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4WDで行く南部アフリカ旅日記


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ヨハネスブルグ
2005年9月4日(日)
旅の終わり

 お昼近くまで寝る。 別にプレトリアで興味があることもないので、ダラダラ過ごす。 午後、インターネットカフェに行った以外はテント内にいた。

 『ケムケム号』の修理が終わったら、プレトリアで売れれば売って、旅を終了することにした。 ケープタウンで売るよりも、プレトリアやヨハネスブルグで売った方が高く売れるらしいので、プレトリアで売って、ケープタウンにはレンタカーで帰る。

 かなり中途半端な旅行の終わり方になってしまった。 最初の旅行予定の半分にも満たない1ヶ月ちょっとしか経っていないし、行った国も3カ国+おまけの1カ国(ザンビア)だけ。 『南部アフリカの旅日記』の名前が大袈裟だな・・・

 ただ色々理由があって、旅行を続ける気力を失くした。 今月中に南アを発ってタイに行った後、日本に帰る。

今日の走行距離; 0km
今日の出費(2人分)
インターネット: 22.00ランド
ビール: 24.00ランド
食費: 23.00ランド
ランドリー: 35.00ランド
外食費: 36.90ランド
合計: 140.90ランド(約2,390円)

フレーム
2005年9月3日(土)
ソウェト

 ヨハネスブルグのソウェト(Soweto)を回るツアーに参加した。 ソウェトは南ア最大のタウンシップ(非白人居住区)だ。

 ソウェトに行く前に、ヨハネスブルグ中心部を回る。
 まず行ったのはヒルブロー(Hillbrow)。 人口490万人を擁する南ア一の大都会の中心部なのに、ガラスが割れたままのビルが目立つ。 土曜日というのも関係あると思うが、1階部分もシャッターが閉まっている所が多く、なんだか随分と寂れた雰囲気だ。 ただ人は多い。 と言っても路上生活者が多く、白人率ゼロ。 麻薬が深刻な問題らしく、確かに目がイッちゃって状態で歩いている人がチラホラ。 でもガイドいわく、「昼間歩く分には問題ない」とのこと。 ジャンキーは昼も夜も関係ないと思うんだけど。

 続いて行った所は、ヨハネスブルグ証券取引所近くのインド人街。 ここで車を降りて薬屋に入る。 薬と言っても、漢方薬のような木の根っこだったり、動物の骨、皮、内臓だったりが所狭しと並んでいる。 店内はなんだか独特の臭いがたち込めていて、天井からアンテロープの角やらロバの鼻やらヘビの皮やらが頭のすぐ上まで垂れ下がっている。 柱には、目玉をえぐられてお腹をパカッと割かれて内臓を取り出された状態のサル(写真)が磔にされている。 ある意味、先ほど行ったヒルブローより怖い。 頭が良くなる薬を頼んだら、何を配合してくれるんだろう?

 アパルトヘイト・ミュージアムが次。 基本的にミュージアム好きではないし、白人でも黒人でもないからアパルトヘイトに感情移入出来ないので、ミュージアムの隣りにあるテーマパーク『Gold Reef City』やカジノの方に行きたかったけど、団体行動で融通利かず。
 ミュージアムを見た感想としては、白人は残酷。 口では“万民平等”を唱えても、ほとんどの白人には潜在意識で非白人に対する優越感があるはず。 それを形にしたアパルトヘイトや長崎・広島の原爆などなど歴史が証明している。 で、非白人には潜在意識で劣等感がある。
 ケープタウンのクラブで白人の女をナンパしようとした黒人が、断られたら「俺が黒人だからか?」って聞いてたけど、絶対にお前の顔が問題なんだって。 黒人であることに劣等感を感じる前に、自分の顔に劣等感を感じろよ!って、その時に思いました。

 ちなみに日本でアパルトヘイトを導入したら、松崎しげるがテレビ局に入る時は非白人専用の入り口しか通れない。 だって黒過ぎるもん。 まぁ、彼の態度には劣等感は感じられないけどね。 逆に、自分よりかなり若い女と結婚したことで優越感に浸っているんじゃないか?って勘繰ってしまう。

 “ソウェト・ツアー”という名前なのに、ソウェトに入ったのは午後1時。 タウンシップに行くが、ケープタウンで訪問したタウンシップと変わらず、興味湧かず。 家もトタンで出来ていて、ガキが親しげに話し掛けてきて最後に「お金くれ」って言うところまでケープタウンと一緒。 2回も同じものを見ると、虚しくなってくる。
 自分たちより裕福な人たちに、自分たちの生活を見せて彼らに“可哀想”と思わせて、寄付を求める。 持っている小銭を全部出したら「小さ過ぎる」って言われちゃった。 その余裕があるんだったら、旅行者の目に止まらない場所で本当に貧困に喘いでいる人に寄付した方がマシ。 本当の可哀想さの度合いなんて他人には分からないものだけど。

 続いて、ネルソン・マンデラ元大統領の生家。 ま、普通の家ですわ。 自分の思い出に写真を撮るのはいいけど、他人に見せても絶対に「へー」って言われるだけ。 ちなみに俺は1枚も撮らず。 だって、マンデラがいないマンデラの生家なんて、ただの家だぜ。

 訳分からん教会に行った後、最後にへクター・ピーターソン・ミュージアム。 またミュージアム・・・ 内容はアパルトヘイト・ミュージアム系。

 このミュージアムで、白人に声を掛けられた。 彼は大分県で2年間英語の先生をしていたことがあるらしく、日本語も少し話せる。 南ア人でヨハネスブルグに住んでいるというので、「治安はどう?」と聞くと、「まあまあ、でも、わたし、誕生日、車、泥棒ね。友達も、車」とのこと。 誕生日だけ意味分からん。

 今日は疲れた。

今日の走行距離; 0km
今日の出費(2人分)
タバコ: 14.50ランド
ミュージアム入館料: 75.00ランド
外食費: 25.00ランド
雑費: 10.00ランド
テント設営代: 240.00ランド
合計: 364.50ランド(約6,195円)

フレーム
2005年9月2日(金)
センチュリオン

 N1号線を通ってセンチュリオン(Centurion)地区に行く。 昨日、イエローページでイスズの代理店を調べたところ、センチュリオンにある会社『Delta』が載っていたのだ。

 地図がないので、メモ書きした住所を片手にガソリンスタンドで聞きまくって探す。 メモ書きした住所は英語で“South Street”と書いてあるのだが、道路標識にはアフリカーンス語で“Suidstraat”と書いてあったりするのが混乱する。 意味は一緒だけど、やめて欲しいね。

 『Delta』で修理の依頼をするが、2週間先まで予約で一杯らしい・・・ 「どこに泊まっているの?」と聞かれたので、「ハットフィールド」と答えると、「ハットフィールド支店には行った?」だって。 おいおい、電話帳には載っていなかったぞ。 場所を聞くと、泊まっているバックパッカーズの目と鼻の先じゃん! わざわざ30kmも走ってやって来た俺たちって・・・ 『Delta』のハットフィールド支店に電話してもらって、来週の火曜日に予約を入れてもらった。 つまり最低でも来週の火曜日まではプレトリアにいなければならないということだ。

 ハットフィールド・プラザの向かいにあるインターネット・カフェ『4 in Love』はADSLで速いし、安い。 しばらくの間、暇つぶしに通うことになりそうだ。

 車を修理工場に預けるつもりだったので、大体の荷物をテントの中や外に置いたのだが(写真)、生活感が出てきてホームレスのテントのようになってきた・・・

今日の走行距離; 67.5km
今日の出費(2人分)
インターネット: 30.00ランド
外食費: 37.00ランド
駐車場代: 8.00ランド
雑誌: 28.95ランド
ツアー代: 600.00ランド
合計: 703.95ランド(約11,970円)

ボツワナ、オカバンゴ・デルタ
2005年9月1日(木)
プレトリア

 マカドを出る。 この4日間は連日長距離を走っているから、朝からしんどい。

 マカドをさらに南下すると、南回帰線が通っている。 だからと言ってどーってことないので素通り。
 途中、ピーターズバーグ(Pietersburg)で燃料を補給した以外、ひたすら走って南下する。
 4時間半走って、ようやくプレトリアが近づいてきた。 でも都会に近づいているだけあって、N1号線やらN4号線やら他の道路が入り組んでいて迷った。 気が付いたら、知らない間にプレトリアとは逆の方向にあるウィットバンク(Witbank)の方へ50kmも走ってしまっていた。 これだから都会は嫌だね。

 プレトリアのハットフィールド地区にあるバックパッカーズにテントを張る。 1泊40ランド(約660円)で朝食付き。 近くにはPick'n Payもあるし便利。 Pick'n Payに行って思ったが、ジンバブエと比べてスーパーにこんなに物資があるって素晴らしい。 ジンバブエなんてスーパーに行列を作って石鹸を箱で買い漁ってるくらいだからな。 そんなに石鹸好きだったら、まず体臭を何とかしてくれ。

 写真は、ボツワナのオカバンゴ・デルタ。 ナミビアの川は底が見えるから良かったが、泥水で底が見えないのは恐怖だ。 どれだけ深いのか想像が付かないからね。 でもこんな所ばっかり走ってたら、そりゃ『ケムケム号』壊れるわな。 まさか21万kmも走った後に、こんなに酷使されるとは『ケムケム号』自身も予想外だったろうけど。

今日の走行距離; 492.8km
今日の出費(2人分)
有料道路代: 131.40ランド
ディーゼル代: 214.25ランド
携帯電話通話代: 107.00ランド
食費: 74.40ランド
インターネット: 7.50ランド
テント設営代: 160.00ランド
合計: 694.55ランド(約11,260円)

グレート・ジンバブエ遺跡
2005年8月31日(水)
南アフリカ入り

 朝、グレート・ジンバブエ遺跡を見に行こうと『ケムケム号』のエンジンを掛ける。
 一昨日からクラッチの調子が悪く、1速が入らない。 そこで昨日から、エンジンを掛ける前にギアを1速に入れて、クラッチを踏んでからエンジンを掛けていた。
 今日もそうやってエンジンを掛けたのだが、クラッチを踏んでいるにも関わらず『ケムケム号』は前に進んでしまう。 つまりクラッチがダメ。 一昨日より昨日、昨日より今日、どんどん調子が悪くなってきた。
 無理やり『ケムケム号』を発進させるのは良しとして、発進してからが大変だ。 今日など、エンジンを掛けた状態で1速やバックにギアを入れられる確率はゼロ。 走行中に2速〜5速にギアを入れられる確率は3分の1以下。

 朝の時点で、今日中に南アフリカに入ることに決めた。 明日にはプレトリアに入って修理に出す。 マシンゴから900km以上の距離だが、『ケムケム号』の死期が近い状態だ。 一刻も早く“先進国”で修理をしないとやばい。

 でも、せっかくここまで来たからグレート・ジンバブエ遺跡だけは見ておくことにした。 ギアを1速に入れた状態でエンジンを掛ける。 エンストする前にエンジンをふかして発進する。 キャンプ場の前は大通りだが、幸い車が通っていなかったので、一時停止せずに通りに出られた。
 さぁ、続いては2速に変える番だが、2速に入らないので『ケムケム号』は止まってしまった。 路肩に寄せて必死になって2速に入れていると、ようやくギアが入った。 仕方がないから2速発進だ。 スピードが出てきて3速に入れる時も同じ。
 これが、信号が赤で止まらないといけない時が大変だ。 エンジンを一度切って、ギアを入れてからエンジンを掛け直す。 あと、ようやく5速まで入って快適に走っているのに、前方を牛やヤギが横断していたり、とろい車がいたりすると大変。 何しろ『ケムケム号』はギアを簡単には変えられないからね・・・

 必死になってグレート・ジンバブエ遺跡に辿り着いた。 グレート・ジンバブエ遺跡は、『ジンバブエ共和国』の国名の由来にもなった石造建築遺跡だ。 世界文化遺産にも登録されている。
 でも、カンボジアのアンコール遺跡、インドネシアのボロブドゥール遺跡を見ちゃっていると、迫力が感じられない。
 ただ、巨大な岩が連なる丘の上の要塞跡(写真)は面白かった。 巨大な岩と岩を上手に利用した天然要塞だ。 出土品も展示されていたが、中国の明との交易もあったようだ。
 一応、サハラ以南最大の石造遺跡だが、遺跡マニアでもない限り「へぇー」って感じ。

 一度キャンプ場に戻り、テントを畳んでマシンゴを出発する。 5速に入れるまでが大変だったが、それ以降は問題なし。 これが日本みたいに信号だらけだったら、死んでたな。 国境までの約300km、信号が一ヶ所もなくて助かった。

 国境の町ベイトブリッジ(Beitbridge)に着いた頃には真っ暗になっていた。 ジンバブエ側の出国手続き、南アフリカ側の入国手続きに1時間以上掛かって、南アフリカに入ったのは夜7時過ぎ。

 国境の町ムシナ(Musina)で宿を探すが高かったので、マカド(Makhado)まで南下する。
 国境からさらに100kmほど走ったが、南アの道路超キレイ! 道路の真ん中にキラキラ光る反射板とか付けちゃって、ジンバブエから来た田舎者に南ア・パワーをアピールしてる(多分)。 しかも南アに有料道路があるなんて知らなかったぜ。 ケープタウンでは無料なのに、同じN1号線がなんで有料なんだ? これもやはりジンバブエに差をつけるためか?

 マカドに辿り着いて、ウロウロしている間に夜の10時をまわってしまった。 さすがにテントを張る気にもならず、ゲストハウスに泊まる。 今日は疲れた・・・

今日の走行距離; 500.7km
今日の出費(2人分)
ディーゼル代: 40USドル
国立公園入園代: 30USドル
食費: 141,000ジンバブエドル
車両通行税: 50.00ランド
有料道路代: 20.00ランド
タバコ: 15.00ランド
宿代: 240.00ランド
合計: 70USドル+141,000ジンバブエドル+325.00ランド(約13,680円)

フレーム
2005年8月30日(火)
南ア入り決定

 ブラワヨのキャンプ場は快適だったぁ〜。 これで1泊42円は激安。

 テントを畳んでマシンゴ(Masvingo)へ向かう。
 ブラワヨ市内のLeopold Takawira Avenueを東へ走ると、A6号線に入る。 そのままひたすら真直ぐ走るとムバラバラ(Mbalabala)という村があるので、そこを左に曲がれば後は真直ぐ走るだけだ。 ブラワヨから300kmほどで大ジンバブエ遺跡観光の基地となるマシンゴに到着する。

 マシンゴ自体は大したことのない町だ。 町中にあった唯一のインターネットカフェも最近潰れたらしいし。
 テントは町の外れにある『Municipal Camping Park』に張ることにした。
 テントを張った後、マシンゴ市内を回ってみる。

 Meiklesデパートの中に入ってある両替所で闇レートを確認するが、悪い! 1USドル=35,000Zドルだったら、ブラワヨで換えた方が良かった・・・
 ディーゼルも、クーポン制ではなく闇でしか手に入らないとのこと。 ムチェケ・ムシカ・バスターミナル(Mucheke Musika)がブラックマーケットになっているらしい。 本当かどうか知らないが、20リッター=140万ジンバブエドルもするらしい。 1リッター=220円計算になる。 ブラワヨで入れておけば良かった・・・

 考えて、グレート・ジンバブエ遺跡を見た後に南下して南アフリカに戻ることにした。 プレトリアに入って、イスズの正規代理店でクラッチの修理をしてもらう。 その後で再び北上してマラウィを目指す。 まだ旅の予定でいけば半分しか経過していない。 車の状況を考えれば、無理して旅行を続けるよりも、遠回りになるが、きちんと直してから旅を続けた方が良い気がした。

今日の走行距離; 310.7km
今日の出費(2人分)
テント設営代: 200,000ジンバブエドル
インターネット: 20,000ジンバブエドル
食費: 298,300ジンバブエドル
駐車場代: 2,000ジンバブエドル
合計: 520,300ジンバブエドル(約2,290円)

フレーム
2005年8月29日(月)
ブラワヨ

 ディーゼルも補給したし、もうビクトリア・フォールズに用は無い。
 ビクトリア・フォールズを出て、A8号線を南下してジンバブエ第2の都市ブラワヨ(Bulawayo)を目指す。 道路は舗装道路で問題ない。 ただ、クラッチがおかしい・・・ クラッチを踏んでもギアが入らなくなってきた。 クラッチボックスがそろそろ限度かも知れん。 最悪、旅行を途中で切り上げてケープタウンに戻ることも考えないといけない時期が来たかも。

 4時間半ちょっとでブラワヨに着いた。 久しぶりに都市らしい都市だ。 人口100万人都市だけある。 ただ、ここでもガソリンスタンドは多いものの営業していない。

 ブラワヨでは『Municipal Caravan Park & Camp Site』にテントを張ることにした。 ここは素晴らしい! 1人23,000ジンバブエドルの料金は公式為替レートで計算しても101円、闇レートだったら42円の安さだ。 それでいて、芝生で、ホットシャワーで、電気が使える。 しかも町のど真ん中の公園内にある。 でも車の持込にもお金が掛かるのはいただけない。 車持込料が人間より高いし。
 ちなみにキャンプ場前の道路Caravan Wayは夜になると治安が悪いらしい。 某ガイドブックによると、ジンバブエで一番危ないとか。 夜は強盗が出るそうです。 ただキャンプ場内は拳銃を持ったガードマンが巡回している。

 写真はクードゥー。 辞書で調べたが日本語名不明。 クードゥーは非常に臆病で、近づくとすぐ逃げる。 大抵、オス1頭にメス複数のハーレム状態で群れを作っている。

今日の走行距離; 472.1km
今日の出費(2人分)
テント設営代: 8USドル+80,500ジンバブエドル
食費: 30,000ジンバブエドル
合計: 8USドル+110,500ジンバブエドル(約1,365円)





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