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ヨーロッパ旅行日記


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現在地はどこなの?

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ワシーリー聖堂
2006年12月4日(月)
赤の広場

 モスクワと言えば、いやいやソ連と言えば、『赤の広場』に『クレムリン』でしょー!
 行ってきましたよ、巷で噂の『赤の広場』。 そして、テレビやら雑誌やらで見た記憶のあるネギ坊主頭の『ワシーリー大聖堂』(写真)もバッチリ激写。

 全然知らなかったんだけど、クレムリンって日本の皇居みたいな感じだった。 堀はないけど、塀に囲まれてるの。 で、その前に赤の広場があって、広場を囲むようにグム百貨店とかワシーリー大聖堂とかレーニン廟がある。
 クレムリンに入るには塀を越えないといけないから、入場料を取られるけど、赤の広場は普通に広場だから誰でも入れる。

 今日は偵察ってことで、赤の広場をウロウロして帰ってきました。 赤の広場では、やはりワシーリー大聖堂が目立っており、観光客も集まっている。
 多分、初めてロシアに来た時なら「おぉ〜、ネギ坊主だよ〜!」と感動して号泣出来たかも知れないが、サンクトペテルブルグでスパス・ナ・クラヴィ教会を見ちゃってるせいで、ネギ坊主頭には免疫が出来てしまっている。
 でも、夜のライトアップはワシーリー大聖堂の方がキレイだ。 建物の大きさは両方とも大差ないように思う。

 日中は、ベラルーシ行きの列車のチケットを買った。
 今回は、宿のお姉さんに頼んで、紙にロシア語で出発日、列車番号、座席の種類、人数を書いてもらっておいたので、前回よりもさらに楽だった。
 そもそも、国際都市モスクワのセントラル・チケット・オフィスで英語が全く通じないのもどーかな?と思うが、「世界はロシアを中心にまわっている」と思っているロシアでは仕方のないことなんだろう。

 ということで、明後日12月6日にモスクワを出てベラルーシの首都ミンスクに向かいます。
 ミンスク到着は7日なんだけど、10日にはベラルーシのビザ切れ。
 嗚呼、1万2千円払ってたったの3日ですか・・・

旅の出費(2人分)
食費: 190ルーブル
タバコ: 66ルーブル
地下鉄: 90ルーブル
外食代: 170ルーブル
国際列車代(モスクワ→ミンスク): 985.3ルーブル
合計: 1501.3ルーブル(約6,540円)

彼女、森に帰る
2006年12月5日(火)
気合を入れ直して

 ↑彼女が森に帰ると言うので、モスクワからは再び一人旅です。
 やっぱ、裸でロシアは寒くて辛いみたい。 「寒いぞ、この野郎!」という感じの目で睨みつけてますからね、写真でも。
 特に頭にくっ付けている金属だか何だかが、5度前後の低い外気に晒されると冷たくなってしまい、冷たい手で背中に手を入れられた時みたいに「冷たっ!!」となるらしく、それが今回の帰国を決意した一番の理由だそうです。
 そうなると、荷物を分けないといけない。 槍とか弓とか鉈とか、とりあえず均等に・・・

 クレムリンに行くかちょこっと迷ったが、面倒だから結局行かなかった。 そんなわけで、昨日の赤の広場がモスクワ唯一の観光になってしまったようだ。
 その代わり、明日からの移動に備えて荷物の整理を済ませた。
 数十万円したスイス製腕時計、壊れたカシオ製カメラ、旅先で集めた紙幣&ビールのラベル、用途の分からない電気コードなどなど、「そんなモノ持ち歩いてたのかっ?!」と怒られそうな品々ともおさらばし、出発11ヶ月目にしてようやく旅人らしい荷物になってきた。
 この装備で、一気に東欧を南下してイスタンブールを目指します。 年末までにはブルガリアの首都ソフィアくらいには着きたいなー。

旅の出費(2人分)
食費: 78.9ルーブル
外食代: 242ルーブル
合計: 320.9ルーブル(約1,400円)

サンクトペテルブルグの街並み
2006年12月6日(水)
ペレストロイカ

 いよいよ今日でロシアも最後。 2週間いたが、サンクトペテルブルグとモスクワにしか滞在できなかったことだけが残念。 ベラルーシのビザさえ期限が迫っていなかったら、間違いなく北極圏の町ムルマンスクに行っていたであろうに・・・
 いつの話になるか分からないけど、とりあえず『次回』のお楽しみということで。

 荷物をまとめて宿を出る。
 地下鉄を乗り継いで列車の出るベラルーシ駅に向かった。 ここでロシア・ルーブルを全て使い切ってしまうことにした。
 まず、列車内で飲むジュースを買い、ご飯を食べ、残ったお金でタバコ屋に行く。
 「タバコを7個買いたいんだけど、お金がこれだけしか残ってない」と言うと、おばちゃんは「ハラショー!(OKの意味)」。 ありがとう、おばちゃん! おかげでロシア・ルーブルを1セントも残らず使いきれたよ。
 この、おばちゃんは5ペレストロイカだ。

 ここで発表しよう、俺が新たに考案したロシア人の親切度を測る単位“ペレストロイカ”だ!!
 最小1から最大5まであり、親切度に応じて数字も大きくなってゆく。 微妙な数値を示す場合は、補助単位“ゴルバチョフ”(1ペレストロイカ=100ゴルバチョフ)を使う。
 使い方としては、
 「あのロシア人、2ペレストロイカ50ゴルバチョフくない?」と言う。
 言いづれー!!

 列車に乗り込むと、同じコンパートメントになったのは男2人、女1人の3人組のベラルーシ人だった。
 男の人の1人が少し英語を話せ、それによると彼らは食品会社の同僚で、モスクワに出張に行った帰りらしい。
 俺が日本人だと知ると、「おぉー!」ということで宴が始まった。 ビール飲め、飯食え、と至れり尽くせり状態。
 さらに、乗った列車はリネン代が別料金で掛かるらしく、そんなことは知らずに全てお金を使い切っていた俺を見て、代わりにリネン代を払ってくれた。
 みんなも、5ペレストロイカだよ!

 ベラルーシでも村上春樹とか人気らしく、色々日本の事を知っていたのには驚いた。
 相撲も、琴欧州とか知ってたし、意外と親日家が多いのかも・・・ 彼らにも、ロシア同様「真珠湾攻撃ベリーグッド!」と親指を立てられた。 あれ? 旧ソ連圏では、真珠湾攻撃が大人気なの?

旅の出費
食費: 23ルーブル
地下鉄: 45ルーブル
外食代: 158ルーブル
タバコ: 195.5ルーブル
合計: 421.5ルーブル(約1,840円)

ミンスク・レーニン像
2006年12月7日(木)
テーマパーク『ソビエト』

 俺にとってヨーロッパ19カ国目になる『ベラルーシ共和国』に、ついにやって来た。
 ベラルーシ? 聞いたことがあるような、無いような。
 そんな知名度の低いベラルーシの魅力をここでたっぷりと紹介致しましょう。

 @まず、海がない! ベラルーシの最高峰は345m! で、これは山って言わない。
 Aさらに、チェルノブイリの原子力発電所が爆発した時の放射能汚染物質の約70%は、風向きの関係でベラルーシに降って来た。
 Bアメリカに、北朝鮮やイラン、シリアなどと並んでダメダメ国家に名指しされたベラルーシでは、ルカシェンコ大統領が独裁政治を行なっている。
 などなど、思わず行ってみたくなる魅力が満載のベラルーシ! みんな、おいでよベラルーシ!

 ロシアとベラルーシの国境には、イミグレーションや税関の類いが一切ない。 まぁ、国内移動みたいなもんだ。 でも、出国の時に「お前はいつ入国したんだ?」となるので、ロシア⇔ベラルーシ間を移動した時のチケットを大事に持っておいた方が身のためだ。

 モスクワを出て11時間、まだ真っ暗なベラルーシの首都ミンスクに到着。 えらく近代的で大きな駅にビックリ。 4階建てのガラス張りのモダンな駅には、コインロッカーや両替所、カフェなどが入っている。

 同じコンパートメントだった皆と別れ、駅に隣接する1泊12ドル(約1,400円)で泊まれる安宿に行く。
 『一番安い部屋、プリーズ』
 モスクワを出る前に、宿のスタッフにロシア語で書いてもらった紙を意気揚々と見せる。
 すると、きっぱりと「ない!」との返事。
 ・・・うそーん? あるんでしょ、本当は? 壁に貼られていた料金表を剥がして、「じゃぁ、どの部屋が空いてるの?」と身振り手振ると、「ぜ〜んぶ、ない!」との返事。
 ガーン・・・ 途方に暮れる俺の姿があまりに痛々しかったのか、おばちゃんはわざわざ外に出てきて『12:00』と書かれた紙を見せながら、「この時間に戻って来い」みたいなことを言っている。
 そうか、12時までにチェックアウトだから、その時間にいけばベッドが空いてるわけだな。

 駅のロッカーに荷物を預け、12時までの間ミンスクを散策することにした。
 まず向かったのは、政府の官庁が入っている『ガバメント・ビル』(写真)。 そして、その前にはレーニン像が!!
 うぉぉー、ちょっと感動(涙)。 こんな国がまだ世界に残っていたなんて・・・
 『ガバメント・ビル』の周りに警官がウロウロしていたので、一応「写真撮っちゃうぞ」と事前通告。 アフリカなどでは、政府関係の建物や橋・空港などを撮るとものすごーく面倒なことになる場合があるので、聞いておかないとね。
 すると、警官は「レーニン、レーニン」と言いながら『撮れ!撮れ!』とジェスチャー。
 レーニン像だってことは見れば分かる。

 続いて、ミンスクのメイン通りを歩く。
 フランチェスカ何ちゃら通りという名前の、この大通りはとにかく幅がやたらと広い! 軍事パレードに最適だな、ここ。
 そして、道路の両脇に建ち並ぶ建物もやたらとデカイ! いかにも“計算されて造られた町”といった雰囲気で、ソビエト臭がプンプンする。
 ベラルーシは、第2次世界大戦中にナチス・ドイツによって徹底的に破壊された。 だから、古い建物は全くと言って良いほど残っていない。 そして、戦後スターリンによって造り直された町、それがミンスクなのだ。
 この通り沿いには、巨大な『KGB本部』がある。 リトアニアでも元KGBの建物に行ったが、規模が全然違う。 デカ過ぎ! そして、その前には1917〜26年までKGB長官を務めたベラルーシ出身のジェルジンスキーの銅像が立っている。 こういう像を倒してないところが、ベラルーシっぽいよなぁー・・・

 さらに大通りを進むと、『共和国広場』に出る。
 ここにも巨大な建物が並んでおり、その内の一つ『ベラルーシ祖国防衛博物館』に入ってみた。
 ここ面白い! ソビエト時代からある博物館なんだけど、多分ソビエト時代から展示してあるものは全く変わっていないと思う。 もう、テーマパーク『ソビエト』って感じ。
 とにかく、第2次世界大戦中のナチス・ドイツ対ソ連のことがほとんどなんだけど、館内にはレーニンの他にスターリン像もあるし、共産主義のプロパガンダ的展示方法で、もうそれはそれは凄いよ!
 このご時勢に、ここまでレトロなソビエトを見れてしまうベラルーシって・・・

 『ベラルーシ祖国防衛博物館』の道路を挟んで向かい側にも、面白そうな建物を見付けた。
 入り口に大きな星のマーク(共産っぽい)と、建物の前に戦車が置いてある。
 近づいていくと、何やらスーツをビシッと着込んだ屈強な野郎共が沢山ウロウロしていて、ただならぬ雰囲気だったが、そんなことには気付かぬフリをして一眼レフを取り出す。
 すると、来た来た! 直ぐに取り囲まれ、ロシア語で何だか言ってる。 「写真を撮るな」と言っているみたいだが、戦車を指差して「戦車撮りた〜い」と駄々をこねると、「そっちの方向だけだぞ」みたいなことを言って許してくれた。
 知らなかったのだが、戦車の置いてある建物の直ぐ隣が、巷で評判の独裁者ルカシェンコの大統領官邸らしく、スーツを着た人たちはSPなのだろう。 そういえば、皆が片耳にコードがクルクルってなってるイヤホンをしてたもんな。
 しかも、これも少し後になってから知ったのだが、ちょうどルカシェンコが大統領官邸に戻ってくる時だったらしく、道路を全て封鎖して一帯はピリピリモードだったようだ。
 そんなことは露と知らず、「さぁ、写真撮ろっと!」と再びカメラを構えていると、別な制服を着た警官が「コラッ、撮るな!」と近づいて来た。
 なんでだよー! 「さっき、あのスーツ来たおじちゃんが『OK』って言ってたもん」と抗議すると、SPたちが警官に「撮らせてやれ」みたいなことを言ってくれた。
 さらにはSPが「戦車と一緒に写真を撮ってやる」などと言い出し、俺が戦車の前に立って記念撮影させられる羽目に・・・
 自分の写真は要らないんだけどね・・・

 SPたちに「ありがとう」と言って大通りに戻ると、ちょうどルカシェンコが大統領官邸に戻ってきた時だった。 道路は封鎖され、歩行者も立ち止まると警官に「ゴラッ!」と怒られている。
 飛ばし過ぎなんじゃね?と思うくらいスピードを出して、キキーッとタイヤの音を鳴らしながらパトカーと黒塗りの車の集団が先ほど俺が写真を撮っていた建物の方に走りすぎて行った。
 ルカシェンコの車を撮ったら、さすがに無事には帰れないだろうなぁー・・・

 何だか楽しいのでウロウロしている間に、気が付けば12時半。 宿に行かなければ。
 預けてあった荷物を取り、再び宿に向かうと朝とは違うおばさんが座っており、「部屋はない!」。
 えー!! まだ12時半だぜ。 ちょっと粘ってみるものの、「ないものはない!」と『ない』と書かれた(多分)ボードを目の前に叩きつけられた。
 かなりショック・・・ 安宿のないミンスクで、ここだけが俺の唯一の頼みの綱だったのに。

 仕方がないので、ガイドブックに『ミンスクで最安ホテルで、1泊20〜40ドル』と書かれている宿に向かう。
 道が分からないので、警官に聞いたり、バスにタダ乗りしたりして何とか辿り着いたその宿も、「一番安い部屋で52ユーロ(約7,800円)」と言われ唖然。
 さすがに52ユーロは無理だ・・・ 幾ら迷っても、やっぱり無理だ・・・
 もう安宿を探す気力もなくなった。 ベラルーシで野宿は、さすがに難しそうだ。 外国人は滞在登録が必要だから、野宿では登録出来ないし。

 しばし呆然として、考え込む。 選択肢は3つあった。
@今からベラルーシ国内のブレストという町に行く。
A今からバルト3国のリトアニアに行く。
B今からウクライナの首都キエフに行く。

 ミンスクからブレストまでは列車で6時間ほどだから、今から行ったところでブレストに到着するのは真夜中になる。 真夜中に着いて、かつ安宿を確保出来なかったら相当辛い。

 リトアニアに戻れば、行ったことのある所だから安心。 ここから4時間程度の距離だし、逃げ場としては最適。 でも、その後のルートが困る。

 ウクライナに抜ければ、今後のルート的には楽。 でも、いまいち安宿の情報が少ないので、ミンスクの二の舞にならないか心配。

 1時間以上迷った末、駅に戻る。
 電光掲示板を見ると、夜8時50分にミンスクを出て、翌日の9時にウクライナの首都キエフに着く便がある。
 これに決めた! ウクライナに抜ける!

 チケットも無事に買え、夜の列車でミンスクを出た。
 あ〜ぁ、ベラルーシ何泊かしたかったのにな・・・ ネットで調べたら、警官によく職務質問されるとか色々ネガティブな情報しかなかったけど、俺はウロウロしてても1度も職務質問されなかったし、逆に親切だったから良いイメージしかない。 ただ宿だけが、物価に対して異様に高過ぎる・・・
 ベラルーシの宿には3種類の料金が設定されている。 @ベラルーシ人、A旧ソ連の国だった人、B外国人。 外国人はベラルーシ人の2.5倍から3倍の料金を払わなければいけない・・・ それが辛い。

 『レトロ・ソビエト』ベラルーシが予想以上に面白かったので、また機会があったら来たいと思います。 今度は西部にあるブレストという町にも、ばりばりソビエトチックな博物館があるらしいから、そこに行ってみたいし。
 人も皆親切だった。 英語を話す人は皆無だったけど、まぁこれはロシアも一緒だからな。 そういえば、『ベラルーシ祖国防衛博物館』のおばちゃんの1人が上手に英語を話していた! さらに、道を聞いた警官たちに「Be careful」と英語で言われた!

 なんだか世界から取り残されてる感の雰囲気が、たまらなくヒットな国でした。

旅の出費;(ベラルーシ・ルーブル)
トイレ: 280ルーブル
地下鉄: 500ルーブル
入場料: 5,000ルーブル
ロッカー: 1,690ルーブル
外食代: 47,960ルーブル
国際列車代(ミンスク→キエフ): 52,360ルーブル
合計: 107,790ルーブル(約6,060円)

ベラルーシ祖国防衛博物館
2006年12月8日(金)
ウクライナ

 アッという間に、俺にとってヨーロッパ20カ国目になる『ウクライナ』に到着。

 深夜3時頃、ベラルーシとウクライナの国境を越えた。 列車内にイミグレーションと税関の係官が乗り込んで来て、出入国手続きをする。

 ベラルーシ側のイミグレは特に問題なし。 そりゃ、24時間くらいしか滞在していないからな。
 でも、軍服を着た係官が、ずーっとパスポートの写真と俺の顔をフーフー言いながら見比べていた。 何?そのタメ息は?
 『分からん!』みたいな顔をして、首をひねりながらずーっと見比べていた係官は、ついにはルーペを取り出してパスポートを調べたり、光に透かして見たり、色々調べていました。 そして、俺はそんな係官をボケーっと眺めておりました。
 何か発見出来るといいね!

 そういえば、ベラルーシ入国の際に外国人はベラルーシの保険に強制加入しないといけないんだけど、滞在中も出国時も保険加入の確認は一切なかった。

 続きましては、ウクライナの入国審査。
 これまた軍服を着た体格のよい係官が乗り込んできて、パスポートに入国スタンプを押し始めた。
 俺の番になり、パスポートをペラペラとめくった係官は、俺のパスポートにだけ入国スタンプを押さず、「ちょっと来い」。
 おーっと、初呼び出しですよ!! 車両の端に俺を連れてきた係官は、曇った窓ガラスに指で『20$』と書いて「よこせ」というジェスチャー。
 ほほー、何で? 一応、理由を知っておかないといけないので質問してみるものの、ウクライナ語とロシア語しか話せない係官の言っていることが分かるわけもない。
 どうやら彼の話せる英語は「ダラー」のみらしい。
 理由も分からずに20ドルも払うほど、俺はお人好しでもないので、当然拒否。 すると、係官は『入国スタンプは押さない』みたいなジェスチャーをして、パスポートを返して次の車両に行ってしまった。

 んー・・・ まぁ面倒だけど、キエフに着いたら日本大使館にでも電話して「寝てる間に入国審査が終わっちゃってたみたいで、入国スタンプをもらい忘れちゃったんですけど・・・」とでも言えば、助けてくれるだろう。
 寝よっと。

 ・・・・・・

 ところが、しばらくすると再び同じ係官が現れ、2度目の呼び出し。 今度は、自分の手のひらにボールペンで『20$』。
 だからー、何のための20ドルなの? 「ビザ代?」と聞くと、そうではないらしい。 そりゃそうだ、日本人はウクライナ入国にビザは必要ないからな。
 理由が分からないまま、ファイナルアンサー。

 係官:「イエス? ノー?」
 俺:「んー・・・ じゃぁ『ノー』でお願いします!」
 係官:「ファイナルアンサー?」
 俺:「ファイナルアンサー!」

 やべー、係官がみのもんたに見えてきた。
 目を見開いて大きく頷く係官。 おぉ、正解?!

 係官:「ノー・ウクライナ!!」
 ほえ?! どうやら彼的には不正解だったようだ・・・ 『荷物を持って列車を降りろ!』みたいなジェスチャーをしている。 列車の車掌にも『こいつが列車から降りるからドアを開けろ』みたいなことを言っている。

 そうか・・・まぁ、そこまで言うなら仕方がないな・・・

 降りるか。

 抗議もせず、大人しく部屋に戻って身支度をする。
 帽子を被り、リュックを背負い、「さぁ、行くか!」と思ったところへ係官が近づいて来て、『戻れ』とジェスチャー。
 えー! どっちだよ?!
 返してきたパスポートには、しっかりとウクライナ入国のスタンプが押されていた。

 なーんだ、結局はただの恐喝だったわけだ。
 確かに、入国スタンプを押さない、入国を認めない、これだけの権限があれば恐喝しても有利に立てるもんな。
 久しぶりに出会った腐れ入国審査官でした。

 午前9時過ぎにウクライナの首都キエフに到着。
 もうヘロヘロだ。 2晩連続で夜行列車は疲れる・・・
 駅の構内にある安宿に行ってみると、「12時に来い」と追い返された。
 今日こそは安宿を逃すわけにはいかない! トイレにも行かず、飯も食わず、3時間ひたすら宿の前で12時が来るのを待っていた。

 12時ぴったりに再びレセプションへ。
 絶対に泊まるからな!という気合の元、ベッドを確保! ようやくベッドの上で横になれる(涙)。

 シャワーを浴び、ひたすら爆睡。

 写真は、ミンスクにある『ベラルーシ祖国防衛博物館』。 戦車とかいっぱい置いてあります。

旅の出費
外食代: 24グリブナ
宿代(1泊分): 80グリブナ
合計: 104グリブナ(約2,570円)

キエフ・ネザレージュノスティ広場
2006年12月9日(土)
ペチェルスカ大修道院

 いやー、ゆっくり寝れて幸せ! やっぱ宿が決まっていないと、ホームレスみたいな気分で落ち着かないもんね。
 昼ぐらいまでひたすら寝て、お出掛けする。

 キエフの地下鉄も、ロシア同様に地下深い! でも、運賃は約11円くらいで激安。 これならお金を気にせずに乗れる。 フィンランドなんて、1回路面電車に乗っただけで300円もするからね! それに比べたらハナクソみたいなもんですよ。
 まずは、キエフ中心部に行ってみた(写真)。
 ここは、ネザレージュノスティ広場と言う長ったらしい名前の広場で、まぁ普通の広場。 少しブラブラしてみたが、大して面白くもないので、移動。

 ガイドブックを見ると、ペチェルスカ大修道院というところがキエフ最大の見所らしい。 UNESCOの世界遺産にも登録されているようだ。
 よーし、ここ行こ!と、地下鉄に乗ったはいいが、訳の分からない場所で降りてしまった。 道を聞きまくるものの、ウクライナ語だからさっぱり分からん。 ただ、横に見えている丘の向こうだということは、何となく理解した。
 じゃぁ、丘を越えていけば着くか?と道なき丘をヒイヒイ言いながら登る。 最初は良かったのだが、段々バカらしくなってきた。
 俺って、ここまでして観光したいのか? そんなに修道院が大好きなのか? 帰ろうかとも思ったが、帰ったらもう二度とペチェルスカ大修道院には来ない気がして、今回だけ頑張ってみちゃうことにした。

 1時間掛けて、ペチェルスカ大修道院に到着。
 すでに見る前にヘロヘロになっている。 それなのに、ペチェルスカ大修道院がこれまた広いから大変・・・
 なんだか教会が何個も集まっていて、地面にはお墓がいっぱいあった。 教会は、ネギ坊主頭のロシア正教会でと似てるけど、ちょっと違う感じ。 “発育途中のネギ坊主”みたいな?
 この地に最初に修道院が建てられたのは1051年らしいけど、昔の修道士は自分で掘ったお墓に住んで修行してたんだって。 そしたら死んだ時に埋葬の手間が省けるもんな。 最初っからお墓に住んでたわけだから!
 その墓とやら、結局見ませんでした。
 どこにあるか分からなかったし、あんまり興味ない。 もう疲れたから帰りたい・・・

旅の出費
雑費: 40グリブナ
入場料: 5グリブナ
ロッカー: 5グリブナ
地下鉄: 1.5グリブナ
外食代: 74.1グリブナ
インターネット: 17グリブナ
宿代(1泊分): 80グリブナ
合計: 222.6グリブナ(約5,000円)

ペチェルスカ大修道院
2006年12月10日(日)
チェルノブイリ

 キエフの旅行代理店では、350ドル(約4万2千円)くらいで『チェルノブイリ・ツアー』なるものを敢行しているらしい。
 う〜む・・・ちょっと興味をそそられるが、ちょっと怖い気がする。 目に見えるものなら、危ないのか?危なくないのか?ある程度自分で判断出来るが、放射能汚染物質となると自分では分からないからな。

 さて、チェルノブイリ原発事故とは何だったのか?
 20年前の1986年4月26日、キエフの北およそ130km、ベラルーシとの国境およそ10kmのところにあるチェルノブイリ原子力発電所の原子炉4基のうち1基が制御不能に陥り、水蒸気爆発を起こした。
 爆発の威力は、広島に落とされた原爆の90倍。
 原子炉の防護壁は爆風で吹っ飛び、約5000万キュリーの放射性物質が飛散したらしい。

 5000万キュリーって、そんなに凄いのかね?
 なんか、とにかく夏野菜がいっぱい!!って感じでビタミン豊富で健康そうなイメージだけど、実際はぜんぜん逆なんだろうなぁー・・・
 チェルノブイリが爆発前の環境に戻るには、さらに2万年以上掛かるらしいから、健康どころの話じゃないですよ!

 もちろん、今でもチェルノブイリの周辺はウクライナとベラルーシ2カ国にまたがって“放射能汚染地域”に指定されて、一般には立ち入ることが出来ない。
 チェルノブイリの町自体もゴーストタウンと化してるらしいけど、そんなところにピョコピョコ見学に行っても楽しいのかね? 幾ら放射性物質が5000万キュリー飛び散ろうが何しようが目には見えないんだから、どれだけ危ないのか、恐ろしいのか?分からない。
 350ドル分の“演出”はしてもらわないとねー。

 白い防護服に身を包んでチェルノブイリに入るツアー客。 町はゴーストタウンと化しており、世紀末の世界が広がっている。
 目に見えない何かに怯えてビクビクしながら歩いていると、いきなりケンシロウの声で「お前はもう死んでいる!」って言われちゃったりなんかして。
 いきなりのケンシロウの登場にビックリして、「え、俺? 俺が? 何で? えぇー! マジで?!」と、他のツアー客にしつこく同意を求めていると、
 『YouはShock!!』

 クリスタルキングかよ!
 って感じで『北斗の拳』リアル体験版を一通りクリアすれば、まぁ350ドル払ってもいいかなー?
 ある意味、安いツアーだよ。

 サラエボに引き続き、2度目の北斗の拳ネタでした・・・ サラエボの時とパターンが全く同じことから察して、今日は特に日記に書くようなことは何もしてないらしいです。

旅の出費
地下鉄: 1グリブナ
食費: 8.47グリブナ
外食代: 48.8グリブナ
インターネット: 23グリブナ
宿代(1泊分): 80グリブナ
列車代(キエフ→オデッサ): 59グリブナ
合計: 220.27グリブナ(約4,930円)





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