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ヨーロッパ旅行日記


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現在地はどこなの?

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国立チェルノブイリ博物館
2006年12月11日(月)
一寸先は闇

 朝一番に、モルドバのビザを取りにゆく。
 基本的に、日本人の場合モルドバ・ビザは無料だ。 それに、ルーマニア側からモルドバに入れば国境で取得出来る。 しかも、2007年1月1日からは日本人はビザが要らなくなる!!
 それなのに、わざわざウクライナでモルドバ・ビザを取る。 ホワ〜イ? なぜなら、俺はウクライナ側から未承認国家『沿ドニエストル共和国』(PMR)を経由してモルドバに入るから。
 旅行者がこのルートを通ると、100%トラブると聞く。 『噂の真相』によると、沿ドニエストルの兵士どもが寄ってたかって外国人から金をむしりとるべくイチャモンを付けてくるらしい。
 ホントかよ?!

 ちなみに、外務省の危険情報によると沿ドニエストルは「渡航の是非を検討してください」に引き上げられている。 渡航の是非を検討した結果、行きます!

 52グリブナ(約1,160円)を、モルドバ大使館向かいの銀行から振り込むと、ビザを発給してくれる。
 変なシステム!

 受け取りは今日の夕方というので一安心。 何しろ、見切り発車で昨日のうちに今夜発ウクライナ南部の黒海沿いにあるオデッサ行きの列車チケットを買っちゃってたからねー。 これで「受け取りは明日ね」とでも言われたら大変でしたよ、ホントに・・・

 夕方まで時間が有り余っている。
 夜11時の列車に乗るから、宿も朝のうちにチェックアウトしてしまっているため、落ち着ける場所もない。
 そこで、ガイドブックに載っていた『国立チェルノブイリ博物館』に行ってみることにした。
 地図では通り名は英語表記になってるんだけど、実際の道路にはウクライナ語表記しかなく、自分の現在地が分からなくなり迷う! 散々迷って、3〜4人に「チェルノブイリ! チェルノブイリ!」と道を聞き、最終的には警察に保護されて連れて行ってもらった。
 良かった〜、本物のチェルノブイリに連れていかれなくて。

 思っていたよりも小さな博物館は、展示品の説明はウクライナ語! こういうところは、ホント不親切です。
 館内には、写真が沢山(日記の写真)あるんだけど、彼らは誰? 死んだのかね? 制服を見る限り、全員が軍人もしくは警察官だけど、説明がないから分からん。
 なんだか微妙な博物館でした。
 原子力の怖さは理解出来たけどね。 その怖さを見て思ったことは・・・チェルノブイリは“事故”でした。 でも長崎・広島は“故意”でした。
 博物館のゲストブックに、ある日本人が「同じ被爆国として・・・」と書いてあったが、“被爆者”の苦しみという点では同じかもしれないが、総合的に考えれば別物だと思う。

 テンションが上がる内容の博物館ではないので、ドヨ〜ンとした雰囲気のまま町をブラブラ。
 すげー、暇だ!!

 なんとか夕方5時まで持ち堪えた。
 パスポート受け取りは夕方5時半だったが、待ちきれずモルドバ大使館へ。 当然、中には入れてくれなかったが外でボケーっと待っていると、同じくパスポートを受け取りに来た人が話し掛けてきた。 でも英語はあまり上手ではない。
 「モルドバに何しに行くんだ?」などという話から、「モルドバにはどうやって行くんだ?」という話になった。
 列車のチケットを見せて、『オデッサまで行って、オデッサから沿ドニエストル経由で行く』と言ったら、「何だとー?!」と予想外に大きな反応。
 「プロブレム! ビッグ・プロブレム!」
 などと言い出す。 しまいには大使館警護の警官まで一緒になって、首を横に振りつつ「なんで沿ドニエストルに行くんだ? プロブレ〜ム!」。

 しかーし、そんなことを言われたくらいで動じるような軟弱な俺ではない!

 「マ、マジで・・・? プ、プロブレム?」
 思いっきり洗脳されて、急にへっぴり腰になる俺。 “知らぬが仏”のままなら良かったが、幸か不幸か面と向かって言われると・・・

 俺に話し掛けてきたのは、実はトルコ人だった。
 若い頃ウクライナに留学していたらしく、キエフに7年住んでいたことがあるそうだ。 今の奥さん(モルドバ人)とも、キエフで知り合ったと言う。
 そんなロシア語ペラペラの彼が、「俺は自分の車を持っていて、それで明日モルドバに帰る。 お前さえ良かったら一緒に行くか?」と聞いてきた。

 う〜む、かなり迷う状況だ・・・
 俺は今夜発のオデッサ行き列車チケットを既に購入してしまっている。 しかも、ホテルをチェックアウトしてしまっているので今夜泊まる宿もない。
 さらに、このおじさんホモじゃないだろうか?とか、拉致監禁されるんじゃないだろうか?と考え出すと限はない。

 考え出すと限がないので、「じゃ、モルドバまで乗せて行って下さい」とお願いすることにした。
 「よし! とりあえず俺の車がある所まで行こう」と、おじさんは大使館前からヒッチハイク。 俺もヒョコヒョコくっ付いて、止まった車に乗り込む。
 ドキドキしながらも、「どこですか、ここは?」という場所に到着し、おじさんの車を見るとフォルクスワーゲンのワゴン車『トランスポーター』。 しかも、形からして新しいモデルだ。 サイド・ドアがリモコンで開く。 う〜む、ある程度の金は持ってそうだから、多少は安心かな・・・
 ナンバー・プレートもトルコ・ナンバーで、嘘は付いていない。

 おじさんの車で、キエフ駅に向かう。
 俺の荷物をロッカーから出し、列車のチケットをキャンセルする。 直前のキャンセルだったので50%しかお金が返ってこなかったが、まぁ仕方がない。

 全て振り出しに!という段階になって、俺はあることに気が付いた。
 @おじさんは明日モルドバに行く。 すなわち今夜はキエフで1泊しなければならない。 仮に今まで泊まっていた最安ホテルに80グリブナ払って泊まったとしても、59グリブナの列車チケットを捨ててまでおじさんと一緒に行くコスト・メリットがあったのか?
 Aおじさんは明日モルドバに行く。 何気なしに、俺のパスポートに新たに加わったモルドバ・ビザを見たら、有効期間が明後日からになっていた・・・

 ダメじゃん!!!

 でも、ボラさん(トルコ人のおじさん)が「大丈夫じゃね?」と言うので、俺も「大丈夫だろ!」とこのまま突っ走ってしまうことに。 ホントに大丈夫なんでしょうか、俺?

 ボラさんに夕食を奢ってもらい(マックだけど)、「今夜はここに泊まろう」と連れて来られたところは・・・
 むちゃくちゃ高そうじゃん!!
 隣にカジノまで付いてるし! 「(今さらだけど)大人しくオデッサに列車で行っておいた方が・・・」と、ビビりまくる俺にボラさんはこう言った。
 「君は学生だろ? 俺はビジネスマンだ。 ここは心配しなくてもいい。 いつか君が働いたら同じように学生を助ければいい」

 ・・・・心がちょこっと痛む。 でも童顔で良かった!
 「一応、学生証は持ってますけど本当は・・・」とも言えんし、「2年前まで会社持ってて、BMWに乗ってて・・・」とも言えん!
 お言葉に甘えまーす!!

 突然、今晩泊まることになったホテルはこちら!
 →『Hotel Bratislava
 三ツ星ホテルのピッカピカのロビーに、バックパックを身体の前後に背負って入っていった時は、さすがに「俺って場違いなんじゃねーの?!」と腰も引け気味。
 でもね、部屋は100ユーロ(約1万5千円)するんだけど、クオリティー的には100ユーロの価値ないね!
 普段は数百円の宿に泊まってるくせに、高いホテルに泊まったら泊まったで判断基準を即座に変えれちゃう日本人って嫌!

 ホテルにチェックインした後、ボラさんは「ちょっと用事があるので、帰りは深夜になる」と出て行った。
 どんな用事だよ!と気にならなくもないが、おかげで俺はこうして部屋で1人日記を書いていられる。
 別に俺は新婚ホヤホヤの人妻でも何でもないので、ボラさんが帰ってくるのを待つまでもなく、そろそろ寝ようとかと思う。
 っていうか、ここどこ?! 窓からマクドナルドが見えるけど・・・ 夕飯を食ったマックと違う・・・

 明日も良い一日になりますように(祈)。

旅の出費
入場料: 1グリブナ
地下鉄: 2グリブナ
トイレ: 0.5グリブナ
ロッカー: 5グリブナ
外食代: 30グリブナ
インターネット: 12グリブナ
モルドバ・ビザ代: 52グリブナ
列車チケット払い戻し: −30.3グリブナ
合計: 72.2グリブナ(約1,620円)

ウクライナを南下
2006年12月12日(火)
闇の先に光が見えた

 朝起きたら、なぜだかお尻の穴が痛くて・・・

 とかなったら、この日記を読んでいる人は面白いかも知れないが、本人は全然笑えないぞ!
 幸運な事に、俺のお尻は今日もツルツルピチピチの健康体を保っている。
 朝の点呼開始!!

 お金、異常なし!
 パスポート、異常なし!
 お尻の穴、異常なし!
 よし、完璧だ・・・

 しっかし俺という人間も、夕方出会った人といきなりその夜にホテルを共にしちゃったわけだから、「ヤリマンと一緒」と言われれば、何だか一緒のような気もしてくる・・・
 そう考えると、男に道で誘われてヒョコヒョコ付いて行く女も勇気があり、自慢できるくらいエライのでは?
 まず、2人きりになった途端、男が豹変して強盗に変わる可能性もゼロではない。 差し出された食べ物、飲み物に睡眠薬が入っている危険性も考慮しなければならない。 さらには!朝起きたら自分は裸で、隣にもやはり裸の男が寝ている可能性も限りなく200%に近い!!
 そんな過酷な条件の中、果敢にもチャレンジを続けるヤリマンの心意気と精神力に、最大限の賛辞を送りたいと思う!!
 ブラボー!

 物音で目が覚めると、ちょうどボラさんが起きたところだった。 何でも、昨日の夜は深夜3時に帰ってきたらしい。 全然知らなかったぜ・・・
 どんな不測の事態が起こっても瞬時に対応出来る態勢で眠りについたはずだったが、朝起きた時には布団を蹴っ飛ばして、股をおっ広げていた俺の隙のない警戒心には特筆すべきものがある。

 午前10時頃にホテルを出て、道路をオデッサに向けて南下して行く。 道路標識によれば、E95号線を走っているようだ。
 途中、ウマン(Uman)という町からE50号線に入って西に行った後、A253号線で再び南下してモルドバとの国境を目指す。
 いつどこで車から飛び降りても良いように、常に自分の現在地を把握しておく。 でも荷物は?
 ・・・そこまでは考えていなかったぜ。

 途中で町を何ヶ所か通り過ぎたが、少なくとも2ヶ所の町にはレーニン像が立っていた。
 なーんだ、ベラルーシにわざわざ高いビザ代を払わなくても、ウクライナの田舎に行けばレーニン像が見れるのね。
 ウクライナの田舎の田園風景を見ていると、自分がイメージしていた『東欧』に限りなく近いものがあった。
 馬車が普通に走っている。 そして馬車を操っているのは年老いたおじいさん。 隣には布で頭を覆ってアゴのところで結んでいるおばあさんが、まるで死んでいるかのように座っている。 荷台にはジャガイモが載っている。
 冬のどんよりとした曇り空と、2人の着ている暗い色の服が妙に哀愁を漂わせている。
 実際、家々を見ても貧しそうだし、道端にはいつ売れるかも分からないジャガイモを並べた老人達が、焚き火で暖を取りながら座っている。
 首都キエフしか見ていなかったら知らなかったであろう風景が見れて良かった。

 ひたすら同じ景色が続く道路(写真)を走って、モルドバとの国境まで辿り着いたのは夕方4時50分。
 5時には国境が閉じてしまうので、ギリギリだった。

 まずはウクライナ側。
 若いキレイな税関のお姉さんが、手ほどきしながら書類の書き方を教えてくれて、終始和やかムード。 俺も「ボクちゃん、何も1人で出来ないでちゅー」という新キャラを駆使しての国境突破だ。
 所持金を全て申告しなければ大変なことになるらしいし、警告もされたが、「これで全部でちゅー」と過少申告もばっちり。
 すっかり俺に騙されて、難なく出国スタンプをゲット。

 ドニエストル川を人力渡し舟で(車を載せて!)渡河。 このドニエストル川が国境になっている。 こんな所、日本人旅行者が来たことあるのか?
 既に日が沈んでおり、真っ暗だったので写真を撮らなかったが、なかなか面白い風景だったと思う。

 川を渡ると、モルドバ側。
 犬小屋じゃん!と思うほどの小さな出入国管理事務所に、モルドバの国旗がはためいている。
 今日は12月12日、俺のモルドバ・ビザが有効になるのは12月13日。 本来はまだ無効のはずのビザだが・・・難なく入国スタンプをゲット!
 これには裏があって、ボラさんの友人がモルドバのパスポート・コントロールで働いているらしく、彼に連絡して「日本人が今から行くから、ビザの有効期限前だけど1日くらい大目に見てやれ」と、国境に電話してもらっていたのだ。
 世の中、金と権力だなっ!! グヘへへ

 ついに俺にとってヨーロッパ21カ国目になる『モルドバ共和国』に入った。
 ボラさんの奥さん(モルドバ人)は、首都キシナウから約60km離れた町オルヘイの出身らしく、彼もそこに帰ると言う。 抜けて来た国境から言えば、キシナウの手前になる町だ。
 ボラさんが「明日キシナウまで送って行ってあげるから、今晩はオルヘイに泊まればいい」と言うので、従順で素直な俺は言われた通りにすることにした。
 オルヘイで、宿を探し出し(っていうか、探したのは全てボラさんで、俺は車で待っていた)いざ泊まろうとすると、ボラさんがホテル代を払ってくれた。
 いやー、さすがにそれは恐縮しちゃうでしょ? 「モルドバまで連れてきてもらったのだから、もうここからは俺が払う」と主張したにも関わらず、ボラさんは「いいから、いいから」。
 あら、そう? じゃぁ、お言葉に甘えて・・・
 結構、簡単に折れる俺だった。

 昨日、ボラさんと知り合ってから1円も使ってないんですけど・・・ 今日の出費は、ボラさんと別れた後に買ったビールとお菓子くらい。

 ここで、高らかに宣言しよう!!
 ボラさんって超良い人!!!

旅の出費
食費: 18.5モルドバ・レイ
合計: 18.5モルドバ・レイ(約160円)

モルドバ・キシナウの中央市場
2006年12月13日(水)
再び元の世界へ

 お昼近くにボラさんがホテルまで迎えに来てくれた。
 首都キシナウまで車で送って行ってくれると言う。
 なんて良い人なんだ!!

 最初、列車とバスを使って沿ドニエストル経由でモルドバまで行こうと思っていたときは、ウクライナからモルドバまでの(色々な意味での)ハードな道のりを想像していた俺だが、実際にフタを開けてみれば・・・本革シートの助手席でのけ反って鼻をほじっくている間に着いてしまった!!
 俺、何にもしてない・・・
 食事もホテルも全て出してもらうという、俺の“VIPさ”をまざまざと見せ付ける冒険家ぶりを発揮してしまった。 これぞ、真のバックパッカー!

 ずっとボラさんと一緒にいたら、ずっとホテル代出してくれるかな?などとも思ったが、残念ながらお別れの時がやって来た。
 キシナウのバス・ターミナルの近くで降ろしてもらい、別れを告げる。 出会いと別れ、儚くも美しいねぇー。

 ガイドブックに載っている安宿に向かう。
 バス・ターミナルの目の前にあるらしいのだが、場所が分からん。 聞くと、皆親切に教えてくれるのだが、それでも分からん。 市場の中に入って聞くと、俺が探していた『Hotel Meridian』は建物は残っているものの潰れたらしい・・・
 ガーン! 今までボラさんに散々接待を受けて、身も心もVIPに成り切っていた俺にいきなりの“試練”。
 動揺を隠さない俺を見て、市場のおじさんおばさん達が集まって来て、何やら相談を始めた。 話し合いの結果(俺は話し合いの蚊帳の外)、若いお兄さんが「俺に付いて来い」と言う。 ノコノコ付いて行くと、『Hotel National』という所まで連れて行ってくれた。 わざわざ、頼んでもいないのに道案内をしてくれたのだ。
 俺をホテルに案内し終えると、お兄さんは「じゃ!」と言って戻って行った。 『“案内料”と称して金でも請求してくるんじゃねーか?』と心配していた俺の心の狭さを、見事に裏切る親切なお兄さんだった。

 ところが、連れて来られた『Hotel National』は、どっからどう見ても安宿とは遠い雰囲気・・・ 一応、値段を聞いてみるものの、高い!
 あぁ・・・ボラさんといればこんな苦労なかったのに。
 重い荷物を背負ってゼロからの宿探し。 「肩外れる〜!」ってくらい歩いて、ようやく鉄道駅の構内の宿泊所に落ち着くことが出来たのは、ボラさんと別れてから3時間以上が経過した後だった。
 もうヘロヘロ。 『旅行するなら車だ!』と、改めて強く実感した1日だった。

旅の出費
雑費: 1モルドバ・レイ
外食代: 96モルドバ・レイ
宿代(1泊分): 220モルドバ・レイ
合計: 317モルドバ・レイ(約2,930円)

沿ドニエストル共和国・ティラスポル
2006年12月14日(木)
沿ドニエストル共和国

 俺にとってヨーロッパ21カ国+2地域目となる『沿ドニエストル共和国』に行って来たぞーい!
 コソボに続いての微妙な地域です。 世界地図を広げてみても、どこにも載っていない『沿ドニエストル』。

 一体、『沿ドニエストル』とは何なんでしょうか?

 モルドバ領内を北から南へ流れるドニエストル川。 その川から東側部分が勝手に『沿ドニエストル共和国』と名乗って、モルドバからの独立を宣言している。
 独自の政府(大統領までいる)、“国旗”、警察、軍、通貨まで持っているのだが、世界中のどこからも承認されていない“国”。
 それが『沿ドニエストル共和国』だ。
 この『沿ドニエストル共和国』の特徴は、ソ連の再来を待ち望むバリバリの社会主義国家ということだ。 ある意味で、世界でも希少価値のある地域だ。

 さてさて、そんなある意味で国家、ある意味で紛争地域に行って来たわけです。
 朝から行くつもりだったのに、目が覚めたのは昼12時。 それから市場をブラブラ散歩して、ご飯を食べたりしていたら、キシナウを出るのが午後2時半過ぎになってしまいました。

 キシナウからバスで沿ドニエストルの“首都”ティラスポルまでは、約1時間半。 片道25レイ(約230円)。
 ドニエストル川近くに“国境”がある。 有刺鉄線が巻かれたゲートが3重になってあり、小銃で武装した兵士たちが立っている。
 モルドバ側は止まることなく通過。 しかし、沿ドニエストル側で車両は全て止められチェックを受ける。 兵士が乗り込んできて身分証明書チェック。
 もちろん、俺だけはバスから降りるように命令されて小屋に連れて行かれる。 一応、“税関”だ。
 「今回の旅でこんなのは初めて」ってくらい徹底的に調べられた。 もちろん、ある程度は予想していたので、今日の俺は手ぶら。 カメラ以外、モルドバ・レイと、5USドルの現金くらいが持ち物だ。 それでも、「有り金を全部出せ」と言って来る。 「これで全部だよ」と言うと、「え?これだけ?」という感じで納得出来ない様子。 ポケットの中身を全部出させられ、さらにチェックを受ける。 でも、持ってないものは持ってない。
 最終的には「100レイ(約920円)でいい」などと、意味不明なことをほざく。 「じゃぁ、領収書ちょうだい」と言うが、もちろんそんなものが出るわけもない。
 「じゃぁ、キシナウに帰れ」と言うので、「はい、帰ります」と言うと『こいつをどうしたらいいんだ?』と雑魚兵士たちで相談を始めた。 すると奥から、雑魚兵士たちの上官らしき人が現れ、「レジストレーションをするから、こっちに来い」と呼び出し。
 この上官からは5USドルを要求される。 色々な情報筋によると、この5USドルは“一応”必要なお金らしいので、素直に払う。 モルドバ・レイで5USドル相当でもいいらしい。
 領収書が出ないので、本当のところは不明だ。

 続いて“イミグレ”。 ここでは8モルドバ・レイ(約70円)を払うと、紙切れをくれる。 これは“出国時”に必要になるので大事に取っておかないといけない。
 以上で沿ドニエストルへの“入国”は完了。
 5USドルと、8モルドバ・レイは素直に払えば非常にスムーズに行く。 それ以外は雑魚兵士のたわ言なので、拒否しても良いと思う。

 沿ドニエストルに入ると、まず『沿ドニエストル共和国』の紋章が書かれた看板が目に入る。
 ばりばりソビエトじゃないですかー!!
 あの、鎌とトンカチが重なっている図柄は旧ソ連の国旗にも描かれていた。 それと同じマークが、この21世紀に『沿ドニエストル』で生きています。

 “国境”で散々時間を食ったせいで、“入国”した頃には日も落ち始めて暗くなってきた。
 首都ティラスポルに着いて、ちょっと歩いてみたがアッと言う間に辺りは暗闇に・・・ 俺、何しに来たんだろう? 何も見えねー!!
 わざわざバスに揺られて、“国境”で散々雑魚兵士に絡まれて、金額は小さいと言えどお金を払ってまでして来たのに、着いたら暗闇・・・
 沿ドニエストルで唯一撮った写真が、今日の日記の写真です。 バス・ターミナル脇の建物の壁を、高感度で撮った1枚のみ・・・
 アホらし。

 頑張って30分ばかり暗闇の中を散歩してみたが、何も見えないので帰ることにした。 “出国”は何の問題もなしで、バスに乗っているだけで終わった。

 今回は手ぶらだったので、大してトラブルもなかったが、これでパソコンから何から荷物を全て持っていたら、さらに面倒臭かったかも・・・

旅の出費
雑費: 10モルドバ・レイ
タバコ: 12モルドバ・レイ
入域料: 78モルドバ・レイ
外食代: 81.4モルドバ・レイ
トローリーバス: 2モルドバ・レイ
宿代(1泊分): 220モルドバ・レイ
バス代(キシナウ⇔ティラスポル): 54MDL
合計: 457.4モルドバ・レイ(約3,990円)

モルドバ⇔ルーマニアを走る“マキシタクシ”
2006年12月15日(金)
ルーマニア

 速いよー!! アッと言う間に、俺にとってヨーロッパ22カ国目となる『ルーマニア』に到着。
 年末にモルドバとかって嫌じゃない? だから、ちょっとスピードを上げて移動します。 と言うか、正直ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバと旧ソ連の国々を来て、飽きて来たというのも本音。 あんまり面白くないんだよね・・・ 異様に旅行者少ないし、ロシア語を話せないと面白み半減だし。

 どこからバスが出るのか分からず、ウロウロしながらも無事に『ガラ・ルーマニア』と言う、ルーマニア行きバスが発着するターミナルからバスに乗り込む。
 朝8時半発のルーマニア北部にあるスチャアヴァという町に向かうバスだ。 日本語のサイトや本などでは“スチャバ”と書いてある場合もあるが、ルーマニア語で『Suceava』の発音を聞くと、“スチャアヴァ”が一番近い気がする。
 乗ったバスは、“マキシタクシー”と呼ばれるミニバスだ(写真)。 キシナウからスチャアヴァまで行くバスは、偶数日の朝7時発と、毎日8時半発の便しかないので混雑が予想され、気合を入れて早朝6時に起きたのだが、意外にガラガラ。 アフリカじゃなくて良かったぁー!
 でもモルドバの場合、バスのチケットは当日券しか買えないという点はアフリカ以下。

 モルドバの首都キシナウから約3時間で、ルーマニアとの国境に到着。 モルドバの出国スタンプも難なくゲット、ルーマニアの入国スタンプも簡単にゲット!
 ルーマニアは、この2007年1月1日からブルガリアと共にEUに正式加盟が決まっている。 気が早いのか?もうEUの旗が国境にはためいていたが、何だかそれを見ただけでホッとする。

 順調にルーマニアを北上していたマキシタクシーだが、いきなり訳分からん町で「ここまで!」と言われて全員降ろされてしまった。
 おーい! どこココ?
 ルーマニアのお金を一切持っていなかったので、ドライバーに「スチャアヴァまでの運賃を払ったんだから、ここからスチャアヴァまでの交通費をルーマニア・レイで返せ」と言って、10レイを返してもらった。
 ややこしいのだが、モルドバの通貨名と、ルーマニアの通貨名は『レイ』で一緒。

 降ろされたは良いが、代わりのバスが通る気配は一向にない。 仕方がないのでヒッチハイク。
 こういうことを書くと、『いやー、さすがに旅慣れている人は違う!』と誤解されても困るので言っておくが、実際に走っている車を止めてスチャアヴァ行きを探していたのは、俺ではなく周りのルーマニア人。 俺は後ろの方で、「ねぇ、まーだ?」とブランデーを転がしながら葉巻を吸っていただけ。
 見付かるのに散々時間が掛かったのを責める気はない。 最終的には車が見付かり、皆が「乗れ、乗れ」言うので「あら、そう?」と遠慮もせずヒッチハイク。
 これをヒッチハイクと言うのか?
 全てお膳立てされたヒッチハイクと言うべきか・・・

 何とか無事にスチャアヴァに到着したのは夕方。
 驚いたのが、英語を話す人が多いこと! さすがEU加盟国は違う!! なんだか先進国に戻って来たって感じでちょっと安心(多分、ルーマニアって先進国じゃないけど)。

旅の出費
食費: 8モルドバ・レイ
マキシタクシー: 3モルドバ・レイ
トローリーバス: 1モルドバ・レイ
バス代(キシナウ→スチャアヴァ): 167MDL
食費: 2.2ルーマニア・レイ
インターネット: 2ルーマニア・レイ
合計: 179MDL+4.2RON(約1,840円)

ステファン・セル・マーレの乗馬像
2006年12月16日(土)
今の宿

 土・日はワタクシも休日なので、移動しません。
 今日は、(というか、いつも)ゆとりを持って起床。 たらふく朝食を食べた後は、インターネットで新たな日本のTV番組をダウンロード。
 しかし、気が付けば時計は既に午後2時半を過ぎており、このまま1日が終わりそうな気がしたので、仕方なしにお出掛け。

 町の中をブラブラしてみるものの、何にもないから5分で暇になってしまった。
 仕方がないので、490段あるらしい階段を上り下りして、石像(写真)を見てきました。 石像になってるくらいだから、えらい人っぽいです。
 以上。

 今、泊まっている宿は居心地が良い。
 町の中心部から8kmも離れており、そのうえ家の周りをニワトリや犬や猫が走り回っている。 ベランダから見えるのは畑・・・
 もちろん、近くにレストランなどないのだが、宿を切り盛りしているモニカが朝食も夕食も作ってくれる。 しかも美味しいし、たらふく食べさせてくれる。
 わずか10ベッドしかないホステルだが、モニカのホスピタリティー溢れるもてなしにはまってしまう旅行者も多そうだ。

 ちなみに、現在の宿泊客はワタクシ1人です。
 モルドバのキシナウでも、4人部屋に泊まったんだけど、ずっと1人でした。 他の客を見かけたのは1回だけ。 あまりに静かなので、逆に心配になったりしたくらい。
 オフシーズンもけっこう良いもんだね。

旅の出費
雑費: 2.7ルーマニア・レイ
食費: 3.9ルーマニア・レイ
バス代: 2ルーマニア・レイ
合計: 8.6ルーマニア・レイ(約400円)

外壁にフレスコ画が描かれている修道院
2006年12月17日(日)
壁は全て絵

 UNESCOの世界遺産に登録されている修道院群を見て来た。
 交通手段が非常に限られているため、見に行くのが大変らしいが、モニカが「友達を連れて行くから一緒に・・・」ということで一緒にくっ付いて行くことに。

 修道院群と言っても2,000近くあるらしく、全てを見て回るのは不可能。 今日は、その内の2つを見た。
 修道院の特色は、その外壁にある(写真)。 外壁全てを覆うフレスコ画。 もちろん、修道院内部も一面フレスコ画で覆われている。
 こんな修道院は初めて見た。

 外壁に絵を描いたのは、文字を読めない農民たちが目で見て理解出来るようにしたためだそうだ。 なるほど、聖書の中に書かれている逸話や、キリストの生涯が四コマ漫画のように順を追って描かれている。

 しかも、500年前に書かれた絵が現在に至るまで鮮明に残っているのが驚き。 修道院によっては、方角によって北風がぶつかる壁は絵がほとんど消えてしまっている場合もあるが、他は「本当に500年前に描いたの?」と思うような鮮明さだ。
 最近まで、修復も保護もしていなかったのにだ。

 “修道院”と聞いただけで、あまり興味のなかった俺だが、実際に行ってみれば面白かった。 世界でもかなり珍しいだろうから、なかなか興味深い。
 でも、1ヶ所を見たら十分、お腹一杯。

 南アフリカ・ケープタウンを出発してから、今日でちょうど11ヶ月が過ぎました。
 この1ヶ月に1人で使ったお金の合計は、約97,000円。 10万円を切りましたねー! さすが節約王!
 1ヶ月前はバルト三国のエストニアにいました。 そこからフィンランド、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、モルドバと来て、今はルーマニア。 ものすごっく南下してる、俺! でも、全然暖かくならないのはなぜ?

 次の1ヵ月後には一体どこにいるのでしょうか?

旅の出費
雑費: 5ルーマニア・レイ
ビール: 1ルーマニア・レイ
入場料: 20ルーマニア・レイ
合計: 26ルーマニア・レイ(約1,200円)





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