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アジア横断シルクロード日記


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現在地はどこなの?

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夕日を浴びたイチャン・カラ in ヒヴァ
2007年5月28日(月)
旧市街を満喫した日

 写真は、夕日に赤く染まるヒヴァの旧市街(イチャン・カラ)。 左にジュマ・マスジディのミナレット(42m)、真ん中にイスラーム・ホジャのミナレット(44.8m)、右に途中で建築を中止したカルタ・ミナール(26m)が一望出来る。

 段々と一眼レフ・カメラの使い方に慣れてきた。
 ファインダーを覗いてピントが合っていたら、写真はピントが合っていない。 ピントが合っていなかったら写真はピントが合っている。
 意味不明だが、実際にそうなんだから仕方がない。
 時代の最先端を走る“難しいカメラ”を手に入れてしまったようだ。 やったね!
 『難しいカメラを使っている』=『プロフェッショナル』を名乗ってもいいのではないか?

 今日も充実した一日だった。
 まず、午後に起きた。
 その後は部屋でダラダラして、宿の外に出たのは夕方5時過ぎ。 ビールを買いに行こうと思って。
 それだけかな?今日やったことは。
 いやー、旧市街を満喫した一日でしたよ!
 旧市街最高! 旧市街大好き!
 エアコンが効いた部屋は嫌い!

旅の出費
ビール: 1,300スム
外食代: 9,000スム
宿代(4泊分): 40USドル
合計: 40USD+10,300スム(約5,550円)

ルーフナーマとバシュ茶
2007年5月29日(火)
続いてのオアシス都市は・・・

 初公開! 俺のバシュ・コレクション!
 「欲しい」って言っても、あげないからね。
 左がバシュの著した『ルーフナーマ(魂の書)』日本語版。 右がバシュの顔写真入りお茶。
 まぁー正直に言うと、かなり邪魔です。

 今日は移動日。 ヒヴァから東に向かって、ブハラにやって来た。
 9世紀にイスラム文明のサーマーン朝が黄金期を迎えた時の首都だった町だ。
 ヒヴァからマルシュルートカでウルゲンチへ。 ここで長距離マルシュルートカに乗り換えて6時間半かけてブハラにやって来た。 クズルクム砂漠を横断する道路で、所々で道路の状態が悪く、けっこう疲れた。

 宿探しは、最終的に1泊10USドルで朝食・エアコン・TV付きのシングルに決めた。 大体の相場はこんなものだろう。
 ところが、夕方に旧市街で愛想の良いカフェのお姉さんとおしゃべりをしていると、謎のおばさんが現れ「うちに1泊5USドルで泊まらないか?」と言ってきたではないか!
 えー、そんな宿があったんだ・・・
 一緒に部屋を見に行ってみると、普通の家を旅行者に開放している無免許営業のゲストハウスだった。 でも、5USドルは今の半額で魅力的だ。 既に3泊分を払ってしまったが、その後に移動しようかと思っている。 ちなみに、エアコンはないがホットシャワーは出るし、連泊すればこの金額で朝食も付く。

 ところで、愛想の良いカフェのお姉さんだが、前歯が全部金歯だった・・・ まだ若いのに。 どこの国からか?は忘れたが、トルコを過ぎた辺りから「金歯だとセクシー」らしく、わざわざ自前の歯を抜いて金歯を差すらしい。
 ・・・それはセクシーなのか?

 日本のおばあちゃんたちも、大挙して中央アジアに来ればいいのに。 「見てよ、私の金歯!」みたいな。 「総入れ歯&オール金歯よっ!」ってだけで、セクシー度全開で再婚相手が見付かるんじゃねーか?
 あなたのその金歯をちょっとアピールするだけで、あんなことやこんなこと、はたまたあんないやらしいことや、こんな破廉恥なことまで、めくるめく酒池肉林の世界が!
 俺も、おじいちゃんになったら・・・ グヒヒヒ

旅の出費
タバコ: 700スム
タクシー: 500スム
宿代(3泊分): 30USドル
インターネット: 1,000スム
外食代: 3USドル+1,400スム
市内マルシュルートカ: 200スム
マルシュルートカ(→ウルゲンチ): 600スム
マルシュルートカ(→ブハラ): 6,000スム
合計: 33USドル+10,400スム(約4,750円)

ウズベク人のおじさん4人組 in ヒヴァ
2007年5月30日(水)
あまりに遅過ぎる

 インターネットがすっげー遅くてイライラする。
 ヒヴァもダイアルアップで、Yahooのトップページを開くのに8分かかって、我慢出来なくなって止めた。
 ここブハラも遅い・・・ トルクメニスタンの写真をスライドでホームページに掲載しようと思って、写真をアップしようとしたが、27枚中20枚を4時間かけてアップしたものの、ついに我慢の限界が来て止めた。
 仕方がないから、また明日挑戦します。

 そんなわけで、ブハラに着いて2日目になりますが、何一つ観光名所を見ていません。
 起きたら午後2時を過ぎちゃってた、というものあるけど、インターネットに行って1日が終わってしまいました。
 相変わらず有意義に一日を送っています。

 今、旅のルートを迷っていて、ここの次に行くサマルカンドを出るまでに決めてしまおうと思っている。
 当初の予定ルートは、ウズベキスタン→タジキスタン→ウズベキスタン(再)→カザフスタン→キルギスタン→中国、だったのだが・・・
 新たに脳味噌内で浮上したルートは、ウズベキスタン→カザフスタン→キルギスタン→タジキスタン→アフガニスタン→パキスタン→中国、となる。
 予定ルートでは、グネグネと蛇行しながらゆっくりと北上して行って普通に中国に入るのだが、新ルートは最初に一気に北上してカザフスタンを最北地点として南下、アフガニスタンまで南下した後に東に向かってパキスタンに抜けて、そこから再び北上してフンジュラーブ峠(4730m)を越えて中国に入るというもの。 どっちにしてもグネグネなんだけど、新ルートの方がアフガニスタンとパキスタンの2カ国多い。
 まぁ、問題がアフガニスタンの道路状況だな・・・ 凸凹道路を長距離移動するのが嫌いだから。

 写真は、ヒヴァで会ったおじさん4人組。 国内旅行でヒヴァに来ていたっぽい。 「撮ってくれ」と言われて、撮って液晶で見せてあげると、喜んで満足して帰って行った。

旅の出費
食費: 450スム
外食代: 2,500スム
インターネット: 2,600スム
合計: 5,550スム(約510円)

ブハラの子供たち
2007年5月31日(木)
ブハラ観光スタート

 ブハラ滞在3日目にして、ようやく観光する気になりました。 宿から5分も歩けば、数々の荘厳なイスラム建築物があることを今日になって発見しました。
 ただ、ヒヴァ同様にブハラもクソ暑いので、炎天下をブラブラしていたらヘロヘロになった。

 何個か見た建築物の内、今日一番良かったのは『カラーン・モスク』と『ミーリ・アラブのマドラサ』。 2つの巨大建築物が向かい合わせに建っていて、近くに立つとカメラのファインダーに収まりきらないくらい。
 『カラーン・モスク』の前には『カラーン・ミナール』という高さ47mの塔が建っている。 噂によると、チンギス・カンがブハラを征服した時、この塔を見上げたら被っていた帽子が落ちてしまったそうな。 高いからね。 そのせいで、この塔を設計した人は塔の上から投げ落とされて処刑されてしまったらしい。
 よく考えると、もの凄いキレ方じゃないか?
 「見上げたら帽子が落ちちゃったじゃねーか、この野郎!」って事でしょ? どう考えても、お前が悪いよ! 最初から見上げないとか、片手で良いから帽子を押さえれば済む話のような気もするけど、そこは世界史上で最大の帝国を作り上げたチンギス・カン、キレ方もブッ飛んでいたようです。
 良かったぁ〜、日本には神風が吹いて・・・
 どんなキレ方をするか分からない奴が日本に上陸していたら、日本は大変でしたよ! 「このお味噌汁、味が薄いじゃねーか、この野郎!」とかなったら・・・
 あぁ考えただけで恐ろしいや・・・

 数々の建築物も良かったが、出会った現地人も良かった。 観光地なので、人々もそれなりに観光客ズレしている部分があるが、根は純粋なんだろうなぁ〜と思う。 何だか10年前のカンボジアのアンコールワットを思い出してしまった。 観光客に絡んでくる人を、無視せずにちょこっとだけ相手にしてみれば、実は皆さん根は良い人たちだったりする。
 写真の子たちも、観光客にくっ付いて歩いては「ボンボン、イエス?」と言ってくる子たちだ。 傍から見ていると、ほとんどの観光客は2人を無視していたが、俺は少し相手にしてみた。 そうしたら、「写真を撮ってくれ」と言う。 カメラを向けるとすごく良い笑顔をするので、普段はあまり人を撮らない俺も楽しくなった。 特に写真右側の子は、非常に良い笑顔をして可愛い。
 子供を「可愛い」と思うなんて、俺もオッサンになったのかな?
 結局、俺は彼らの家に呼ばれて、なぜか家族の写真を撮らされ、お茶をご馳走になって帰ってきた。
 後で同じ場所を通りかかると、相変わらず2人は観光客のグループにくっ付いて「ボンボン、イエス?」と絡んでいたが、俺を見付けると手を振って走ってきた。 「ボンボン、イエス?」は言わずに。

 ん・・・?

 もしかして、俺って(自分でも気が付いていなかったが)すっげー爽やかお兄さんみたいなキャラなんじゃねーか?!
 えー、日本に帰ったらNHK『みんなのうた』のお兄さんを目指します! さぁ、みんなで手をつないでおうたを歌おう!
 オェ〜ッ

 『アブドゥッラー・ハーンのティム』の前でいつもタバコやお菓子を売っている物売りの子も、誰も買ってくれなくて暇そうにしていたので手を振ったら、俺が前を通る度にニコッと笑顔で手を振るようになった。

 保父さんを目指した方がいいですか?

 しかし、俺も年齢と共に丸くなってしまった・・・
 昔はもっと尖ってたのにな。
 思い起こしてみれば、一番荒れてた時期なんて「秋田のチンギス・カン」と恐れられていたのに・・・

 あれは15才の夏だった。
 「風でお気に入りのベレー帽が飛んじゃったじゃねーか、この野郎!」とブチ切れた俺は、風を捕まえて処刑すべく、モンゴルの大草原を走り回って風と格闘したこともあった・・・
 帝国を広げるべく、尾崎豊と一緒に盗んだ馬で走り出したのも15の夜だった・・・
 行く先も分からぬまま。
 自由になれた気がした15の夜。

 (遠くを見つめながら)あの頃は尖ってたなぁ〜
 尾崎も遠征中に死んじゃったし、俺も子供に手を振るようではカンの称号を返上しねーとな・・・
 ハーンからやり直します。

旅の出費
食費: 1,450スム
外食代: 5,700スム
入場料: 1,250スム
インターネット: 1,000スム
合計: 9,400スム(約860円)

カラーン・ミナールと、ミーリ・アラブのマドラサ in ブハラ
2007年6月1日(金)
お引越し

 宿を移りました。
 1泊10USドルから、5USドルと半額になって、「こりゃ、長居出来るわい」と4泊してみることにしました。
 が、後でよく考えてみると、ブハラに合計7泊もしてまでやる事があるのでしょうか?
 とりあえず、一日一建築物を見れば7泊してちょうど良いかも知れん。

 そんなわけで、行動派のワタクシは早速にも観光をしてまいりました。
 今日行ったのは、『チャール・ミナール』。
 ブハラの観光ポスターに載っている写真が良い感じだったので、楽しみに行ったのだが、ビックリするくらい小さかった・・・ 確かにヘンチクリンな形をした建物で、面白いんだけど、1分もしたら飽きちゃう。
 ハイ、今日の観光終了!

 しつこいようだが、とにかく暑いので「ビ〜ル、ビ〜ル・・・」とうわ言のように呟きながら、ビール目指して一目散。 これからウズベキスタンはもっと暑くなるらしいが、今より暑くなるってどーいうことなんでしょ? 多分、観光とか無理じゃないの?

 ウズベキスタンのビールだが、基本的に不味い。
 その中で健闘しているのが『AZIA』だ。 俺も基本的に『AZIA』しか飲まない。 ラベルにウズベキスタンとドイツの国旗が並んでデザインされているところを見ると、もしかするとドイツのビール会社が絡んでいるのかも知れん。
 大抵の場合、お店で「一番美味しいビールをくれ」と言っても、自信たっぷりに不味いビールしか出てこない。 多分、ウズベキスタン人の味覚が暑さで狂ってるのだと思うが、彼らの「一番美味しい」は当てにせずに大人しく『AZIA』を飲んでおけば良い。
 ちなみに、彼らの「美味しい」と言うビールは、まず全然泡立たない。 味はウィスキーを10倍くらい水で薄めたような感じ。

 写真は、『カラーン・ミナール』(左)と、『ミーリ・アラブのマドラサ』(真ん中)。 右側手前の建物は、1914年に建てられた『アミール・アリム・ハーンのマドラサ』で、現在は図書館になっている。
 カラーン・ミナールの左側には、1万人が収容できる巨大『カラーン・モスク』があるのだが、全ては写真に納まりきらない。
 まだ時間があるので、全体を見渡せる場所でも探してみます。

旅の出費
食費: 900スム
タバコ: 700スム
外食代: 2,300スム
合計: 3,900スム(約360円)

チャール・ミナール in ブハラ
2007年6月2日(土)
ここなら勝てる

 ウズベキスタンで商売をしたら面白そう。
 これだけの観光資源があるのだから、ウズベキスタンのマーケットは将来的にもどんどん成長していくと思う。 正直、実際に来るまではここまで観光客が多いとは思っていなかった。 とにかく欧米からのツアー・グループが多い。 日本人もかなり多いようだ。

 ところが受け入れ側は?と言うと、レベルが低い。 設備的なハードの部分ではなく、ウズベキスタン人の思考的なソフトの部分でだ。
 とにかく、外国人からはお金を取れるだけ取ろうという考えが根底にあるので、サービスにもムラがあったり、料金体系にも一貫性がない。

 例えば、6月に入って暑さが厳しくなり、観光客の数が徐々に減っていっている。 これはローシーズンに当たり、普通は宿泊代を下げてでも部屋を埋めた方が良い。 工場が設備の稼働率を考えるのと同様に、ホテルも部屋の占有率(だっけ?)を高めた方が良いからだ。

 ところが、ブハラの宿を見ていると、ローシーズンに入ったのに逆に宿泊代を上げたりしている。 考え方を簡単に言えば、「客が減ってきたので、減った分を上乗せして取りたい」から。 これでは客が離れるだけで、悪循環に陥る。

 さらに、ちょっと人気が出ると直ぐに調子に乗るのもウズベキスタン流。 中央アジア全体を通して一緒という意見もあるが、人気が出ると勘違いをして値段をいきなり2倍に上げたりするホテルも多い。 その途端に客が寄り付かなくなり、慌てて値下げするも後の祭りというケースが多々。

 あと多いのが、「隣りのホテルは10USドルだから、うちも10USドル」という考え方。 設備が隣りよりも劣っているにも関わらず、身の程に合った料金設定が出来ない、頭の痛い経営者が多い。

 こういう場所で新規参入したら、間違いなく勝てますよ。 だって皆さん、考え方が一緒で『競争の原理』がイマイチ生かされていないから。
 競争なきところに、成長なし。
 資本主義に移行して、まだ10数年。 まだまだ考え方が甘いのは仕方がないのかな?

 まぁ、新規参入して最初の1〜2年は簡単に一人勝ち出来るでしょう。 問題はその後かな? 異国の地で(しかも第三世界)、外国人が商売をする難しさが出てきそう。 特に一人勝ちしたら、妬みで嫌がらせとかも普通だろうし。 中央アジアは役所関係が相当にうざそう。 タイでさえ賄賂の世界なんだから、ここはもっと酷いでしょう。

 外資規制法の有無も知らないし、会社設立の手続きや免許申請の手続きがどれ位ややこしいのか知らないけど、面白いは面白いと思う。
 誰か、やってみれば?
 もしホテル経営をするのであれば、外国人の場合は複数年の長期契約でレンタルできる場合は別にして、不動産は購入した方がリスクが少ない感じがした。 ウズベキスタンで外国人が不動産を持てるのかどうか?は知らないけど。

 写真は、『チャール・ミナール』。 “4つのミナレット”という意味らしいが、実際にはミナレットではない。 今は跡形も残っていないが、昔にあった巨大マドラサ(神学校)の門の一部だったらしい。

旅の出費
食費: 550スム
タバコ: 400スム
宿代(4泊分): 20USドル
インターネット: 1,000スム
外食代: 6USドル+5,800スム
合計: 26USドル+7,750スム(約3,700円)

ブハラの子供たち
2007年6月3日(日)
安さよりも快適さ

 1泊5USドルの宿に移って、早3日目。
 最近気付いたんだけど、10USドル出してでもエアコン付きの部屋にいれば良かった・・・
 人によっては、宿はただ寝るだけの場所と割り切れば安ければ安い方が良いが、俺の場合は宿にいる時間が長いので多少高くても快適さを追求してしまう。

 今日も、午前中は部屋でゲームをしていたのだが、暑い! まぁ、「観光しろ」と言われたらそれまでなのだが、飽きちゃったんだよね、イスラム建築。 イランのエスファハーンから同じような建築物を見てるから、だんだん感動が薄れてきた。
 外に出たら出たで、だんだんと知っている人が増えてきて、いちいち挨拶するが面倒くせー。 しかも、照り付ける太陽が頭皮をジリジリと焼いて、「禿げるんじゃねーか?」って思ってしまう。

 でも、もう2泊しないといけない・・・
 その後、真直ぐサマルカンドに向かう予定だったけど、ちょっと寄り道してから行くと思います。 少し南下して、アフガニスタン&タジキスタンとの国境に近いボイスンという町に行こうかな?と思ってる。

旅の出費
食費: 1,050スム
インターネット: 900スム
合計: 1,950スム(約180円)





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