リアル
インターネット: 120イエメン・リアル
宿代(4泊分): 4,800イエメン・リアル
四駆チャーター(サナア→サユーン): 96USドル
合計: 96USD+7,550YR(約15,450円)

砂漠とラクダ
2006年6月4日(日)
砂漠とシバ王国

 早朝8時にランドクルーザーに乗り込む。
 トータルで3週間いたが、気候最高だし、まったり生活を送れたサナアともついにお別れだ。 これからしばらくは灼熱地獄を移動三昧になるので、テンションは低い。
 クソ暑いと噂のオマーンは素通りして、買い物天国UAEのドバイで“お馬鹿ンス”。 UAEもクソ暑さは半端じゃないらしいけど。 あるか不明だけど、とにかくビールを飲みたい!!

 サナア⇔サユーン間の道路は警察・軍の検問だらけだった。 前回、ソコトラ島からの帰りに同じルートを夜行バスに乗って来たが、寝ていて気が付かなかったが、かなりの数だ。
 何が面倒臭いか?と言うと、毎回毎回検問で同じやり取りが繰り返される。 ホント、馬鹿。 警察で発行している『旅行許可証』の意味がないじゃん。
 まず、運ちゃんが“旅行許可証”のコピーを警察か兵士に渡す。 ついでに運ちゃんは「ヤーバーニー、ヤーバーニー(日本人、日本人)」と俺らを説明。 車の中を覗き込んでヤーバーニーたちを確認した警察は、『道路脇に車を止めろ』と命令。 ここから10〜15分は掛かる。 1ヶ所で時間が掛かるのであれば我慢出来るが、検問ごとにこれが繰り返される。 しかも砂漠の極悪な暑さの中でだ。 ちなみに、乗ったランドクルーザーはエアコンが効かない。
 道路脇に車を止めた後、ヤーバーニーの出番はない。 ひたすら「あっつ〜い!」と言いながらボケーっとするだけだ。 別に車の中をチェックされるわけでもない。
 では何をしているか?と言うと、警察(または兵士)と運ちゃんの間で、『ここを通りたかったら金払え』という交渉タイム。 それって、エチオピアのムルシ族の村に行く途中で槍とか鉈を持って『ここを通りたかったら金払え』と言ってきた族と一緒じゃないか!とお思いの方もいらっしゃるかと思うが、その通り。 槍を持っているか、カラシニコフを持っているか、の違いだけ。
 一応、警察側にも至極真っ当な言い分はある。 「この先は危険だから、俺たちを連れて行け」と言うわけだ。 これ、もちろん有料サービス。 運ちゃんにしたら、別に武装部族にヤーバーニーが拉致られようと関係のない話だから、ただ検問を通過させてくれるだけでいい。
 こんな感じで、検問ごとに毎回交渉している。 結局、毎回機関銃を荷台に取り付けたトラックと、カラシニコフを肩から提げた警察や兵士に先導されて次の検問まで向かうことになる。
 この交渉にはヤーバーニーは一切タッチしないので、機関銃と一緒に記念撮影したり、カラシニコフを撃たせて貰ったり、全くの他人事。
 ちなみに、青地の迷彩服を着ているのが警察、茶色い砂漠仕様の迷彩服を来ているのが軍だ。

 サナアから214km東に行った所にある、マーリブ(Ma'rib)に寄る。 シバ王国の首都だった町だ。
 早速、観光を開始。 まずは紀元前1000年頃に建てられた『オールド・マーリブ』に行く。 ここは1962年の内戦で爆撃されて、今はボロッボロの崩れた家並みが残るタダの廃墟になっている。 まぁ、普通に「へー」。
 続いて『月神殿』。 イエメンの神話によると、シバの女王が建てたらしいが、今はしょぼーい柱が5本立っているだけの廃墟。 ここは鉄製の柵で囲まれており、景観を損ねているのだが、近所の商店の親父が「200イエメン・リアル!」と、柵のカギをチャラチャラさせながら近づいて来る。 5人もいながら、誰一人『月神殿』には興味も示さず、護衛で付いて来た警察の機関銃と一緒に記念撮影するのに夢中。 商店の親父はつまらなそう。
 最後は『太陽神殿』。 ここは車で止まることすらしなかった。 車で走り過ぎながら「あー、あそこが太陽神殿ね」って感じでお腹一杯。 だって、本当にタダの“跡地”。 神殿の“し”の字すらイメージ出来ないくらい、何も残っていない。
 マーリブ郊外には、『グレート・マーリブ・ダム』というダムがある。 なんでも、紀元前8世紀に3万人から5万人の人を使って1000年掛けて砂漠のど真ん中に造ったダムらしい。
 だから?って感じで、『グレート・マーリブ・ダム』観光は却下。

 マーリブに1時間弱立ち寄ったものの、サユーンには12時間ほどで着いた。
 首都サナアからマーリブまでの道はゴツゴツした岩山の間を抜け、マーリブからサユーンまでの道はひたすら砂漠の一本道だ。
 野良(多分)ラクダがクソ暑い砂漠のど真ん中でボケーっとしゃがみ込んでいる。 何考えてるんだろう? 『むっちゃくちゃ暑いなー・・・ でも動きたくねーな・・・』とか?
 写真は砂漠を散歩中の野良ラクダ。 この後、落ちていた段ボールを食っていた。

旅の出費(2人分)
外食代: 1,190イエメン・リアル
ジュース代: 360イエメン・リアル
バクシーシ: 200イエメン・リアル
合計: 1,750イエメン・リアル(約1,020円)





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