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アジア横断シルクロード旅日記


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現在地はどこなの?

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カシュガルの旧市街
2007年9月24日(月)
行動開始

 カラクリ湖に行こうと思っている。
 カシュガルからパキスタンに向かうカラコルム・ハイウェイの途中にある湖で、万年雪を頂いたムズタグ・アタ峰(7,546m)とゴングル峰(7,719m)などの巨峰の麓にあり、湖自体も標高3,600mの高原にある。
 写真で見たら綺麗だった。

 ガイドブックで見ると、カシュガルからたった200kmの距離なのに、『バスで約7時間かかる』と書いてある。 確かに、カシュガルから上り坂になってカラクリ湖を過ぎた辺りの峠で標高4,000mあるから、標高1,300mのカシュガルとの高低差を考えれば2,700m登らないといけない。
 行くの面倒臭いかな? 上は寒いかな? などと考えると挫けそうになったので、マイナス要素は一切考えないことにした。

 まずは中国国際旅行社(CITS)に行って、『1日カラクリ湖ツアー』の値段を聞いてみる。
 そしたら、290元(約4,580円)もした・・・ けっこうなお値段ですなぁー。 この辺りだけ旅行して回るのであれば、全然出しても構わない金額だが、今後のことを考えると財布の紐は引き締めねばなるまい。 シルクロード上にある見所の多くは、『公共交通機関なし、タクシーをチャーターするのみ』の所ばかりなので、意外と金が掛かるのだ。
 次いで普通の旅行代理店に行ってみた。 タクシーをチャーターする形になるらしく、1台500元(約7,890円)。 1〜4人まで乗れるのだが、悲しいかな・・・参加者は俺1人。 1人で全負担はきつい。

 そこで、バス・ターミナルに行ってみました。
 すると、カシュガル発タシュクルガン行きのバスが途中でカラクリ湖に寄るらしく、カラクリ湖まで保険代込みでたったの38.5元(約610円)!
 ちなみに、終点タシュクルガンで出国手続きをすれば、その先フンジュラーブ峠(4,730m)を越えてパキスタンになる。 行かねーけどな。
 問題は湖からカシュガルまでの帰りだ。 帰りのバスについて窓口のおばさんに聞いてみると、「ない」と一言で片付けられた。 大体予想はしていたが、あっさりと希望を打ち砕く素早い反応ありがとう。

 少し迷ったが、結局チケットを購入。
 湖からカシュガルまで200km程度だし、帰りは下り坂だから何とかなるんじゃねぇーか?という、安心できる要素が全くない理由で自分を納得せしめた。
 多分、ヒッチハイクで帰ってこれるだろうし、いざとなったら人民のチャリンコをパクって帰ってくればいいでしょう。 下り坂だから、こがなくて済んで楽そうだし。

 心配なのは、9月末の標高3,600mがどれだけ寒いか?ということ。 7月末に標高3,000mのソンキョル湖に行って、死ぬほど寒かったことを考えれば極寒と考えても良さそうだ。
 そして俺の冬装備は6月にイランで処分してしまい、現在は完全夏装備!
 Tシャツなら5枚持ってるぞー!

 もう深く考えたところで遅い。
 チケットを買っちゃったからね。
 スーパーに行って、餓死しないように食料を買い込んで明日の出発に備える。

 やっぱ寒いんだろうなぁー・・・

旅の出費
文房具: 7元
食費: 11.4元
外食代: 19元
市バス代: 2元
インターネット: 6元
バス代(→カラクリ湖): 38.5元
合計: 83.9元(約1,320円)

キルギス人の村 in カラクリ湖
2007年9月25日(火)
山奥で悟りを開く

 朝は寒い・・・
 パキスタンとの国境の町タシュクルガン行きのバスに乗り込む。 乗客は半分以上が外人で、ちょっとビックリ。
 バスは、10時(ウイグル時間で8時)にカシュガルを出発。 カラクリ湖には4時間後の14時(ウイグル時間で12時)に到着。

 カラクリ湖に到着してみると・・・
 あれ、こんなもん?!と、若干拍子抜けした。 ここに来るまでの車窓が良かっただけに、「わざわざ来た甲斐があったのか?」疑問に思ってしまったほどだ。
 景色は悪くはないのだが、特別に良いわけでもない。 しかも、景色以上に雰囲気がダメだ。
 ここら辺はキルギス人が住んでいるのだが、彼らがスーパーうざい。 俺が写真を撮ろうと思って湖の畔を歩いているだけで、絶えず数人が俺をストーキングしながら「らくだ?」とか「馬乗り?」とか日本語で話しかけてくるのだ。 キルギス人の帽子『カルパック』も売りにやってくる。

 しつこいので、ビシッと言ってやった。
 「俺、らくだ乗ったことあるもん、ピラミッドで」
 「馬にも乗ったことあるもん、北海道で。 ポニーだけど・・・」
 「俺がキルギスタンにどれだけいたと思ってんの?」

 正直、中国のキルギス人には失望した。
 中国のキルギス人は、中国人の悪いところとキルギス人の悪いところを足して“1”で割ったようなもんだ。 彼らは「中国人、良くない」などと言っていたが、俺から言わせれば中国人よりもお前らの方が遥かにうざい。

 カラクリ湖なんてしょーもないし、さっさとカシュガルに帰ろうかな?と思ったが、やはりバスはない。 ヒッチハイクでも良かったのだが、寒いからずーっと立って待っているのも嫌だった。 チャリンコなど1台も走ってねーし。
 キルギス人のしつこい奴が、ずーっと「俺のユルタに泊まっていかないか?」と言っていたので、何となく見に行ってみることにした。
 彼のバイクに乗って、キルギス人の村に行ってみた。 ムズタグ・アタ峰(7,546m)の麓で、ヤクやヤギの放牧をやっていた(写真)。
 ところが家は全てレンガ製で、ユルタ(可動式テント住居)ではない。 遊牧民族の末裔は遊牧生活を捨てたようだ。
 キルギスで(本物の)ユルタに泊まっているし、彼らの生活も少しは見ているから興味はなかったのだが、何となく泊まってみることにした。
 泊まるつもりが全くなかったので、お泊りセットも準備していなかったし、カシュガルの宿も今晩分を払ってしまったが、まぁ諦めよう。

 泊まるとなると、今度は「バイクに乗ってムズタグ・アタ峰を見に行かないか?」と新たな誘いがかかる。
 興味ねーよ、そんなもん!と、シカトしていたのだが、あまりに暇だったので“行ってみようかな?”とちょっと弱気になってきた。
 もしカシュガルからツアーに参加して来ていたら290元かかっていたわけだし、トータルでそれより安く済むのであれば行ってみても良いと思い、行くことにした。

 日記の写真で万年雪を頂いてそびえ立っているのがムズタグ・アタ峰だが、その手前に見える茶色い山の上まで行くと言う。
 俺の服装では無理なんじゃないか?と言うと、奥からコートを持ってきてくれた。 びっくりするくらいダサダサだったが、凍死するよりはマシである。 コートを着込むと、今度は「荷物はこれに入れろ」と、これまたびっくりするくらいだっせーリュックを持って来た。 肩に掛けるヒモの部分が異様に長い上に、調節不可能。 そのため、背負うとリュックが腰の辺りまで落ちて来る。
 この格好で日本に帰っても友達100人できるかな?

 バイクにまたがり、ムズタグ・アタ峰へ向かう。
 『不毛の大地』という言葉がぴったりの、岩だらけの山々の谷間を縫うように走る。 最初は四駆が走ったような跡が残っていたが、そのうち獣道のような細い1本線になった。
 カーブして茶色い山を越えると、さらに目の前には別の茶色い山が立ちはだかっている。
 どのくらいの時間を走っただろうか? 幾つ目か忘れるほど何度も同じような茶色い山を越えたその瞬間、真っ白いムズタグ・アタ峰が眼前にそびえ立っていた。
 その瞬間、鳥肌が立った。 そのあまりの圧倒的な存在感に涙さえ出そうになった。

 バイクを降り、ムズタグ・アタ峰の一番手前の山の上まで歩いてみた。
 1時間ほど歩いただろうか? 簡単に登れそうなのに、なかなか頂上に着かない。 多分、この地点でも標高は4,000〜4,500mはあると思われ、息がすぐに上がってしまう。 この時のために日頃からタバコを吸って肺を鍛えていたのに、なんたる様だ。
 結局、途中で諦めてもう少し低い山の頂上まで登った。 そこで座り込んで息を整える。 最初はハァハァいっていた自分の息も大分落ち着いてくると、そこには無音の世界が待っていた。
 何も聞こえない。
 見渡すと180度、全てが万年雪を頂いた山々だった。 右手の眼前、本当に目の前にはムズタグ・アタ峰(7,546m)があり、そこからパノラマで6,000〜7,000m級の地図に名前すら乗っていない山々が続き、左手の奥には標高7,719mのゴングル峰がそびえている。
 下の方では、乗って来たバイクがゴマ粒のように辛うじて見えるほどになっていた。
 この時、「来て良かったな」と思った。

 17mmの広角レンズにしても(近づき過ぎて)入りきらないほどのパノラマを見ながら、「人間って小せぇーな・・・」と青春していると、なぜか俺はさらなる上の境地に行ける気がしてきた。
 今までの俺は小さ過ぎた・・・イコール、人生において何もやっていない『ゼロ』に等しい。 だから、現時点の『無』の状態から未来に『有』を作り出せば、今までよりも間違いなく上に行けないわけがない。
 晴れ晴れしい気持ちになって山を下りた。

旅の出費
外食代: 4元
バイク: 70元
タクシー: 5元
カラクリ湖・宿代(1泊分): 30元
カシュガル・宿代(1泊分): 30元
合計: 139元(約2,190円)

ムズタグ・アタ峰(7,546m)
2007年9月26日(水)
どれだけ心が広くなったか検証

 写真が、目の前で見たムズタグ・アタ峰(7,546m)。
 晴れ晴れしい気持ちになったのは山の上だけであり、下山するとキルギス人が待っていた。
 彼らと俺は相性が合わない。 彼らがどう思っているか?は知らんが、少なくとも俺はそう思っている。

 まず、俺の指輪に興味津々。 「くれ」と言う。
 はぁー?! なぜお前ごときに、確か5万円くらいで買った指輪をくれてやらなくてはならないのだ?
 とも思ったが、山の上で「人間って小せぇーな」と青春したことを思い出し、『人間、心は広く』と自分自身に念じて・・・
 「いやじゃ!」
 はっきり言ってやりました。

 続いては、俺のキャップと自分のキャップを「交換しよう」と言ってきた。
 小汚い埃だらけの彼のキャップは、猫科肉食動物が勇ましく飛びつかんとするデザインになっており、横に格好良く“Pume”と書かれていた。
 あー、プーメねぇ! 俺も昔は好きでジャージ持ってたし、久しぶりのプーメも良いかも、交換しよっか?
 と、でも言うと思ってんのか?! この共産主義国家に魂まで吸い取られたキルギス民族の風上にも置けぬ生ける屍ぐわぁぁぁー!!
 「いやじゃ!」
 はっきり言ってやりました。

 次は「日本円持ってるんだ」と来た。
 そんなもん、日本で出会った中国人に「俺、中国元持ってるよ」と言うのと一緒で、その中国人にしたらそんな話題なんて死ぬほどどうでもいいのと同様、俺にとってもウルトラどうでもいい話題である。
 『あっそう』
 「でも銀行で両替してくれないんだ」
 『へー』
 「だから、換えてくれないか?」
 ふー・・・目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をして、『人間、心は広く』と念じ直し・・・
 「いやじゃ、ボケっ!」
 はっきり言ってやりました。

 その他、客人(俺のこと)目掛けてホウキで床を掃除するせいで客人の顔に埃がビシバシ当たるとか、間違って地面に落としたパンをそのまま客人の皿に載せるとか、お茶にヤクの乳を入れられたせいで速攻お腹の調子が悪くなったりとか、夕食がナン(パンの一種)&丸パン&揚げパンのパン三昧だけだったとか、とにかく一つ一つが気に障って『早くカシュガルに帰りてぇー』とずっと思ってました。

 ちなみに俺を家に連れて行った息子と、バイクで山に連れて行った息子はどうでもいいとして、その70才になるお父さんは見た目も態度も本物のキルギス人だった。
 いつもカルパック(キルギス帽)を被っており、礼儀も正しい。 彼と言葉が通じさえしたら、俺は彼と鬼ごっこでもして遊んでいたことでしょう。 息子たちなんかはシカトして・・・

 カラクリ湖はもう充分だったので、カシュガルに帰ることにした。
 カラコルム・ハイウェイ沿いに立って、寒さに手が悴みながらもカシュガル行きのバスを待っていると、何台かのピックアップ・トラックが俺の前で止まり「カシュガルいがねーが?」みたいなことを言っている。
 聞いてみると、40元(約630円)。 バスとほとんど変わらないんだね。 バスよりも速そうだったし、乗客が俺しかいなかったこともあり、ピックアップで帰ることにした。

 事故って死ぬんじゃないか?って思うほど、対向車線にはみ出しながら飛ばした甲斐あって、カラクリ湖からカシュガルまで3時間弱で辿り着いた。

 俺が乗ったピックアップ・トラックの運転手も、やはりキルギス人だった。
 「日本円持ってるんだ」
 お、お前もか・・・ つい今朝方、同じ会話をした記憶があるが、全く同じ会話を車中でもした。
 『あっそう』
 「でも銀行で両替してくれないんだ」
 『へー』
 「だから、換えてくれないか?」

 財布から取り出して見せてきたのは千円札。
 「これは中国元で幾らの価値だ?」
 『んー、(電卓ピコピコ)50元だな・・・』
 まぁ、本当は64元くらいするのだが、ここは心の広い俺のことだ、良しとしよう。
 「じゃぁ、それで換えてくれ」
 『んー、折り目のところが少し切れてるから、いやじゃ。 でも、40元だったら換えてやる』
 「OK!」
 こうして、630円分の人民元で1,000円の日本円を手に入れた。

旅の出費
雑費: 0.9元
市バス: 1元
外食代: 10元
インターネット: 4元
宿代(1泊分): 30元
ピックアップ(→カシュガル): 40元
合計: 85.9元(約1,360円)

カラクリ湖
2007年9月27日(木)
ぉことゎり

 本当は今日にもタクラマカン砂漠に向かって移動するはずだったのだが、寝坊してしまった。
 だから明日の移動に予定を変更。

 そして、またDVDを二枚買ってしまった。
 行くと買ってしまうから、今後はなるべくスーパーに近づかないようにしよう。
 今日買ったのは、『時をかける少女』と『ゲド戦記』。

 『ゲド戦記』のパッケージには“ジズリガいっぽい”と書かれていました。
 宮崎吾郎って誰?

 『時をかける少女』は、名前は聞いたことあるが観たことはない。
 どんなアニメなのでしょう?
 パッケージの裏に書いてる説明を読んでみましょう。
 「高校2年生の野真琴(声 仲里依)はある夏の土曜日の室で不思な体をし、それ以来を跳するタイムリプの力を身につけてしまう。 はじめはそれを巧みに利用して日々をしんでいた彼女だが、仲良しの同生 千昭(声 石田卓也)から告白され、それを引になかったことにしようとをったときから、命のが狂い始めていく・・・」
 ど、どんなアニメ?! 逆に興味が湧いてきた。

 カシュガルでも五本の指に入るほど大きなスーパーマーケットに、このようなパクリDVDが正々堂々と売られていても良いのだろうか?
 一応、パッケージ裏の下の方には小さな文字で注意書きがされている。
 「ぉことゎり: ての商品は、バソド(株)が家庭内での視聴を目的に販売すあものです。 てのDVDビテオ及びパツケーヅに関しては著作権者・配布権者の承諾なく、上記目的以外の使用(しソタル、上映、放送、複製、変更、改作など)その他の商行為をすあてとは、法律で固く禁じうたています。」

 ・・・・・

 この“ぉことゎり”を書いているテメエ自身が“法律で固く禁じうたてる”複製をしてるんじゃねーのか?!

 最後に、少し長くなってしまいますが、気になる最新ニュースを読んだので一つ。
 「グルジアからの分離独立を求める南オセチア自治州の州都ツヒンヴァル近郊で26日夜、南オセチア側の部隊とグルジア軍が迫撃砲などで交戦した。
 この交戦を受け、南オセチアと共にグルジアからの分離独立を求めているアブハジア自治共和国でも、独立派のバガプシュ大統領(変な名前、プププ)が、グルジア政府支配圏との境界に武装部隊を増派する意向を表明した」

 ニュースによると、南オセチア側は戦車部隊を派遣したようで一気に緊張が高まっているようだ。

 今年の4月に南オセチアに遊びに行って、ツヒンヴァル近郊で身柄を拘束され、警察署で一夜を明かした俺は『捕まっていた時じゃなくって良かった』と思ったのでした。

旅の出費
タバコ: 3元
食費: 6.8元
ワイン: 10元
DVD: 19.6元
外食代: 23.5元
インターネット: 4元
宿代(1泊分): 30元
合計: 96.9元(約1,530円)

莎車王陵(奥)と、アルトゥンルク(右) in ヤルカンド
2007年9月28日(金)
オアシス国家・莎車国

 こんな移動の仕方をしたのはいつ以来だろう?
 今日は朝にカシュガルを出て、4時間後にヤルカンド(莎車)に到着すると、荷物だけを預けて観光し、観光が終わったらまたバスに乗り込んでカーギリック(叶城)まで移動して来た。
 移動の途中に観光を挟むなど、なんてアクティブ!

 12日間滞在したカシュガルを旅立って、まず向かったのはヤルカンド(莎車)。 ここは2世紀にはオアシス国家『莎車国』、17世紀には『ヤルカンド・ハーン国』の首都だった場所だ。

 ここの見所の一つは、ヤルカンド・ハーン国の王宮があった『莎車王陵』。 毛沢東が晩年に狂って文化大革命を起こしたが、その時にもとの建築物は破壊されてしまい、今あるのは1980年代に再建されたものだ。 つまり築20年ほどの中古物件なわけだ。
 もう一つは、『アルトゥンルク』。 ヤルカンド・ハーン国の初代国王が建造した陵墓と、第2代国王が建設したイスラム寺院がある。

 行ってみると、『莎車王陵』の方は再建された門があるのみで、中を覗くと誰かが住んでいるようだった。 間違いなく、住民は王族の末裔ではなさそうだ。
 1分で全部を見てしまったので、次は『アルトゥンルク』に行ってみた。
 ここは『莎車王陵』の目の前にある。

 すると、ものすごい数のウイグル人たちが集結していて、『アルトゥンルク』に入れない状態になっていた。
 あっ、今日は金曜日で礼拝の日だ・・・
 『アルトゥンルク』に入れない人たちが前の広場にもびっしり埋まり、女や異教徒は追い出されてしまった。

 写真は、奥が『莎車王陵』、右が『アルトゥンルク』。 そして広場を埋め尽くすウイグル人たち。
 どうしても写真を撮りたかったので、広場の奥にある工事中の家に勝手に登って撮った。

 ヤルカンドには安宿がないようなので、もう少し東に移動してホータン(和田)に近づいておくことにした。
 バスで約1時間、カーギリック(叶城)に到着。

 カーギリックで道路は二本に分かれており、ここから西チベットを通ってラサに向かうことも出来る。
 俺はもう一本の天山南路を通ってタクラマカン砂漠を周遊する。

旅の出費
外食代: 6元
トイレ: 0.5元
タクシー: 4元
荷物預け代: 3元
宿代(1泊分): 50元
バス代(→莎車): 20.5元
バス代(→叶城): 10元
合計: 94元(約1,480円)

砂漠の道 カーギリックからホータンへ
2007年9月29日(土)
オアシス国家・うてん国

 今日も昨日に引き続き4時間ほどバス移動して、ホータン(和田)にやって来た。

 昨日の車窓は、右手に万年雪を頂いた山々が壁のようにそびえるカラコルム山脈が見え、左手に不毛のタクラマカン砂漠が広がっていた。
 今日の車窓は、360度広がるタクラマカン砂漠だった(写真)。 緑が見えてきたと思ったら、それは必ずオアシスだった。
 ホータンに向かう途中でK2(8,611m)が見えるかな?と思っていたが、当然のごとく見えなかった。 やっぱり遠過ぎるのかな?

 ホータンは、タクラマカン砂漠と崑崙山脈の間に挟まれた形であるオアシス都市で、人口は18万人。
 天山南路南道の中では大きな町で、三蔵法師も訪れたこともある仏教国だったが、カラ・ハーン国の支配化になってからはイスラム化が進み、現在は新彊ウイグル自治区の中でも特にウイグル人の割合が多い町だ。

 夕方、ホータン市内をブラブラ歩いてみたが、思ったよりも都会でビックリした。 見た感じ、お洒落な(日本的に言えば、普通な)ベーカリーにコーヒーショップが付いていたりして、明日でも久しぶりに美味しいコーヒーでも飲んでみようかな?と、気になるお店もあった。
 しかし、何よりも大発見だったことは・・・寒い!
 標高1,370mあって、何気にカシュガルよりも標高が高いホータン。 日が沈んでからの気温はTシャツに長袖シャツを羽織ったくらいでは我慢出来ん!
 そろそろ冬支度をしなければいけないようだ。

 冗談抜きで、かっなり寒い!!

旅の出費
食費: 5元
タバコ: 3元
外食代: 9元
インターネット: 6元
宿代(1泊分): 50元
バス代(→和田): 34元
合計: 107元(約1,690円)

日曜の大バザール in ホータン
2007年9月30日(日)
日曜バザール in 和田

 今日は日曜日でバザールの日。
 ホータンのバザールはカシュガルよりも規模が大きく、10万人を超える人たちが集まるらしい。
 ここ最近のテンションの高さ(現在、+1000メティカシュ)で元気な俺は、人混みが嫌いにも関わらず、カシュガルに次いでホータンでもバザールに出掛けた。

 本当に10万人が来ているのか?は不明だが、とにかく凄い人出だ。
 あまり人で混んでいない場所を狙って、ブラブラ散策してみた。 基本的に売られているのは生活用品全般が多い。 衣類を売っている露店があったり、生きた鶏を売っていて、その場で絞めてくれる露店もあった。 道路沿いには、ロバに牽かせた車に山のように載せた白菜やスイカなどの野菜・果物が並んでいた。
 ちょっと変わった物では、ウイグル帽のみを売っている一角があったりした。 ウイグル帽はイスラム教徒のウイグル人男性がかぶる四角い小さな帽子だ。
 他には、怪しげな雰囲気の一角があり、覗いて見ると『男根増大』と漢字で書かれた小さな箱の他、怪しげな“夜用”製品が並べられて売られていた。
 しっかし、そのまんまのネーミングだな・・・

 バザールの後は、昨日見付けて気になっていたコーヒーショップに行ってみた。
 メニューを開くと、コーヒー1杯が68元(約1,070円)とか書いてある!! 宿代より高ぇー!
 載っていたコーヒーで一番安かったのが1杯18元(約280円)の『炭焼珈琲』だったので、それを頼んだ。
 が、改めてよく考えてみると、コーヒー1杯の値段が、俺の昼食3.5回分以上するというのは、どう考えても割に合わん!
 だって、特大の器に入った大盛り牛肉麺が1杯5元(約79円)で食べられるんですよ!?
 そ、それなのにお上品な小せぇーカップに入った、たかだかコーヒー1杯の方が18元もする。
 こっそり隠し味に『男根増大』でも入れてるから、こんな値段がするんじゃねーのか?

 でも、久しぶりに飲んだインスタントじゃないコーヒーは美味しゅうございました。

旅の出費
食費: 7元
コーヒー: 18元
外食代: 10.5元
生活用品: 14.6元
インターネット: 2元
宿代(1泊分): 50元
合計: 102.1元(約1,610円)





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