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アジア横断シルクロード旅日記


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現在地はどこなの?

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交河故城 in トルファン
2007年10月22日(月)
個人的にはラピュタ

 今日はツアーに参加して、トルファン近郊の見所を見て回った。
 朝9時半に出て、帰ってきたのは夕方7時。 実に10時間近くも観光をして、最後の方はヘロヘロだった。
 今日行ったのは、下記の7ヶ所だ。

 『火焔山』(40元)
 『吐峪溝』(30元)
 『高昌故城』(40元)
 『アスタナ古墓群』(20元)
 『ベゼクリク千仏洞』(20元)
 『葡萄溝』(60元)
 『交河故城』(40元)

 もし、全部に入ったら入場料だけで250元(約3,950円)も掛かってしまう。
 俺は『吐峪溝』、『ベゼクリク千仏洞』、『交河故城』の3ヶ所に入ったが、最後の『交河故城』は他のツアー客のイギリス人に金を借りてしまった。

 ここは行って良かった!と思ったのは、『交河故城』(写真)。 『吐峪溝』も入場料分の価値はある。
 『ベゼクリク千仏洞』は、どーでもいい。 各石窟の入り口なんて、ステンレス・ドアだからな。 クチャでも『キジル千仏洞』に行ってるし、『吐峪溝』にも『吐峪溝千仏洞』があり、合計で3ヶ所も千仏洞を見てしまって、もうお腹一杯です。

 『火焔山』は、三蔵法師一行の往く手を遮っていた山である。 そのせいで、孫悟空は『火焔山』の火を消せるという“芭蕉扇”を手に入れるために鉄扇公主と戦っている。 遠回りすればいいのに、近道したいからという理由で罪もない鉄扇公主をやっつけているのである。
 で、『火焔山』は燃えていませんでした。
 ちなみに『火焔山』自体は“山”だから、お金を払わなくてもどこからでも見えるのだが、40元(約630円)を払って謎の施設に入ると・・・トーテムポールと、巨大温度計を見ることが出来る!!

 ・・・・・

 火焔山と全然関係ねー!
 人民の思考回路が理解できん。

 『交河故城』は、車師前国の都であったとされている場所だ。
 中国人は、ただのブドウ畑が広がる『葡萄溝』は好きらしいが、こういう廃墟の遺跡は好みではないらしい。 なぜか『葡萄溝』の入場料が60元と、『交河故城』の40元よりも高いのが不思議で仕方がない。 ちなみに、『葡萄溝』は、“国家AAAAA級”に認定されたトルファン地区で唯一の景勝地区である。 トルプルAを通り越して、5Aだからね! 基準が理解できん。
 そんなわけで、『交河故城』に来る中国人たちは、手前の方には来るが遺跡の奥までは誰一人入って来なかった。 おかげで、広い遺跡内を1人でゆっくり散歩出来た。

 説明が難しいけど、俺の中でここは『天空の“街”ラピュタ』だった。 実際に『天空の城ラピュタ』のモデルになったシリアの『クラック・デ・シュバリエ』に行った時は、俺はあまりピンと来なかった。 多分、『クラック・デ・シュバリエ』が城だけだったからだと思う。 『交河故城』は1個1個は大したことがないんだけど、寺や住居や政府の建物まで含めた“町全体”がそのまんま遺跡になっていて、長さ1kmにわたって崩れた建築物が密集しているのを見たら、「こりゃ、俺の中のラピュタだな」と思った。

 今、改めて映画を見直したら全然違ったりして・・・

旅の出費
タバコ: 5元
外食代: 32元
入場料: 90元
ツアー代: 80元
インターネット: 2元
宿代(1泊分): 25元
合計: 234元(約3,690円)

吐峪溝
2007年10月23日(火)
クムターグ砂漠と篠原涼子

 今日は、トルファンからピチャンという町に移動。
 大抵の皆さんは、トルファンから敦煌に真直ぐ行くようですが、俺はピチャンとクムルという2ヶ所の町に寄ってから敦煌に行きます。

 トルファンからピチャンまでは、わずか98kmほどの距離。 おかげで、朝はゆっくり起きることが出来た。
 バスで2時間弱でピチャンに到着。

 ここピチャンは、別に観光地ではない。
 ただ、“中国で最も砂漠に隣接する町”という称号を得ているらしい。 これは砂漠好きの俺としては見逃すわけにはいかないだろう。
 ピチャンに迫っているのは、クムターグ砂漠だ。
 町のメイン通りを歩いていると、道路の先に山のような砂丘が見える。
 これは面白そうだ!と、砂丘に登るべく『沙山公園』に行ってみた。

 ガイドブックには入場料が30元と書いてあったのだが、実際に行ってみると60元(約950円)に値上げされていた!
 俺の泊まっている宿よりも高いじゃねーか。
 砂漠に入るだけで60元というのは、どうも納得がいかん。 ガイドブックによると、ここ最近で公園内に人造湖や目障りな塑像が造られているらしいが、そんなもん要らんから値上げするな!
 じゃぁー、金を払わないで入ろっと!と、公園の柵沿いに歩く。 ブドウ畑の先が公園との境になっており、生意気に柵など設けて入れないようになっていた。 そこら辺のウイグル人に「公園に入りたーい」と身振り手振ると、1人分が何とか入れる程度の隙間を教えてくれたが、公園内から犬がガオガオ吼えているのが聞こえてきて、結局はビビッて逃げてきた。
 チワワとかならいいけど、ドーベルマンに追っ掛けられたら、絶対に勝てないじゃん。

 どうやらピチャン市内の歩いていけるような距離では、全て柵で入れないようにしてあって、唯一の入り口を『沙山公園』にしているようだ。
 まぁ、公園の外からでも砂漠自体は全然見えるんだけどね。
 クムターグ砂漠は、俺が見てきたタクラマカン砂漠とは違う景色だった。 日本人が“砂漠”と聞いてイメージする砂砂漠で、砂の色は赤みがかかった茶色だった。
 本当は、土の固さとか調べたかったのにな・・・

 ヒマになったので、宿に戻って『アンフェア』と『鉄コン筋クリート』を2本続けて観てやった。
 『アンフェア』って、日本で売れたんですか?
 まぁ、頑張って作ったんだろうなとは思ったけど、イマイチだった。 篠原涼子が、ようやく手に入れたワクチンを自分の子供に打った時、あんな打ち方でいいんですか? ジャケットの上から押し付けるだけでいいの? あと江口洋介が、あれだけ至近距離から篠原涼子に何発も発砲してるのに、何で当たらないの?
 あと、江口洋介のメガネ。
 細かいことで“有り得ない”場面が何ヶ所かあって、気が散った。
 あと、篠原涼子って主役を張るほど演技が上手ではない気がしたんですけど・・・
 だって彼女、歌手じゃねーの?

 写真は、『吐峪溝』。
 ここは(1)“吐峪溝大渓谷”、1600年以上の歴史を持つ(2)“吐峪溝千仏洞”、中国イスラム教の聖地(3)“吐峪溝ホージャ墓”、ウイグル族の伝統建築様式を留めた家々が建ち並ぶ、300年の歴史を持つ村(4)“吐峪溝古民居”の4つの見所がある。
 写真は、その300年の歴史を持つ村。

旅の出費
食費: 3元
タバコ: 6元
外食代: 18元
市バス代: 3.8元
宿代(1泊分): 40元
バス代(→ピチャン): 12元
バス代(→ハミ): 52元
合計: 134.8元(約2,130円)

フレーム
2007年10月24日(水)
宿選びの基準

 宿がイマイチだったので、移動。
 その宿に長居出来るかどうか?を判断する場合、宿の値段は当然のこと、洗濯が出来ること、シャワーが湯量・温度ともに満足できること、従業員の態度、荷物の管理に過度に気を使わなくてもよいか、周囲にレストランが何軒もあること、などを基準にしている。
 基本的にドミトリーに泊まるが、今まで中国人と相部屋になったことがあるのは1度だけだ。 トルファンで4人部屋に泊まっていた時もずっと1人だけだったし、それ以外の宿でドミトリーに泊まっても1人で貸切だった。
 外国人と中国人が相部屋にならないようにとの宿側の配慮なのかどうかは知らないが、俺にとっては好都合で、特に荷物の管理面では助かっている。 さすがに、中国人と一緒のドミトリーでパソコンを出すのは気が引ける。

 今日は、ピチャンからクムル(漢語で『哈密[ハミ]』)という町までバスで5時間掛けて移動して来た。
 このクムルが新彊ウイグル自治区最後の大きな町になり、さらに東に進めば甘粛省に入り、敦煌がある。
 途中のバスの車窓を眺めていると、改めて新疆ウイグル自治区は大きいなと実感した。 地球が丸いことが分かる景色だった。 この自治区だけで日本の国土の4.3倍、中国の国土の6分の1を占める。
 いつの日か、自分で四駆を運転して旅行してみたいような場所だ。

 クムルでは宿探しに苦労した。
 バス・ターミナル内にある旅社(本来は外国人は泊まってはいけない種類の宿)は、1泊50元(約790円)と言われたが、あんな所に泊まろうという気にはなれなかった。
 何が凄いって、部屋の入り口(宿の入り口ではない)が全面ガラス張りで、その部屋の中にベッドが3つ並んでいる。 しかも、バス・ターミナルの正面玄関の脇である。 寝ている側からも外の様子が丸見えだし、外からも部屋の中が丸見えどころの話ではないほど丸見えである。
 そもそもが、“宿”と言ってもレセプションも何もなく、いきなり通りに面したスペース(多分、商店用に作られたスペース)にベッドだけが並んでいるのである。
 こんな水槽みたいな部屋で50元はボッタクリじゃないですか?!

 町中の、ガイドブックに載っているような宿も全て値上がりしており、1泊3,000円くらいする・・・
 重い荷物を持って宿が見付からないので、「このまま敦煌へ移動してしまおうかな?」とも思ったが、最終的には鉄道駅の近くまでタクシーで行って、ようやく安く泊まれる宿を見付けることが出来た。
 ちなみに、町の中心から鉄道駅までは4km離れていて、こっちに泊まる気はゼロだったんだけど・・・
 しかも、バス・ターミナルは町の南端にあって、宿からだと7〜8km離れているのが難点。
 悔しいから、3泊しますっ!

 写真は、ピチャンの町中から見た砂丘。

旅の出費
タクシー: 5元
外食代: 16元
市バス代: 1.6元
宿代(2泊分): 60元
合計: 82.6元(約1,300円)

エイティガール in ハミ
2007年10月25日(木)
ウリの王様

 クムル(哈密)・・・別にこれと言った見所がある町でもない。
 “瓜の王様”と称えられる特産のハミ瓜が有名らしいが、王様は王様でも所詮は瓜。
 「あー、何かすっげー瓜が食いたい気分!」などとは、この29年間の人生の中で一度も思ったことない。 思春期の多感な時期に瓜に熱中した時期があって、部屋に瓜のポスターを貼って毎日眺めていたという思い出もない。 付き合っていた女に「私と瓜、どっちが大切なの!?」と迫られた記憶もない。
 俺には瓜との思い出なんて一つもないのだ。
 ということは、俺の人生の中で瓜は存在しなくても大した問題ではないわけだ。 つまりは、瓜なんてどーでもいい=ハミなんてどーでもいい、という結論に達することが出来る。
 現在、どーでもいい町に滞在中です。

 一応、ここは『ハミ王国』とやらがあった町である。
 王様は、ハミ瓜であったと聞いている。
 1697年から1930年まで、9代223年にわたって存在したこの王国は、清朝政府に貢物を納めることによって存続していたウイグル族の地方政権だった。
 『哈密王陵』には歴代の王の墓があり、同じ敷地内には『エイティガール寺院』(写真)もある。
 だからどうした?と問われれば答えに窮するが、今日は『哈密王陵』を訪れて来たしまったのだから仕方がない。
 実際に訪れて来たからといって、特にハミ瓜に興味が出てきたわけでもない。

 つまり、今日はボケーっと興味もないのに『哈密王陵』に行って、形の上での観光とやらをした。
 後は洗濯三昧! バックパック・カバーまで洗ってしまうほど、目に付いたものは全て洗ってやった。
 おかげで、今は履くものがなくてパンツ一丁です。
 さ、さむい・・・

旅の出費
外食代: 13元
入場料: 20元
市バス代: 3元
生活用品: 5元
インターネット: 6元
合計: 47元(約740円)

高速道路の料金所 in 中国
2007年10月26日(金)
中国文明

 中国に入ってから、やたらと目に付く文字がある。
 それは、『文明』。
 日本語と同じ意味であれば、“Civilization”のことであるはずなのだが、その使われ方が日本語的にはおかしい。 政府関係の官庁には必ず金地の看板に赤字で『文明単位』と書かれているし、家によっては玄関の上に『文明家庭』と書かれていたり、高速道路の料金所には“微笑服務”の前に『文明収費』と書かれている(写真)。

 ウルムチで日本人旅行者から貰った日中・中日辞典を調べてみると、中国語の“文明”は日本語のそれと同意語であり、“Civilization”のことであった。
 しかし、意味が分からない。
 『収費』を辞書で調べてみると、読んで字のごとく“支払い”とか“料金”という意味であった。 それと“文明”がどうやったらくっ付くんだ? 『文明料金』、なんですかこれは?
 “文明”の定義が違うのかな?

 まぁー、文明どうこう言うのは勝手ですが、その前に人民にウンコした後はきちんと流すように教育することが先だと思うのは俺だけですか?
 何なんだ人民は?!(怒)
 前の日記で漢人よりもウイグル人の方がウンコを流さない確率が高い気がするって書いたけど、間違いだったよ。 お前ら、民族とか関係ねー! 全員だ、人民全員が教育なっとらん!
 十中八九は流してない。 が、それよりも許せんことがある。
 中国のトイレは洋式ではなく、しゃがんでする和式タイプの便座なのだが、その便座の“足場”みたいなところにウンコをしてる奴が多い!
 何なんだーぁ、これは?! お前ら、どんな態勢でウンコしてるわけ?
 もう『文明』どうこう言う以前の問題である。

 何が高度経済発展だよ。
 猫だってきちんと砂場に穴掘って用を足すわけだから、猫以下じゃねーか。
 猫食う前に、猫から学べ!

旅の出費
外食代: 12元
市バス代: 3元
インターネット: 6元
宿代(1泊分): 30元
バス代(→敦煌): 67元
合計: 118元(約1,860円)

敦煌のスーパーマーケット
2007年10月27日(土)
ヌーハーマーターツート

 ついに新疆ウイグル自治区を出て、甘粛省に入った。 今日はバスで6時間移動して、シルクロードのハイライト・敦煌にやって来た。

 さすが超有名観光地だけあって、町中のスーパーマーケットも他の町とは一味違う。
 『緑洲超市』というスーパーマーケットがあった。 ちなみに、“超市”とは中国語で“スーパーマーケット”のことである。 超はスーパー、市はマーケットの意味だから、完全に直訳である。
 写真を見ていただきたい。 敦煌のスーパーにはご丁寧に日本語の看板も出ているのだ!

 ・・・・・『緑洲ヌーハーマーターツート』?!

 な、何かの呪文ですか?
 唱えると、HPが回復したりするんですか?

 さすが、敦煌である。

 敦煌に来たら、まずはやることがあるだろう。
 井上靖の歴史小説『敦煌』を読むとか、世界遺産の『莫高窟』を見るとか、砂漠『鳴沙山』に登るとか、DVDを買うとか。
 そんなわけで、買っちゃいました!
 敦煌的に言えば、デーブーイーデー。
 今回は凄い! タイトルはその名も『帝国軍妓』。 英語タイトルは『Comfort Women』。 訳すと、従軍慰安婦でし。

 何しろ、ジャケットが気になっちゃって・・・

 写真では小さくて見えないが、なぜか女性が自ら着物をはだけてチチを出しているのだが、肝心な部分はモザイク。
 でも、これって女の方が誘ってる風に見えるのですが・・・これは言ってはいけないことですか?
 タイトルの下に書いてある説明を読んでみよう。

 『日軍血腥淫邪的変態狂欲』

 ・・・・・

 ここではっきり言っておくが、俺は何もジャケ買いをしたわけでは断じてない! いやらしいDVDなんじゃないか?などという不純な期待など一切ない!
 純粋に、そう純粋に、社会党や朝日新聞や日教組の方々のように「Oh! 日本はとっても悪い国でーす。 ひたすら謝らせて下さーい。 ペコリ」的な、卑屈で美しい動機での購入である。

 敦煌で知り合った日本人旅行者も「観たい!」と言うので、2人で早速の放映会。
 中を開けてビックリ、2枚組! Disc1は『帝国軍妓』、Disc2は『731恐怖 女体実験』というタイトルになっている。 にょ、女体実験?! うきー
 再生すると、なぜかDVDのくせにやたらと悪い画質。 多分、画質を落としてまで入れたのであろう、とにかく話がめちゃくちゃ長い!
 早送りしながら探し・・・いや、観ました。

 内容は・・・全てドラマ仕立てになっており、会話は全て中国語だったので一切理解出来なかったが、とにかく“日本軍は悪いんだぞーっ”的な内容。
 演技も含めたドラマとしての出来は、完全にD級。
 しかも、ジャケット写真のようなシーンは一切なし! 着衣のまま、プロレスごっこらしき事ことを3秒ほど見かけたが、何それ?って感じ。
 『731恐怖 女体実験』なんて、何も“女体”って単語を入れる必要が全くないんじゃないか?って思う内容。
 あと“恐怖”って単語も必要かなー?
 恐怖っていうより、日本兵が「はい! はい!」とか言いながら空手の稽古をしていたり、ド下手な演技の日本兵役の俳優が超スローな動きのバイオレンスを披露してくれたりと、笑ってしまうのですが・・・
 あと数発ビンタされただけなのに、中国人女性のダメージが凄い! 4、5発のビンタであれだけ血だらけになれる人、初めて見ました。
 七三一部隊の実験室に放り込まれた全裸の中国人男性。 『女体実験』なのに、なぜ男性?・・・と見ていると、何やら男性がもがき苦しんでいるぞ! た、大変だ! し、しかも目が飛び出してきたー!
 顔が完全にガチャピンでした・・・
 次に放り込まれた女性は、なぜかきちんと服を着ているし・・・

 ジャケットの裏には説明文があった。
 「一部真実反映」と。

 でも・・・ジャケットに騙された感が非常に強いのですが、気のせいですか?
 ジャケットが中身を全く反映していないような。

旅の出費
DVD: 10元
トイレ: 0.5元
ビール: 12元
外食代: 35元
タクシー: 6.1元
宿代(1泊分): 30元
合計: 93.6元(約1,480円)

鳴沙山 in 敦煌
2007年10月28日(日)
万華鏡

 一昨日から急に寒くなった。 この寒さは、どうやら冬の到来を伝えているようである。

 日記に『シルクロード旅日記』などと格好つけたタイトルを入れているわけだから、ハイライトとなる敦煌ではさぞかしアクティブな動きを見せてくれるのだろう?と期待している皆さんの為にも、今日は敦煌と、いや旅そのものと全く関係のない日記を書いてやろうと思っている。
 鳴沙山(写真)の前まで行ってみたものの、寒かったし、一眼レフのレンズが回らなくなったから、門の前で引き返して帰ってきたせいではない。
 回らないレンズを無理やり力ずくで回したらバキッと音がして、レンズ内から見慣れないプラスチック・パーツが出てきたせいでもない。
 ファインダーを覗いたらファンタジーな万華鏡ワールドが広がっていたせいでも、断じてない!

 振ったら、万華鏡ではなくなった・・・

 ヒマで時間が有り余っている上に、万華鏡を覗いてファンタジーな世界に足を踏み入れてしまったせいで頭がギンギンに冴え渡っており、めっちゃくちゃ長い文章を書いてやろうと思っているからね。
 すっげー個人的な内容だし、以下の日記は読み飛ばしてもらって結構です。


 最近、かなりビックリした事があった。
 ネットって便利だが、怖ぇーとも思った。
 とある女性から、「もしかして、あなたは・・・」というメールが届いたのである。
 なんと! 俺が一番最初にお付き合いした女性からであった。 お付き合いと言っても、21年前の話である。 俺が覚えている限りでは小2で付き合い始めて、途中別れた後に小5から再び付き合ったような付き合ってないような気がするが、中学生になってからは疎遠になって一言も話しをした記憶がないので、実際には17年ぶりに(メールで)会話をしたことになる。

 現在の彼女は3児の母らしく、そのことが俺をひどく悲しくさせた。 何が?って、「嗚呼、俺って年取ったんだなぁ・・・」とリアルに実感してしまったから。
 単身19才で外にポンッと飛び出したせいで、周りの同年代と比較されることがなかったし、同年代で意識し合う環境にもなく、当然のごとくライバルになるような存在もいなかった。 周りの日本人の中ではいつも“最年少”であったから、自分の中での年齢と、実年齢との間にギャップが生まれていていたようで、今まで実年齢に対するリアリティがなかった。
 俺と同い年で、子供が3人?! まぁ、一般的に俺の年齢では有り得ない話ではないのだが、何せ俺が知っている彼女は小学生である。 小学生→3児の母、この間が抜けているわけだからショックを受けるのも当然だろう。
 俺からしたら、小学生のくせに3人も子供がいるも同然なのである。 そんなもん、非合法だろ?

 それが、ここ最近は彼女だけではなく他にも数人の同級生と(ネット上で)十数年ぶりの再会をした。 その皆が結婚していて、子供もいた。
 もちろん、不定期にでも連絡を取り合っていた同級生や幼馴染はいるが、彼らは皆独身で、俺の中では昔からあまり変わっていない。 それに変わっていたとしても、昔から今までの過程を知っているから特別大きな驚きはない。
 それが、“十数年ぶり”ともなると、その間の情報が一切ないわけである。 それがいきなり結婚して、子供もいるとなれば、「おいっ、お前は中学生だっただろうがぁー! 風紀委員会的には大丈夫なのか?!」と、ショックを受けるのと同時に、また自分も中学生ではなくなっているという事実を再確認させられてショックを受けるのである。
 ま、当たり前と言ったら当たり前なのだが・・・

 昔の彼女から「小学生時代の話は懐かしくて楽しいね」とメールが来たが、それって完全に年取った証拠じゃねーか?
 以前の“古き良き時代”に思いを巡らして、「あの頃は楽しかったなぁー」と、暫しの現実逃避にタメ息をつく。 自慰行為と一緒である。
 しかし、「懐かしくて楽しいね」と問われて、思わず「うん」と答えてしまいそうな自分に、またショックを受けるのである。
 何がショックか?と言えば、以前の俺は昔話に花を咲かせる人たちを見て、「もうテメエらに二度と春は来ないんじゃ、このジジババ共がっ!」と思っていたのだが、今の自分がまさにそうなりつつあるのである。

 実は、俺の脳味噌内のHDDは容量が少なく、過去の記憶データに新たなデータを上書き保存しながら生きている。 人の名前を直ぐに忘れるもそのためだ。 毎日一緒に働いていた従業員の名前を、まだ一緒に働いているのにド忘れしたこともあった。
 そんな俺のHDDに残っていないデータを、昔の彼女が持っていた。
 小学校の卒業文集に俺が何を書いたのか?を、彼女が覚えていてちょっとビビった。 そして、俺が書いた(らしい)内容を知ってさらにビビった。
 どうやら、『二羽のカラス』について書いていたらしい。 な、なんじゃそれー?! 気持ちわるっ! 彼女によると、担任の澤田先生(俺は名前すら忘れていた)が「着眼点が人と違う」と褒めていたらしいが、俺から言わせれば着眼点以前に卒業文集にカラスはおかしいだろう?

 そして、そんな本人まで知らない俺の過去を知る彼女に「あなたは今も昔と全然変わってない」と言われたが、奴は俺の事を何も分かっていない・・・ お前が年食って太り出したのと同様、俺も変わってしまったのだ。
 もう小学生、中学生の時の俺ではない。

 小6の時、俺は爆弾を作ることに熱中していた時期があった。 爆竹の火薬を取り出してシャンプーのボトルいっぱいに集め、導火線を繋げて火を点けるのだ。 海岸沿いのテトラポットを破壊したり、道路に穴を開けたりして遊んでいたのが、その頃のマイブームであった。 ある日、いつものように授業中にクラスメートを使って爆竹の解体作業をしていたのだが、休み時間に学校のトイレで実験してみたくなった。
 友達と一緒に、自作爆弾を便器の上に置き、導火線に点火し、ドアを閉めて息を呑む。
 パーンとか、バーンでもない、ドンッ!という鈍い爆発音がした。 恐る恐るドアを開けてみると、便器が木っ端微塵に吹き飛んでおり、ドアの内側に穴が開いていた。
 なぜか俺だけ校長室に呼ばれた。

 だが、俺も変わってしまった。
 なぜなら、29才になったからである。 だから、もうこんなことはやらない。
 やりたくても出来ないのだ!
 小6の時に補導されていたと仮定しよう。 どうせ新聞には『理科大好き小学生、学習欲が過ぎたか?!』程度の扱いであろう。
 しかし、今捕まったらどうだろう? 間違いなく『テロリスト、母校に破壊工作!』と、テロリスト呼ばわりされる可能性大である。
 小6から29才になるまでの間に、世界は大きく変わってしまったのだ・・・

 本当は、俺だってやりたいことは沢山ある。
 それが29才という年齢に制限されているのだ。
 福田首相のズボンとブリーフ(どうせトランクスなんて履いてないだろ)を一気にスポンッと引きずり下ろして、彼の“ミニなまこ”に2mほどの糸の先を縛り付け、糸の逆端にはロケット花火を付けて、点火して空に飛ばしたい。
 空に向かって飛んで行くロケット花火に糸を引っ張られ、首相の“ミニなまこ”も立派に空を仰ぐはずだ。
 そして、子犬のように黒目をウルウルさせながら「総理! た、勃ちましたねっ!」と、彼の肩にポンッとやさしく手を置いてあげたいのだ。
 絶対に楽しいと思うんだけど・・・

 しかーし、こんなことが許されるのも小学生までである。 これを29才の俺がやったらどうなるであろうか?
 翌朝の新聞一面に、『右翼団体構成員、首相の暗殺を狙う?!』と書かれるのがオチだろう。 ただ、29才らしくアダルトな知識欲をひけらかして「でも一瞬でしたね・・・ 内閣の支持率のように」とか、スパイスの効いたコメントを残していれば、『政治アナリストが首相に直球勝負!』と評価が変わる可能性もあるが、いずれにしてもSPにボコボコにされる気がする。

 こう考えてみると、自分の中の変化よりも、同年代の人たちの変化に影響されて「年を取ったなぁー」と感じることの方が多い気がする。

 一般的に、人は年を取るごとにリスクが少ない生き方、安定した生き方を選ぶようになる。 「リスクが少ない生き方は賢いが、面白くない」と思っている俺は、安定志向に走り出す時が若さを失くす時だという持論がある。
 人の人生にケチをつける気はさらさらないが、同年代の大多数が安定志向に走り出す“流れ”のようなものを見ると、「年代的に若さを失くす時期になったのだから、同年代の自分も年を取ったのだな」と自覚するのだろう。

 何も俺は、「2年近くもブラブラと旅をしているような生き方をしているから若い!」という気は全くない。 要は考え方の問題で、自分が今まで築き上げてきたもの、今までかかって手に入れたものを捨てて、ゼロにリセット出来るかどうか?ということだ。 年を取るほどに築き上げてきたものが大きくなるから、手に入れたものが大きくなるから、リセットする決断力と行動力を失くしてしまうのだ。
 それが、俺にとっては若さを失くした時。
 年は取っても、若さは失くしたくないものである。


 もし、今日の日記を全部読んだ人がいたら、お疲れ様。 誤字脱字が多いだろうけど、読み返してチェックする気もないので勘弁して下さい。
 29才と19日目記念(中途半端!)に、超長文の日記を書いてしまった。 自分の頭の中をそのまま文章にしたという点では、他人に読んでもらうための日記というよりは、自分自身のための日記かな。

旅の出費
外食代: 29元
市バス代: 2元
インターネット: 4元
合計: 35元(約550円)





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