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アジア横断シルクロード旅日記


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現在地はどこなの?

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2007年10月1日(月)
国慶節

 早いもので、もう10月。
 今日から中国では国慶節が始まり、1週間の休みが続くゴールデンウィークになる。
 日本でもゴールデンウィークともなれば、帰省ラッシュで大混雑するように、中国でも国慶節の時期には人民の大移動が始まる。

 ところが、普通にホータン市内をブラブラしているだけでは、普通の日と国慶節の違いが分からない。

 ヨーロッパにいた時、クリスマスにレストランというレストランが全て閉まってしまい、24時間営業のマクドナルドまで閉まっていたせいで、お腹をペコペコにさせて宿で引きこもったことがあった。
 国慶節の中国でも同じことが起らないとは限らないぞ!と、前日にスーパーで食料を買ったのだが、そんな必要はなかった。
 レストランもスーパーも開いていました。

 ただ、銀行は7日間にわたって連休のようで、両替が出来ない。
 カシュガルで少し多めに両替しておいて助かった!

 写真は、団結広場に建っている毛沢東とウイグル人の像。

旅の出費
タバコ: 3元
食費: 0.7元
外食代: 19元
インターネット: 4元
宿代(1泊分): 50元
合計: 76.7元(約1,210円)

ロバ・タクシー in ホータン
2007年10月2日(火)
漢字が読めない中国人

 そろそろ移動しようかな?と思って、明後日発のニヤ(尼雅)行きのバス・チケットを買いに行った。

 メインのバスターミナルとは別の、東方面へのバスが発着する東郊バスターミナルに行きたかったのだが、どの市バスに乗れば行けるのか分からず、とりあえず止まったバスに『東郊客運站』と書いた紙を見せて聞いてみた。
 バスの運転手、車掌はウイグル人なのだが、紙を見せてもキョトンとする。
 どうやら漢字が読めないようだ。

 何台かのバスで聞いてみたが、全員が「分からない」というジェスチャーをする。
 仕方がないので、遠そうだったが歩いて行った。
 途中で、この道で合っているのか?不安になり、比較的身なりの小奇麗なウイグル人に同じ紙を見せて聞いてみた。 が、やはり読めなかった。
 「ウイグル人ではダメだ」と、漢人を探す。

 中々見付からなかったので、ホテルに入って行ってレセプションで聞いてみた。
 ようやく、俺が行きたかった場所を理解してくれる人に会い、バスターミナルの場所を教えてもらった。
 バスターミナルの前を走っている市バスの路線を確認したら、最初に紙を見せて聞いたバスと同じ路線が走っていた。
 ちっ!

 ようやく辿り着いたバスターミナルだったが、なぜか明後日のニヤ行きバスのチケットが買えなかった。
 何度も確認したのだが、当日にしか売ってくれないらしい。 距離的にも当日券しかないわけはないと思うのだが、国慶節が関係しているのだろうか?

 写真は、ホータン市内を走るロバ・タクシー。
 乗ってみたいが、行き先を中国語で言えないので、どこに連れて行かれるか分からず、未だに試していない。

旅の出費
外食代: 6元
市バス代: 0.5元
宿代(2泊分): 100元
合計: 106.5元(約1,680円)

ホータン市内の中心部
2007年10月3日(水)
思ひ出

 カシュガルで、走っているバイクのほとんどが電動スクーターだったことに驚いたが、ふと気が付いてみればホータンにはほとんど走っていない・・・
 ホータンでは、125ccのカブ型のスズキ製バイクが圧倒的に多い。

 中国に入って3週目になるが、だいぶ慣れてきた感じがする。 中国語は話せないが、16才で中国に行った時に覚えた数字を未だに覚えていて助かっている。 あと「トイレはどこですか?」という中国語も知っているが、今回はまだ一度も使っていない。
 せっかくだから、無意味に町行く人に聞いてみようかな?

 PDFデータで、16才に中国を旅行した時と、17才に2回目の中国を旅行した時の日記のようなものを持っているのだが、かなり久しぶりに読み返してみた。
 まず為替レートだが、1995年の時は1元=12円で計算していた。 1996年の時は1元=14円。 そして、今年2007年は1元=15.78元で11年前とほとんど変わっていないことに驚いた。
 続いて宿代だが、1995年に北京で『京華飯店』という所に泊まっているが、当時はドミトリーで28元。 一番安かったのは山東省威海の『渤海飯店』という、外国人が泊まれない宿で27.5元(シングル)だった。
 1996年に上海の『浦江飯店』という所に泊まっているが、当時はドミトリーで55元。 一番安かったのは江蘇省南京の『紫金苑酒家』で、38.5元(ツインの1人分)だった。
 今、北京や上海に行ったらかなり値上がりしていることが予想されるが、新疆ウイグル自治区を旅行している分には11〜12年前の中国沿岸部と同じような予算で旅行できるわけだ。

 それにしても、昔の俺は今と違って現地人と交流していたようだ。
 ノートいっぱいに中国人と筆談した跡が残っている。

 『日本→全部的服』
 ん? 何が言いたかったのだろう、俺。
 『男18 女16 父母許可必要』
 結婚の話題でもしていたようだ。
 『明天 我看 太陽』
 どうやら、次の日に太陽が見たかったようだ。
 『銀行強盗 多』
 どんな話題だ?
 『日本 水 消毒』
 だから日本の水は飲めるんじゃ、ボケっ!

 一方、中国人の書き込みを見ると・・・
 『我祝○(ニーハオのニー)一路順風』
 「あなたが一路順風でありますように」ってことだろ。
 『明年来我家』
 「来年、うちに来いよ」ってことだろ。
 『青蛙』
 あ、あおカエル?!

 俺より中国人の方がまともな事を書いている・・・

 あと、なぜかスラッシュメタル・バンド『メタリカ』を中国語で何と書くのか?ノートにメモっていた俺。
 『重金属』だそうです!
 確かにメタルな感じは出ているけど・・・

 最後に、2回目の中国旅行の時に書いていた日記の一番最後のくだりはこうなっていた。
 「なんか長かった旅もあっけなく終わってしまった。 香港はまた行きたいが、中国はもういい。」
 また中国に来てんじゃん、俺・・・

 写真は、ホータン市内の中心部『北京西路』。

旅の出費
タバコ: 3元
食費: 3.7元
外食代: 13元
インターネット: 4元
合計: 23.7元(約370円)

ニヤのメイン・ストリート
2007年10月4日(木)
オアシス国家・精絶国

 何気にホータンには5泊6日も滞在してしまった。
 今日は移動日で、ホータンから300km東に向かったニヤ(尼雅)という町に行く。

 ホータンを出ると、バスは砂漠の中を走り出した。
 風が強く、砂が舞って視界が悪い。 一番酷かった時で、視界10〜15mくらいしかなかったのではないだろうか。 当然、バスも徐行運転したが、何となく車内が埃っぽかった。

 約4時間で砂漠の町ニヤ(尼雅)に到着。
 町の中も砂が舞って視界が非常に悪くて驚いた。
 ニヤは思った以上に田舎だった。 不釣合いに立派な道路が通っているものの、「えー、これだけ?!」ってくらい何にもない町だ(写真)。
 立派な道路に、“あと何秒で青信号に変わるのか”お知らせカウンター付き信号があったが、車がほとんど走っていないから虚しい。
 バイクがチラホラ、ロバがパカパカ。

 バス・ターミナルに隣接するホテル『交通賓館』に入ってみると、「ここは廃墟か?!」ってくらい埃っぽい。 レセプションのカウンターの上を指でなぞってみると、カウンターの本来の色が黒いことに気が付いた。
 一応、営業しているようだったが、あまりに埃っぽいので値段も聞かずに出た。
 とんでもない所に来てしまったようだ。

 他の宿にチェックインしてから町を散策してみたが、30分で一通りは見れてしまった。
 何にもない町だが、この活気のなさが気に入った。 それに小さな町の割に漢人が多く、中華レストランも10軒近くはあってウイグル料理には興味のない俺にはピッタリで、食には不自由しなそうだ。
 ど田舎のくせに、インターネットカフェも2軒あったし、『足浴場』という“成人男性向け”浴場も2軒もあった。

 夜、早めに夕食を取ろうと思い、7時に行ったらどこもほぼ閉まりかけでかなり焦った。
 3軒目でようやく飯にありつけ、『炒菜伴面』を頂きました。

旅の出費
外食代: 15元
市バス代: 0.5元
インターネット: 3元
バス代(→尼雅): 43.5元
合計: 62元(約980円)

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2007年10月5日(金)
死にかけ

 郊外に、『ニヤ遺跡』がある。
 かつて精絶国というオアシス国家があったが、それの廃墟で現在は砂漠の中にある。
 値段次第だが行って見ても良いかな?と思って、旅行代理店に行ってみることにした。
 他の旅行者からもらった『地球の歩き方』に載っている地図を頼りにニヤ旅遊局を探してみるが見付からない。
 ホテルに戻って聞いてみると、苦笑いされながら「そんなものない」と言われた。
 ・・・潰れた?

 仕方がない、『ニヤ文物館』にでも行こう。
 ここはホータン地区第2の規模を持つ博物館らしく、ニヤ遺跡や小公羊古城から出土した500点以上の文化財を展示しているそうだ。
 本来、博物館というものに全く興味がない俺だが、何を血迷ったか行ってみた。 何せ、ホテルから徒歩1分の場所にあるからな。

 気が付くと博物館を通り過ぎてしまったようだ。
 「あれ、博物館なんてあったかな?」と、戻りながら注意してみると、ありました。
 ん? 門にチェーンで鍵がかかっている上に、草ボーボー。
 ・・・潰れた?

 やべー、死にかけじゃない、この町!
 ガイドブックに載っているニヤの地図も、異様に簡単だ。 横線を2本書いて、真ん中に縦線を1本書いただけの3本線で出来上がり。
 実際に来てみると、ホントにそれだけの町だった。

 かつては『精絶国』という国があった町ニヤ。 精力絶倫みたいな勢いだけはありそうな名前の国だったくせに、今やインポテンツ並みに精力尽き果てた感が印象的なシルクロードの町である。

 ヒマなので、部屋でTVを観ていた。
 毎日のように、旧日本軍と戦う人民解放軍のドラマをやっている。 これが中々面白い。
 当たり前だが、日本人将校は全員中国人俳優がやっている。 ところが、全員が日本語を話すのだ。
 でも、その日本語が少し変だったりする。 偉い将校が「ボクはね・・・」とか自分のことを言っていたりするが、軍人が自分のことを“ボク”とは言わんだろ。 あと、滑舌が悪いから何を言っているのか聞き取り難い。
 あと、小銃を撃ちながら突撃して来た日本軍に対し、勇ましく対抗する人民!
 武器は・・・拳銃と竹槍だぁー! 貧弱だぞっ!
 何故か大砲を撃ってくる日本軍の弾はあまり当たらず、投げた竹槍の命中率がものすごく高い。 竹槍が日本兵に刺さる刺さる!
 1万m以上の高高度で飛来してくるB-29を、竹槍を持って待ち受けていた日本の国防婦人会レベルの机上の精神論である。
 観ていて微笑ましいドラマであった。

 そして、その裏番組で浜崎あゆみと五木ひろしが歌っていたのが気になった。

 写真は、ニヤで一番人通りが多かった“繁華街”。

旅の出費
外食代: 8元
インターネット: 3元
合計: 11元(約170円)

毛沢東語録の塔 in ニヤ
2007年10月6日(土)
オアシス国家・且末国

 何もないニヤで2泊3日もいれば充分だろ?
 再び移動して、さらに東にある町チャルチャン(且末)を目指す。

 ガイドブックによると、ニヤ⇔チャルチャン間は大規模な道路工事中のため、タクラマカン砂漠の中を移動することになり、300kmの道のりを8時間かかると書いてあった。
 そりゃ大変だ。

 ニヤのバス・ターミナルで4時間も待って、午後3時にチャルチャン行きのバスに乗り込む。
 今日分かったことはニヤが始発のチャルチャン行きバスはなく、干田という町から来るバスに途中乗車するしか行く方法がないみたいだ。

 座席間の隙間が30cm前後しかないパキスタン航空並みの不快適バスで、座席の背もたれもほぼ直角で背筋がシャキーンとなる。
 これで8時間は辛いな・・・と思っていたが、どうやら道路工事は終了していたようで、快適な舗装道路を飛ばしてチャルチャンには約5時間で着いた。
 さすがに出発から3時間を過ぎた辺りからイライラしてきて、前の席の背もたれをガンガン蹴っていたが、5時間程度で着いて良かった。

 チャルチャン(且末)は、前漢の時代に『且末国』と『小宛国』があり、後漢の時代には『桜蘭国』の支配下にあったオアシス都市だ。
 夕方に到着したので町は見れていないが、ニヤよりは大きそうな感じだ。
 ガイドブック『地球の歩き方』、『旅行人』ともに高めのホテル情報しか載っていなかったので心配していたのだが、1泊20元(約315円)で泊まれる所を見付けて、ちょっとハッピー。

 写真は、ニヤの中心に建っていた毛沢東の横顔付きスローガン塔。

旅の出費
タバコ: 3元
外食代: 16元
宿代(2泊分): 120元
宿代(1泊分): 20元
バス代(→且末): 56元
合計: 215元(約3,390円)

チャルチャンの屋内バザール
2007年10月7日(日)
北風小僧

 朝、洗濯をした。
 ついでだったので、持っている長袖類を全て洗ってやった。 すると、当然のことながら半袖しか着れるものがない。
 Tシャツ1枚でチャルチャン市内を散策する。
 周囲の現地人たちを見回してみれば、皆がジャケットやセーターを着込んでいるが、俺だけは元気にTシャツ。
 ぐははは、皆が「寒さなんてへっちゃら!」的な格好をしている俺を振り返るぜ!
 お前らとは元気さの次元が違うんだよ!

 うぅー・・・狂牛病に罹った子牛みたいにプルプルしちゃうくらい寒い!!

 俺は可哀相な子に見られてるのか?
 これは死んじゃうかも知れん!と、冬服を買いそうになってしまったが、思い直して買うのを止めた。
 都会で買った方が値段、センスともに、タクラマカン砂漠の南端の片田舎で買うよりも良いはずだ。
 高層ビルが建ち並んでいるという噂のウルムチで冬服を揃えると以前から決めていたので、ウルムチに辿り着くまでは今の装備で頑張ろう。
 次回からは、長袖は交互に洗濯しよう。

 チャルチャン(且末)だが、ニヤよりは大きな町だ。
 と言っても、ニヤ同様に市内には何も見所がない。 そこで値段次第だが、郊外にある遺跡『且末故城』、『地主荘園』、『ザグンルク古墓群』を見に行ってみても良いかな?と思った俺は、チャルチャン旅遊公司という旅行代理店に行って情報を集めることにした。
 旅行代理店が入っているらしいホテルに行き、レセプションで「チャルチャン旅遊公司はどこですか?」と聞いてみると、「メイヨウ(ない)」と一言。
 ははぁー、移転したな・・・
 「じゃぁ、どこにありますか?」と聞くと、「チャルチャンにはない」と言われた。
 ・・・潰れた?
 外国人が個人で訪れるのを禁止しているくせに、旅行代理店がないってどーいうこと?!

 確かにカシュガルを出て以来、誰一人旅行者には会っていない。
 こんな所にはあまり旅行者は来ないのかな?

 2時間くらい町をプルプルしながらプラプラしたが、「寒くて、もう我慢できん!」と、午後からは宿に引きこもった。
 早く乾かねぇーかな、俺の長袖・・・

旅の出費
タバコ: 3元
外食代: 20元
インターネット: 2元
宿代(1泊分): 20元
バス代(→若羌): 45元
合計: 90元(約1,420円)





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