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ヨーロッパ旅行日記


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現在地はどこなの?

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ドブロヴニク旧市街を眺める
2006年9月25日(月)
ボスニア・ヘルツェゴビナ入り

 さようなら、『アドリア海の真珠』(写真)。 そして再び内陸へ移動。 今月はトルコから数えて7ヵ国+1地域も訪れている・・・もうしばらく頑張れ、俺!
 ドイツは目の前だ、多分。

 ヨーロッパ6カ国目となる『ボスニア・ヘルツェゴビナ』にやって来た。
 1991年から95年までのボスニア紛争で20万人が死亡、270万人が難民になった国、それがボスニア・ヘルツェゴビナ。
 ボスニア・ヘルツェゴビナには、@セルビア人、Aクロアチア人、Bムスリム人(血はセルビア人またはクロアチア人だが、宗教がイスラム教だからムスリム人)という3つの民族が住んでいて、紛争時はこの3民族で三つ巴の激戦を繰り広げた。
 1995年に停戦協定が結ばれ、『ボスニア・ヘルツェゴビナ』自体は単一国家として存続するが、内部には「ボスニア連邦(略FD)」(クロアチア人とムスリム人で構成)と「セルビア人共和国(略RS)」(セルビア人で構成)の2つの支配地域が存在し、それぞれの領土はボスニア連邦51%、セルビア人共和国49%で分けられている。
 首都サラエボも、FD側とRS側に分かれているが、今は以前と比べて相互行き来も進んでいるようだ。
 旧ユーゴスラビアでは、全ての紛争問題にセルビア人が関係してるんだね・・・

 早朝8時発のクロアチアのドブロヴニク発、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ行きのバスに乗り込む。
 約40分ほどで国境に到着。 クロアチア側の国境でもパスポート・チェックだけで、出国スタンプなし。 ボスニア・ヘルツェゴビナ側の国境でも入国スタンプなし。 あれ?コソボに入って後から1回も出入国スタンプを押されてないんだけど・・・ 国境は3回越えてるのに。

 ボスニア・ヘルツェゴビナに入ってからの景色がこれまた良い。 険しい2000m級の山々の合間を、濃い碧色をした川が流れる。 山の急斜面には緑が多く、紅葉のシーズンには絶景だろうなぁ〜と思わせる。
 ただ、今まで訪れた東欧の中で一番戦争の傷跡が残っていた。 途中の町では橋が破壊され、建物には砲弾の跡や弾痕が残っていた。

 ドブロヴニクを発って約7時間後に首都サラエボに到着。 1992年4月からセルビア人勢力に包囲され、3年半の間攻撃され破壊された町だ。 1万人以上がその間に殺されている。 外界との接点は唯一1kmに及ぶ地下トンネルだけだったと言う。
 それでも戦争が終わって10年が経ち、復興が進んでいて、ガラス張りの新しいビルも目立つ。 その一方で、古いビルには弾痕の跡が必ずと言って良いほど残っている。
 市内中心部を流れるミリャツカ川の南はセルビア人共和国(RS)の支配地域になる。 観光する分には、FD支配地域内だけで済みそうだ。

旅の出費(2人分)
トラム: 3.2マルク
タクシー: 3.5マルク
宿代(2泊分): 30マルク
食費: 1.5ユーロ+4マルク
合計: 1.5ユーロ+40.7マルク(約3,280円)

サラエボの紛争跡
2006年9月26日(火)
スナイパー通りとケンシロウ

 今日はどんより曇り空。 そんな天気の中サラエボ市内を散策した。

 旧市街を通ってミリャツカ川に出る。 川沿いを鉄道駅まで歩いてみた。
 まずはラティンスキー橋がある。 別にどーってことのない普通の石橋だが、実はちょいと有名。
 オーストラリア・ハンガリー二重帝国の皇太子夫妻が狙撃されたのがきっかけで第1次世界大戦が勃発したのだが、その狙撃された場所というのがこの橋なのだ。 いわば第1次世界大戦発祥の地ですよ! そして皇太子夫妻を狙撃した暗殺犯というのがセルビア人青年。
 またセルビアかぁ・・・

 ミリャツカ川沿いを鉄道駅に向かって東に歩いて行くと、通り沿いの古い建物を見ることが出来る。 塗装されていない古びた状態で、弾痕をコンクリートで補修した形跡が残っているが、曇り空と相まってどんより暗い雰囲気を醸し出している。

 さらに東に進むと、スナイパー(狙撃兵)通りになる。
 ボスニア紛争当時、この通り沿いに建ち並ぶ高層ビルに潜むセルビア人狙撃兵に、通りで動くもの全て(子供も老人も)狙撃されたため、こんな名前の通りになったらしい。
 今は・・・と言うと、別にスナイパーが潜んでいるわけでもないので至って普通の道だし、もうスナイパー通りとは呼ばれていない。

 思ったんだけど、他の旅行者はサラエボに来て何を思うのだろう? むちゃくちゃ普通の石橋だけど、実は第1次世界大戦のきっかけになった場所。 ごく普通の通りだけど、実は歩いただけで狙撃された場所。
 俺、「へー」としか思わなかったんですけど・・・
 だって、よく考えてみ? 普通にタイの屋台で使われているようなプラスチック製イス(背もたれ無し)を見せられてさ、「これはカール大帝が年少の頃に御愛用になられたいた、お勉強机のイスでございます」とか言われても、「へー、あっそう」としか思わないじゃん?! それと一緒。
 これがさ、石橋にでかいデビルの像とかが並んで建っていたら「うわぁー、悪そうな橋だなぁ。 そりゃセルビア人青年も狙撃するわな・・・」とか思えるし、スナイパー通り沿いのビルというビルから沢山レーザーが出てて、そこを歩いてレーザーに当たっちゃったら、ケンシロウの声でアナウスがあって「お前はもう死んでいる」とか言われたら、「うわぁー、ボスニア紛争ってこんなに怖かったんだ・・・」とか思えるのにな。 やっぱイメージを膨らませるのに小道具は大事ですよ。

 話は変わって、今日パッと決めたんだけど、旅の予定を大幅変更します。
 ドイツから日本に飛行機で帰ります。
 寒くなってきたから、という理由じゃぁありません。 バックパックが重過ぎて移動が大変だから、という理由でもありません。
 お金の問題。 もう俺のお金はとっくになくなっていて、人様のお金で今まで来たけど、そこまでして旅行しなくてもいいかなぁと思って。
 ドイツに預けてあるT/Cで、かなり無理すれば日本まで陸路で帰ることも可能だけど、お金をケチケチしてまで旅行しても楽しくないし。
 旅行なんて所詮道楽。 「私、貧乏旅行で世界を周ってるんです」と言う旅行者がいたら、「プププ、ケチなだけなのに自分のことを貧乏だと勘違いしているよ! 本当に貧乏なら日本に帰れば?」と思っていたのに、まさか自分が本当に貧乏になるとは・・・ だから帰ります。 今日、遅らせながらようやく気付きました、自分が貧乏だったことに。
 人のお金を自分のお金のように使えるわけもなく、こんな状態で自分のスタイルで旅を続けるのは不可能。 他人のスタイルに合わせてまで旅を続けても、自分が100%楽しめなかったら意味がないし。 これはお金だけの問題じゃないけど。
 そんなわけで、来月初めにも本帰国の予定です。

旅の出費(2人分)
食費: 6.1マルク
トラム: 3.2マルク
タバコ: 3.1マルク
タクシー: 3.5マルク
インターネット: 7マルク
国際列車代(サラエボ→ザグレブ): 72マルク
合計: 94.9マルク(約7,120円)

サラエボの街並み
2006年9月27日(水)
再びクロアチア共和国入り

 朝10時41分発の国際列車に乗り込んで、サラエボ(写真)を発つ。
 列車に乗るのはエジプトのワゴンリー以来だ。 時間通りに出発した列車はクロアチアの首都ザグレブに向かう。
 列車は全てコンパートメントになっており、6席が1つのボックスで、ガラス戸が付いている。 全て自由席になっていた。

 ザグレブまでは8時間くらいで着くと聞いていたのだが、10時間掛かった。 朝にパンを食べただけで、夜まで何も口に出来ず・・・ひもじい。
 結局、ザグレブに着いたのは夜9時を過ぎていた。

 ヨロヨロしながら宿まで歩いて行ってみると、満室・・・ また歩いて駅近くまで戻り、ユースホステルにチェックイン。 チェックアウト・タイムが朝9時というのが、非常に気に食わないがこの際仕方がない。

旅の出費(2人分)
トラム: 3.2マルク
タバコ: 12クーナ
外食代: 50クーナ
宿代(1泊分): 240クーナ
合計: 3.2マルク+302クーナ(約6,490円)

ザグレブの街並み
2006年9月28日(木)
棚ボタ気分

 チェックアウト・タイムが9時だから、嫌々でも起きないといけない・・・ 朝8時に起きてチェックアウト。

 荷物を駅のコインロッカーに預けて、ザグレブの市内をちょこっと散策してみる。 俺のイメージの中では、今まで訪れた町の中で一番“ヨーロッパっぽい”町だ。 重厚な石造りの建物が碁盤の目になって建ち並んでいる。 そんな町の中をトラムが走っている(写真)。
 サラエボにもトラムが走っていたが、ここら辺の国のトラムはタダ乗りが無理そう。 かなりの確率で検査官が乗り込んで来てチケットをチェックされる。

 クロアチアのお隣の国、スロベニアに国際電話も掛けた。
 ケニアのナイロビで知り合ったスロベニア人夫婦がいて、同じドミトリーで仲良くなったのだ。 ケニアのモンバサで、いきなり草薮から飛び出てきた奴に鉈で切り付けられて、奥さんは顔面、旦那さんは体に傷を負ったというワイルドな経験の持ち主だ。
 クロアチアの後に、彼らの家に遊びに行くことになった。

 午後から移動。
 首都ザグレブから、南へ100kmほど下ったところにあるプリトヴィッツェ湖群国立公園に行くことにした。
 バスで約2時間、森の中で下ろされる。 1人だけいた民宿の客引きに付いて、国立公園近くの家に滞在することにした。 選択肢がなかったので、「失敗するかな?」と心配しながら着いた先はアパート。
 『あー、狭いアパートの1部屋かぁ・・・』と思っていたら、大間違い! オーナーは1階に住んでいて、客間は3階の1部屋丸々。 2LDKにベランダまで付いている。 こりゃ大当たりだ!

 広いリビングでCNNを観ながらまったり。
 気分にゆとりも出てきたところで、お金の計算をしてみました。 実は旅行に出る前にも、旅行中にも、きちんとお金を計算したことがない俺・・・ もちろん月に幾ら使ったら何ヶ月旅行出来るとか、予定を立てたこともない。 毎日お小遣い帳を付けるとか、ヘンな所でマメな割りに、肝心なところでむちゃくちゃ大雑把。
 はぁ〜、来週には日本に帰るだろうし、飛行機代くらいは自分で払えるかな?と計算してみた。
 そしたら、あらビックリ!!
 俺、全然貧乏じゃなかった・・・ 手持ちのお金で、軽の新車を買えるくらいは持ってました・・・ むむむ、もしかして余裕で日本まで陸路で帰れるんじゃ?・・・ それ以前に、お金がゼロだと思い込んで、人様のお金で旅行してた俺って・・・ というか、どこをどう間違えたら所持金ゼロと思い込めるんだ?
 我ながら不思議だ。
 でも、持ち金がないと思っていたのに、実は結構持っていたから、棚ボタって感じで得した気分♪
 でも、日本に帰るつもりだったから、日本の友達に「来週くらいに帰る」ってメール送っちゃったしなー。

 ドイツからどうするか?また考えます。

旅の出費(2人分)
トラム: 13クーナ
食費: 85.45クーナ
外食代: 54.6クーナ
ロッカー代: 15クーナ
国際電話代: 12クーナ
インターネット: 16クーナ
宿代(1泊分): 200クーナ
バス代(ザグレブ→プリトヴィッツェ): 139.2クーナ
合計: 535.25クーナ(約11,070円)

プリトヴィッツェ湖群国立公園
2006年9月29日(金)
緑な湖

 クロアチアは、観光資源が豊かな国だねー。
 このプリトヴィッツェ湖群国立公園ちゅうところも、なかなかよろしいあるよ。 今日は上手に写真が撮れなかったから、いまいち雰囲気が伝えられないんだけど、とにかく湖の色が緑色なの。 そして小さな湖が沢山あって、滝も沢山ある。 さらに透明度がものすごーく高いから、泳いでいる魚が丸見え。
 こんな感じの景色の場所は今までにもあまり見たことがないなぁー。 これが紅葉の時期に来たら、めちゃくちゃ絶景になると思う。 そんな景色を眺めながら、マツタケを食いながら日本酒が飲みたーい。
 クロアチアでマツタケが採れるらしい。

 今日はなんだか日本人を沢山見掛けたんですけど、クロアチアって日本で流行ってるんですか? まさか、こんなヘンチクリンな名前の国立公園に、日本人がうじゃうじゃいるとは思ってもいなかったらビックリした。
 なぜか、おばちゃんが多い。

旅の出費(2人分)
食費: 41.2クーナ
宿代(2泊分): 400クーナ
国立公園入場料: 120クーナ
合計: 561.2クーナ(約11,450円)

プリトヴィッツェ湖群国立公園A
2006年9月30日(土)
世界遺産

 この国立公園って、UNESCOの世界遺産に登録されてるらしいよ。 だから観光客の数が多いのか・・・
 プリトヴィッツェ湖群国立公園には、16の湖と、92の滝があるそうだ。 昨日は上の湖を見たので、今日は下流にある湖を見て回った。
 やはり、水は上から下に流れるから、下の方から見る景色の方が滝が見れて良いかも。 今日の写真は、エメラルドグリーンの湖と、滝と、遊歩道を撮ったもの。 国立公園全体を通して、写真のような景色が見られる。

 国立公園内は、遊歩道も整備されているが、決まった区間を走るボートやバスも無料で利用出来る。 全部歩いて1周したら2〜3日くらいは必要だと思うが、自分の予定に合わせて回るルートを決めることも可能だ。
 俺は2日間で一通り見て回ったが、頑張れば1日で何とか回れるかも。

旅の出費(2人分)
食費: 9.7クーナ
合計: 9.7クーナ(約200円)

真実の口
2006年10月1日(日)
イタリア経由スロベニア入り

 クロアチアを出国した後、スロベニアを25分で通過、イタリアに50分滞在した後に、再びスロベニアにやって来ました。
 イタリアには50分しか滞在しなかったけど、俺にとってヨーロッパ7ヵ国目にカウントしてもいいよね? イタリアに行った証拠に『真実の口』の写真(↑)も撮ったしさ。 ローマの観光名所なんでしょ、これ?

 今日は移動三昧の一日で終わった。
 スロベニアの友達が迎えに来てくれるという話になっていたので、スロベニアとの国境の町ウマグという町を目指して、午前10時過ぎに宿を出る。
 プリトヴィッツェ湖群国立公園を出て、バスでカルロバッチという町に向かう。

 カルロバッチでバスを乗り換えてウマグに行こうとするが、午後4時過ぎまで待たないといけないと言われ、リエカという町まで進んでしまうことにした。 リエカからならウマグ行きのバスも沢山出ているかも知れない。

 リエカに着いてみると、ウマグ行きのバスは夜8時までないと言われて途方に暮れる。
 かと言って、スロベニアに行くバスも早朝の1便しかない。 今日が日曜日ということも関係して、思い通りのバスがないのが痛い。
 迷った末に、イタリアのトリエステという町まで行くことにした。 クロアチアからスロベニアを素通りして、イタリアに行くバスなのだが、スロベニアでは止まらないというのだから仕方がない。 トリエステはスロベニアとの国境にあるから、場所的には問題ない。 緊急予定変更。

 結局、最初に書いたように、無駄に一度スロベニアに入り、しかも25分で通過した後に、イタリアに入国。 イタリアはトリエステのバス・ターミナルに迎えに来てもらった友達の車で、再びスロベニアに入るという訳の分からんルートで、俺にとってヨーロッパ8カ国目となる『スロベニア共和国』にやって来た。
 スロベニア、スロヴァキア、どっちだっていいじゃん!と思うけど、違う国です。

 友達が住んでいるのは、ポルトローズという町。
 ものすごーく快適そうな部屋を準備していてくれて、沈没してしまわないか、今から心配です。 まぁー、タダ泊だから長居するわけにもいかないか・・・

 夜は深夜まで旅話で盛り上がったのでした。

旅の出費(2人分)
トイレ: 3クーナ
タバコ: 12クーナ
食費: 56.15クーナ
テレホンカード: 30クーナ
荷物代: 28クーナ+3ユーロ
バス代(プリトヴィッツェ→カルロバッチ): 86クーナ
バス代(カルロバッチ→リエカ): 166クーナ
国際バス代(リエカ→トリエステ): 120クーナ
合計: 501.15クーナ+3ユーロ(約10,850円)





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