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アジア横断シルクロード日記


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現在地はどこなの?

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マスジェデ・シェイフ・ロトフ・オッラー in エスファハーン
2007年5月14日(月)
イランの2/3

 夜にライトアップされたエマーム広場を見に行ってみた。 でも、思っていたほど綺麗じゃなかったな・・・ ちょっと、がっかり。
 やはり、『エスファハーンは世界の半分』とは誇張のし過ぎだと、再確認。

 でも、俺はエスファハーンが好き。
 イランを足早に通り過ぎているだけで、じっくり観光して回るわけではないから、全部でほんの数都市しか訪れないけど、多分エスファハーンはイランで一番美しい街だと思う。
 『エスファハーンはイランの半分』と言われたら、納得してしまうだろう。 下手したら、『イランの2/3』でも許しちゃう。

 まず、オアシス都市だけあって、緑が豊かだ。
 通りの真ん中は緑地帯になっており、木々が生えて落ち着いた雰囲気だ。
 人も全然ウザくない。 良い方向で観光客慣れしているのだろう。 しつこい客引きもおらず、落ち着いて観光が出来る。
 最初は、ルート上から大きく外れる場所にある町だったので来る予定はなかったが、実際に来てみて思えば、来て良かった。

 写真は、『マスジェデ・シェイフ・ロトフ・オッラー』の外壁。 ここは、1601年から17年の年月を掛けてシャー・アッバースT世によって建てられた、王族の礼拝用のモスクだ。 壁のタイルの繊細な模様が美しい。

旅の出費
外食代: 62,000リアル
水タバコ: 10,000リアル
インターネット: 10,000リアル
合計: 82,000リアル(約1,020円)

バザールの入り口 in エスファハーン
2007年5月15日(火)
一路トルクメニスタンとの国境へ

 暑〜い!!
 温度計を見てビックリ。 43度もある・・・
 ダウンジャケットをあげて良かった。 というか、いきなり春先だったアルメニアから、真夏のイランに山を降りてきたせいで気温の変化が激し過ぎ!!

 今日は移動日でーす。
 エスファハーンから直接、トルクメニスタン、アフガニスタンとの国境に近いマシュハドという町まで行っちゃいます。
 クソ暑い中、荷物を持ってバス・ターミナルまで移動。 夕方5時発のマシュハド行きバスに乗り込む。

 地図を見ると、エスファハーンとマシュハドの間にはキャビール砂漠があり、この砂漠の部分は交通網があまり発達していないようだ。
 そのため、キャビール砂漠を避けるルートで、エスファハーンから首都テヘランに戻り、そこから東へマシュハドを目指すものだと思っていた。 ところが、運ちゃんに聞いてみるとキャビール砂漠を縦断してマシュハドに向かうらしい。

 実際に走ってみると、バスが通る割には少し細い道路のような気もするが、道路自体のコンディションは悪くない。 それにテヘランを経由すれば20時間以上掛かるが、キャビール砂漠を縦断すれば15〜6時間でマシュハドに着けるそうだ。
 国によっては、首都集中の交通網しか発展してなくて、どこに行くにも一度は首都を経由した方が良い場合もあるが、イランの場合は地方都市間の交通網も発展しているなぁーと思った。
 まぁ、エスファハーンもそれなりに大きいし、マシュハドも人口300万人を誇る大都市だからかな。

 写真は、エスファハーンのバザール入り口。

旅の出費
市バス: 250リアル
外食代: 32,000リアル
宿代(2泊分): 70,000リアル
インターネット: 16,000リアル
合計: 118,250リアル(約1,470円)

水タバコを吸う人 in エスファハーン
2007年5月16日(水)
聖地は雨模様

 マシュハドに到着!
 ここからトルクメニスタンとの国境までは約3時間ほどの距離なので、明後日のトルクメニスタン入りには充分間に合う。

 ここマシュハドは、シーア派イスラム教徒の聖地だ。 一般的に世界中のムスリムはほとんどがスンニ派で、シーア派の方が数では圧倒的に少数だが、イランだけは人口の95%をシーア派が占める。
 スンニ派とシーア派の違いは、分かりやすく言えばキリスト教のカトリックとプロテスタントみたいなもんか?

 もちろん最大の聖地はメッカなのは一緒だが、ここマシュハドにも『エマーム・レザー廟』という巨大な聖廟があり、シーア派の巡礼で賑わっている。
 あのエスファハーンを“世界の半分”にまでしたシャー・アッバースT世も、エスファハーンから歩いてマシュハドまで巡礼したらしい。
 俺はバスで来たけどな。

 マシュハドの町自体も、エマーム・レザー廟(略してハラム)を中心とした造りになっていて分かり易い。
 午前10時くらいに着いた時も、バスターミナルから市バスで一直線でハラムに行け、その近くの安宿街に宿を取った。
 聖地なのでムスリム以外お断りの宿も多いらしいが、英語を片言話す宿の客引きがいて宿探しは苦労しなかった。

 しっかし、マシュハド寒い・・・
 雨が降っているせいもあるかも知れないが、Tシャツの上に長袖シャツを着ているくらいでは寒い。 なんなんだ、この気温の変化は!!
 夜には、さらに雨が激しくなってきた。

 写真は、水タバコを吸うおっさん2人組。 別に撮りたくなかったのだが、「撮ってくれ」と言われたので嫌々撮った。
 水タバコは、ペルシャ語でガリヤーンと言う。 ずーっとシーシャと呼んでいたので、今でもつい癖で「シーシャ」と言ってしまう。

旅の出費
外食代: 47,000リアル
宿代(2泊分): 80,000リアル
合計: 127,000リアル(約1,590円)

エマーム・レザー廟 in マシュハド
2007年5月17日(木)
イスラムの聖地

 マシュハド最大の見所と言えば、文句なしに『エマーム・レザー廟』だ。
 そもそも“マシュハド”という名前自体が“殉教の地”という意味を持っているのだが、人口300万人のこのマシュハドは『エマーム・レザー廟』の門前町として発展してきた。

 今日はその『エマーム・レザー廟』(略してハラム)を見に行って来た。
 中に入ろうとすると、警備の人に「ムスリムか?」聞かれ、「違う」と答えると「迎えが来るから待っていろ」と言われた。 どうやらガイド(無料)が付くらしい。 1人で勝手にブラブラしてもいいか?聞いてみたが、駄目だと言われた。 やはり異教徒に霊廟内をブラブラされたくない&見張りなのだろう。

 ハラム内は撮影厳禁で、ガイドに「こっそり撮っていい?」と聞いてみたが、やっぱり駄目だった。 ところが、携帯電話で撮るのはOKらしい。 意味が分からん。
 今日の日記に使ったのは、門の外から撮ったハラムで、あまり感じが分からない。

 ガイドに連れられて内部を歩いてみたが、めっちゃくちゃ広い!! エスファハーンのエマーム広場(王の広場)の2〜3倍はあるんじゃないだろうか?
 ハラムの中には、2つのモスク、2つの博物館、6つの神学校、4つの広場がある。 モスクは、エスファハーンのエマーム・モスク(王のモスク)に負けず劣らずの緻密なデザインの青タイルで覆われており、見る人を圧倒する。 ミナレット(アザーンを流す尖塔)は金で出来ており、これまたビックリ。 とにかく“霊廟”らしく、スケールが大きく豪華だ。
 巡礼者たちの姿も含めて、非常に興味深かった。

 夜、メールを確認していたらビックリした!
 グルジア内に2つの自称国家があることは前に書いたが、その内の1つ『アブハジア共和国』からグルジアに入って来た知り合いが、アルメニアに出国しようとしたところ国境警備隊に逮捕。 そのままトビリシに移送され、略式裁判の結果“入国管理法違反”で有罪になって、2週間刑務所だって! 刑務所は20人房に囚人100人とゴキブリがひしめく恐ろしい場所だったそうで、保釈金20万円以上を払ってようやく今日に出獄してきたらしい。
 最近、自称国家との間の国境管理が厳しくなっているようで、同じ房にいたグルジア人なんて、『南オセチア共和国』との国境付近の村に住んでいて、南オセチアの首都ツヒンヴァルに煙草を買いに行った帰りに捕まって刑務所だって・・・ 悲し過ぎる・・・
 って、俺すっげー危なかったじゃん!!
 しかも実際に捕まったし、下手したら刑務所に入ってたかもな・・・ しかも、保釈金が20万円って!!
 まぁ、捕まったのが国境ではなく、『南オセチア共和国』内の飛び地になっているグルジア人支配地域で、しかも捕まったのが国境警備隊ではなく内務省軍だったのが幸いだったようです。
 運が良かったみたい、俺。 エヘへ

 皆さんも、怪しい場所に行く場合はそれなりの覚悟をして行きましょう。

 ところで、今日でケープタウンを出発してから16ヶ月が過ぎた。
 この1ヶ月間で使ったお金の総額は、7万660円。 なんか、徐々に物価の安い国に移動して来ているのに、あまり出費の額は変わらないのは何でだろう?

旅の出費
外食代: 40,000リアル
インターネット: 12,000リアル
合計: 52,000リアル(約650円)

黄金のバシュ像 in マリ
2007年5月18日(金)
トルクメニスタン入り

 俺にとって“スタン”1カ国目となる『トルクメニスタン』にやって来た。
 一般的には、中央アジアのハイライトはウズベキスタンであるが、この俺はトルクメニスタンを一番の楽しみにやって来た。
 怪しければ怪しいほど興奮するのだ。
 念の為に言っておくが、性癖ではない。

 トルクメニスタンは、カスピ海の東にある国で、南にイラン、北にカザフスタンとウズベキスタン、東にアフガニスタンと国境を接していて、国土は日本の1.3倍ある。
 この国の特徴を一言で表せば、「ニヤゾフ」になる。 去年の12月に死んでしまったが、あまりの独裁っぷりに、ついには神格化されたほどの怪しいおっさんである。

 どれだけ怪しいか?と言うと、1991年のソ連解体に伴うトルクメニスタン独立後に初代大統領に就任。 政敵は全て排除し、ついには1999年に憲法を変えて終身大統領になってしまった。 どんどん個人崇拝はエスカレートし、「神に遣わされし民族の指導者」と言われていたらしい。

 ちなみに、通常は「ニヤゾフ」という名前ではなく、「テュルクメン・バシュ」と呼ばれていた。 これは“トルクメ人の頭領”を意味する。 そんなわけで、今後は彼のことを「バシュ(頭領)」と呼びます。

 バシュは自分が大好きだったようで、トルクメニスタンの町中には至る所にバシュの看板があります。 どこもかしこも彼の顔だらけ。
 自分に関係する日を“国民の祝日”にしちゃったのも、彼の特徴。 まず、自分の「誕生日」。 そして、自分が大統領に選ばれた「初代大統領選出記念日」。 自分の母親が被災して死んだから、「アシュガバート大震災記念日」。 自分の好物だから、「メロン記念日」(モー娘。のユニットじゃないよ)。 意味が分からないが、「水の一滴は金一粒の日」ってのもあります。

 さらに、彼が著した『魂の書(ルーフナーマ)』という本があります。
 内容的には「トルクメ民族の高い精神は生来の素質であるが、バシュの指導によりさらなる精神的な極みに到達できる」といった内容で、「読めば天国に行きやすくなる」と国民に言われているそうです。
 そうとうイッちゃってます。

 今日の道のりは、まぁまぁ大変だった。
 イラン・マシュハドの宿を8時に出てバス・ターミナルに向かったが、俺が通りたい国境に行くバスは全然違うバス・ターミナルから出ていることが判明し、市バスを乗り換えたりして『ターミナル3』と呼ばれている、しょぼいターミナルに到着。
 ところが、着いたのは午前9時だったにも関わらず、「次のバスは午後2時」だって・・・ 時間がもったいないので、乗合タクシーで国境の町サラクスを目指す。

 2時間半ほどで国境に到着。
 イランの出国手続きはすんなり終わり、国境を越える。 なぜか、国境を徒歩で越えるのは禁止されており、専用マルシュルートカ(ミニバス)に乗らないといけない。 ここからいきなりの値段交渉スタート。
 最初の言い値2万リアル(約250円)を、「払いたくないから」という意味不明の交渉の結果、1万マナト+2,000リアル(約70円)と、“デビルマンの指人形”で最終決着。
 トルクメニスタン側の入国手続きは、税関で時間が掛かった。 所持金と電化製品の申告をするのだが、いちいち俺のカメラやパソコンに反応して仕事が遅い・・・ ただ単純に珍しいから反応しているだけなのだが、面倒くさい。

 ようやく入国したら、時差の関係もあって午後3時を過ぎていた。 5日間しかないトルクメニスタン滞在の1日目が、国境の町で終わってしまうのも勿体無いので、タクシーをチャーターしてマリという町まで行くことにした。 他に交通手段の選択肢が多ければ、タクシーのチャーターなんてしなかったが、“時は金なり”で片道3時間の道のりに15USドルを払うことにした。

 夕方、マリ州の州都マリに到着。
 いきなりありましたよ、金のバシュ像!!(写真) やばい、やばい! さらには銀行から市役所から駅から、バシュの顔がドカーンとデカっい看板である。 いやー、死んだから撤去されてるんじゃないか?って心配してたんだけど、きちんとありましたよぉ〜

 イランから入って来て、景色はそんなに変わらなかったのだが、人がガラッと変わったのが印象的だった。 「アジアに帰ってきました!」って感じの顔の人たちになった。 トルクメン人の顔を見ていると、生物学的には知らないがモンゴロイドに近づいている。
 しかも、シーア派とスンニ派という違いはあるが同じムスリムにも関わらず、イランの女性のように黒装束はいない。 皆、女性は色鮮やかな青や緑や赤の長いドレスを着ているが新鮮だ。 久しぶりのアジア顔だから、何だか可愛く見えるのは気のせいか?

 夕方、マリのバザールをウロウロしていたら、変なトルクメ人に「女を買わないか?」と聞かれたが、そんなことOKなの?
 けっこう保守的って聞いてたんだけど。
 ちなみに、最初の言い値は10万マナト(約480円)でした。 安っ!!

旅の出費
市バス: 1,800リアル
乗合タクシー: 3USドル+5,000リアル
入国税: 10USドル
マルシュルートカ: 10,000マナト+2,000リアル
タクシー: 360,000マナト
タバコ: 10,000マナト
外食代: 36,500マナト
宿代(1泊分): 30,000マナト
合計: 8,800IRR+13USD+446,500TMM
(約3,740円)

メルヴ遺跡 in バイラム・アリ
2007年5月19日(土)
過去のオアシス都市の繁栄と、今

 まず、首都アシュガバートまで行く夜行列車のチケットを買った。 5日間という短い期間で、なるべく効率よく回るためには一番良い選択肢だ。

 しかし、トルクメニスタンの物価の安さには驚く。 マリからアシュガバートまで8時間半かかるのだが、夜行列車の2等寝台が2万5千マナト! 額が大きいので高く感じるが、日本円に直すとたったの120円!!
 マリの宿なんて、トイレ共同シャワーなしではあるが、シングルで3万マナト! 日本円に直すとたったの144円!!
 やはり国境からマリまでのタクシーには相当ボラれたのかな?

 宿代が安いから朝にチェックアウトせずに、もう1泊分払って夜行列車の出発する夜10時までは部屋を確保した。 荷物を置く場所に困るし、ちょっと疲れた時に横になれるベッドが欲しいからな。

 昨日の夕方に引き続き、今日もマリ市内を少しブラブラしてみる。 最初に来た時にも驚いたのだが、ソビエトっぽい“計画都市さ”が顕著に表れている町で、無駄に広い道路(横断するのが大変)、至る所にある公園(目的地が遠くなる)があり、立派な町のくせに歩いている人は異様に少ない。 身の丈知らずってやつか? 人口と計画都市の面積的な大きさが合ってない気がするんだけど。
 しかも、あちこちに噴水がある。 「水の一滴は金一粒」なんじゃねーのか?!

 町の様子を写真に撮っていると、学校帰り(?)の子供3人組がジーっと俺の事を見ている。
 「写真を撮ってあげようか?」と身振り手振ると、3人が3人してニコーっと笑顔になって大きく頷いた。 撮って液晶で写真を見せてあげると、「サンキュー」と叫んで走って消えていった。
 イランの子供より遥かに可愛い・・・
 イランの宿に泊まった時、今日の子供と同じくらいの年齢の子供がスラックスを履いてワイシャツを着て(もちろん、ワイシャツはスラックスの中に入れている)、携帯電話をベルトに付けてレセプションで対応してたからな・・・ ガキのくせに、なんちゅー格好してるんだ!? おっさんと一緒じゃねーか!
 さらに「チン」とか「チニー」とか「チンチュンチョン」とか野次を飛ばしてこないのも、よろしい。 バザールをウロウロした時も一度も言われなかった。 もちろん外国人として目立ってはいる。 でも、話しかけてくる時は「どこから来た?」という聞き方をする。 カフカス3国では、最初っから中国人として扱われていたので、だいぶ進歩しているようだ。

 マリから、乗合タクシーに乗ってバイラム・アリという町に向かった。 ここでタクシーをチャーターして、オアシス都市メルヴの遺跡を見て回る。
 かつてシルクロード上のオアシス都市として繁栄したが、モンゴル軍によって全て破壊されてしまった。 範囲は広いメルヴ遺跡だが、実際に見れる“形”として残っているものは数少なく、ほとんどが“跡地”で何もない。
 一番“形”でキレイに残っているのが、『ソルターン・サンジャル廟』だが、俺の中で一番ヒットだったのは『ウル・グーズ・ガラー』(写真)。
 7世紀に造られた城塞跡だ。 何とか遺跡として見れるほどの“朽ち落ちた”感が良い感じ。 他なんて“朽ち落ち過ぎて”、何にも残ってないからな。

 遺跡好きならともかく、わざわざ行くほどの場所でもないかな? 俺も、ウル・グーズ・ガラーの写真を見て「行こう」と思ったのだが、実際に行ってみると大したことなかった。 イエメンのマーリブだって、シバの女王の『月の宮殿』、『太陽の宮殿』があるけど、「どこが?」ってくらい跡形もないのと一緒。 ウル・グーズ・ガラーも、写真で見ると凄いけど、わざわざ行くほどの凄さではない。
 まぁ、遺跡好きに言わせると、遺跡の中で佇みながら遥か古代に想いを巡らして悦に浸るのが楽しいらしいけど、俺は無理。

 夜10時、夜行列車に乗り込んで首都アシュガバートを目指す。

旅の出費
ビール: 20,000マナト
入場料: 52,000マナト
外食代: 81,000マナト
シーツ代: 3,000マナト
タクシー: 50,000マナト
乗合タクシー: 12,000マナト
宿代(1泊分): 30,000マナト
列車チケット(→アシュガバート): 25,000マナト
合計: 273,000マナト(約1,310円)

中立門と大地震博物館 in アシュガバート
2007年5月20日(日)
今年最高のテンションだった日

 トルクメニスタン、超おもしれー!!
 首都アシュガバートにやって来て、珍しく観光で興奮した。 俺が観光でテンション上がるなんて、半年に1度あるかないかですよ。
 前回はいつだっけ・・・? 確か、去年12月にベラルーシのミンスクでテンションが上がった記憶がある。 しか〜し、今回のテンションはベラルーシとは比較にならん!

 バシュ、やべー!
 バシュ、相当やべー!
 バシュとブッシュ、違いが分かんねー!

 今日一日フル観光して、分かった事がある。

 俺、バシュとは友達になれねーな。

 まぁ、残念ながら半年前に死んじゃったから、なりたくても友達にはなれないんだけどね。
 仮に・・・の話でも、俺は無理。
 だって彼、やばいもん。

 早朝6時半に、列車はアシュガバートに到着した。
 タクシーの言い値が予想以上に高く、「1USドル」などとほざいて来やがったので、どれくらい遠いか分からないが宿まで歩いて行くことした。
 たったの1USドルで“歩き”を選ぶなど、俺も落ちたものである。 「昔、会社を経営してたって?」、「またまた見栄張っちゃってぇ〜」って感じになってきた。
 俺だってタクシーに乗りたい。 でも、市内なら25円でタクシーに乗れるのに、115円って言われたら嫌だろ? 駅から少し離れたら流しのタクシーとかいるだろ?と思って歩き出したのだが、全然走ってねーよ!
 結局、宿まで2.5kmくらいの道のりを25kgの荷物を持って、道に迷ったりして1時間半以上掛けて歩いてしまった。 歩くのが大嫌いな俺にしては、スケールが大き過ぎる話で、自分でもあまりピンと来ない。

 普段の俺なら、ちょっと疲れてきた時点で「200円くらい出してもタクシーに乗っちゃおうかなぁ〜」と思うのだが、今日は違った。
 歩いていたら、見付けてしまったのだ・・・
 怪しげな広場を・・・
 俄然テンションが上がっちゃって、わざわざ一眼レフを取り出してしまった。

 見付けた広場は、『独立広場』と『中立広場』。
 くっ付いているので、どっちか一つの名前にしろ!と思うのだが、バシュ様がお決めになられた事なので従っておこう。
 まずは独立広場に、ソビエトの鎌とハンマーのマークが付いた第2次世界大戦記念碑が建っていた。
 そしてその先には、何やらロケットのような形をした塔が見える。
 むむむ、もしかしてあれは『中立門』じゃねーか!?

 ここで『中立門』(写真・右)について説明しよう。
 実は1995年にトルクメニスタンは“永世中立国”として国連に認められた。 平和が好きだからではない。 バシュの「トルクメニスタンは俺様のもの」という意思の表れである。
 で、永世中立国として認められた記念に、1998年に建てられたのが『中立門』である。
 門と言っても、見た目は塔なのだが、頂点には黄金のバシュ像がくっ付いている! さ、さらに、太陽の動きに合わせて回転しちゃうのだっ!
 やばいって・・・
 趣味がばれちゃいますよ、バシュ!

 大きく両手を広げたバシュ。 その先には必ず太陽が位置するようになっている。 まるで太陽に向かって「カモ〜ン!」と言っているかのようである。 その格好のまま、太陽と一緒に回転するのだ。
 今日の日記の写真は、左側に『大地震博物館』、右側に『中立門』が写っているが、写真では『中立門』の上の黄金のバシュ像は小さく感じる。 でもね、『中立門』自体が相当デカイから小さく感じるだけであって、バシュ像もかなりデカイよ。

 さらに『中立門』の周りには、金のドームの『トルクメンバシュ宮』とか、「なんじゃこりゃぁ〜!」と叫びたくなるような建物が沢山あってついつい興奮してしまった。

 ちなみに、アシュガバートはやたらと警官が多い。 「海外から偉い人でも来ているのかな?」と思うほど多い。 朝の『独立広場』にも、警官が10数人くらいでヤンキー座りをしてたむろっていた。 他には政府系の建物の回りには必ずウロウロしているし、道路にも数十mおきに立っている。
 ある警官に、「トルクメンバシュ宮は撮影禁止だ」と言われたので、「じゃぁ、それ以外は良いんだな」と隣りのルーヒエット宮の写真を撮った。 そしたら、別の警官が笛を吹きながら来たー!
 「今、撮った写真を見せろ!」みたいなことを高圧的に言って来る。
 嫌だね。
 警官は俺から一眼レフを取り上げて、一生懸命スイッチを入れようと頑張っている。 でもスイッチが分からないようだ。 「どうやったらスイッチが入るんだ?!」みたいなことを言ってるが、教えるわけねーじゃん。
 結局、その警官はスイッチが分からず諦めて「どっか行け」。 「どっか行け」と言われると、近づきたくなっちゃうよね。 「ねぇねぇ、あの建物はな〜に?」と絡んでたら最後はキレられました。
 マヌケな顔のくせに高飛車に出やがって。

 なんだかんだで宿に辿り着き、1時間ほど休憩をして再び観光へ! いやー、精力的ですね。
 まずはバスに乗って、『タルクーチカ』と言われる砂漠の中のバザールに行ってみたのだが、大して面白くなかったので速攻帰ってきた。
 そして直ぐに『中立門』に行って、登ってみる。
 写真にも写っているが、中立門には足が3本ある。 その3本ともエレベーターになっていて、さらに真ん中の胴体の部分で別のエレベーターに乗り換えて、上の展望台まで行ける。
 展望台からは『トルクメンバシュ宮』が丸見え。 だって目の前だから。 撮影禁止も何も、上からバシバシ撮れちゃうじゃん。 下で撮るより、上から撮った方が問題なんじゃないのかな?

 しかし、上から見るアシュガバートは緑が豊かだ。
 バシュが“世界で最も美しい都市のひとつ”にするべく、天然ガス(埋蔵量世界5位)から得られた冨を「これでもか!?」ってくらい注ぎ込んでいる。
 確かにキレイだ。 計画都市らしく、幅の広い歩道、沿道には必ず木が生い茂り、あちこちに噴水だらけの公園がある。 タバコを吸っていると、警官に怒られる。 「灰皿のある所で吸え」だって。 ゴミも落ちていない。
 ただ、美しいか?と問われると、奇天烈な建物が多くて返答に困る。 しかも、今日だけで黄金のバシュ像を4体も見たぜ・・・ バシュの顔がアップで写っている特大看板なんて、街中の至る所にあるぜ・・・
 アシュガバートの説明が難しいが、ドバイの成金趣味&計画都市の部分が似ているから・・・ドバイとブルネイの首都バンダルスリブガワンを足して、北朝鮮で割ったみたいな感じ。 イメージしやすいでしょ?

 『中立門』に登った後は、市バスに乗って『独立記念塔』に行った。
 市バスが50マナト(約0.2円)と信じられない安さだったのは別として、ここもやばかった・・・
 まず『独立記念塔』は公園の中にあるんだけど、この公園が滅茶苦茶デカイ! 北端から記念塔のある南端まで歩いたんだけど、15分掛かった。 その間は、ずーっと噴水が続いているの。
 「水一滴は金一粒」と違うんか!?

 まず北端にあるのは、公称“世界最大の噴水”。 まぁー、はっきり言っちゃうと“噴水”じゃないです。 ヘンチクリンな格好をした8階建て位のビルです。 そのビルの上から水が流れ落ちてるだけ。 それは噴水って言わねーよ! 滝です。
 続いて、炎天下の中をヘロヘロになりながら進むと、大きな本のモニュメントが! そう、バシュが著した『魂の書(ルーフナーマ)』の超特大モニュメント! 何でも、毎日20時になると自動的に本が開いて映像と音声が流れるらしいです・・・ 相当やばいぞ!

 ちなみに、ルーフナーマの宣伝(?)ポスターは見たくなくても、国中どこでも見えちゃいます。 看板に、旗に、バシュの顔よりも見る。 なんでも、全ての教育機関で正課の一つになっているそうで、公務員試験や自動車免許の試験にもルーフナーマから出題されるらしいです。

 さらに先に進むと、ようやく『独立記念塔』が・・・
 デカっ!! 高さ何mあるんでしょう?
 しかし、問題はその演出方法。 まず、左右に離れて噴水があります。 また噴水です。
 その噴水の間に、4体の伝説の英雄たちの巨大モニュメントが左右に2体ずつで、向き合って建っています。 金剛力士像みたいな奴ね。
 その間を進んでいくと、今度はど真ん中に大きな噴水が! ホント噴水好きだねー。 しかも、ただの噴水ではない。 たくさんの黄金の三頭鷲の口から水がピューと出ております。 そ、そして、その噴水の真ん中には・・・出たー! 巨大黄金バシュ像!! 『中立門』の黄金バシュとはポーズが違います。
 キテるねー・・・
 その黄金バシュ噴水の前には2名の衛兵が微動だにせずに立っています。
 この噴水を過ぎると、なだらかな坂になります。 その坂の両脇にはサラサラと水が流れています。 排水溝とかじゃない、噴水の流れの何かだと思う。
 その坂を登り切ると、ようやく『独立記念塔』。 上の方は金ピカ! 塔の周りには伝説の英雄たちの巨大モニュメントが、やたら沢山! 塔の前にはまた衛兵! 周りの芝生はキレイに刈られていて、ゴミひとつ落ちてない!

 いやー、どれを見てもやばい・・・
 独裁者になると、何か形に残したくなるんだねぇー。 っていうか、自分を露出し過ぎだから!
 というわけで、帰りにスーパーに寄って『バシュ茶』を買っちゃいました。 ただのお茶なんだけど、茶葉缶にバシュの顔がデカく載ってるの・・・
 どーなんでしょ、この趣味?

 買ったはいいけど、持ち運ぶのがうざい。

旅の出費
食費: 20,000マナト
雑費: 10,000マナト
バス代: 4,000マナト
タバコ: 10,000マナト
エレベーター: 3,000マナト
自分用お土産: 59,000マナト
宿代(1泊分): 120,000マナト
合計: 226,000マナト(約1,080円)





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