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アジア横断シルクロード旅日記


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現在地はどこなの?

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莫高窟 in 敦煌
2007年10月29日(月)
池田大作

 なぜ敦煌が有名なのか?
 それは『莫高窟』があるからである。

 と、ガイドブックに書いてあった。
 そこまで言うなら見た方が良いのかしら?とも思ったが、見るかどうか散々迷った挙句に、今日は目の前まで行って中に入らずに帰ってきた。 中に入らなくても、外観は間近で見ることは出来る。

 中に入るか?迷った理由は三つ。
 その一、興味がない。
 その二、石窟シリーズは既に3ヶ所も見ており、千仏洞×3回=3千回見たに等しい
 その三、入場料がべらぼうに高い。 180元(約2,840円)もする。 日本語ガイドではなく、中国語ガイドを選んだとしても大して変わらず160元(約2,520円)。
 ちなみに、明々後日からはオフシーズンに入り、4月いっぱいまでの期間は、入場料が100元(約1,580円)になる。

 石窟は中がメインだから、外側を見ただけでは意味がないが、雰囲気は何となく味わえたと思っている。
 なぜなら、入り口に創価学会の池田大作がいて、「なんじゃ、これ?!」と写真も撮ったので、『莫高窟』は存分に堪能したと言えるだろう。

 説明文によると、どうやら彼は撮影機材、本、車6台、1千万円を寄付したみたい。
 俺も寄付したら池田大作の隣りで顔写真入りで紹介してくれるかな?と思ったが、やはり寄付は匿名の方が良いだろう!と思い直し、一昨日買ったDVD『帝国軍妓』を『莫高窟』にそっと置いてきた。

 石窟の中の様子は、写真で見た。
 確かに、俺が見てきた千仏洞3ヶ所のどれよりも明らかにレベルが高い。 ここまで『莫高窟』が有名になったのも、それなりの理由があったのだ。 俺自身は『莫高窟』の存在すら知らなかったけど。
 今まで俺が見てきた石窟と比べて、特に「違うな」と感じた点は保存状態である。
 新彊ウイグル自治区内にある石窟は、後に進出してきたイスラム勢力によって破壊されたり、傷を付けられている。 トルファン近郊の吐峪溝千仏洞で見た石窟内部では、壁に描かれていた仏教画に“丁寧”に傷が付けられていた。 壁一面に袈裟を着ている人(仏?)の絵が描かれているのだが、その描かれている顔の部分だけが全て抉り取られている。 また絵によっては、袈裟の間から見える乳首まで描かれていたようだが、その部分も抉り取られていた。
 イスラム教では、顔を絵にして残すことは偶像崇拝に当たるし、ましてや乳首が描かれている絵などは不道徳なものとして抉り取ったのであろう。
 その点で、敦煌はずっと仏教勢力下にあったから、新彊の石窟よりも保存状態が良いのだろう。

旅の出費
雑費: 3.5元
外食代: 29元
市バス代: 13元
インターネット: 7元
合計: 52.5元(約830円)

不思議な地形が広がる in 敦煌
2007年10月30日(火)
ゴビ砂漠

 ゴビ砂漠ツアーなるものに参加した。
 車1台300元(約4,730円)だが、オフシーズンで旅行者が全然おらず、シェア出来る人がいなかっため1人で貸切だ。

 実際に砂漠に着いてみると、想像していたのとは違い砂砂漠ではなかった。 ゴビ砂漠と言っても、大部分はモンゴル領内だ。 当然、砂漠にも色々な顔があるから、砂砂漠のゴビ砂漠もあれば、岩砂漠のゴビ砂漠もあるのだろう。
 でも、ホントは砂砂漠が見たかったんだけどな。
 写真のように、起伏に富んだ標高数百m程度の丘が数十km続いている。 植物の類いは、ほとんどと言ってよいほど生えていない。
 こんな丘の上にも2000年前に造られた狼煙台が残っていた。

 そして、ツアーの内容は?と言うと、この丘をひたすら歩く!
 俺、途中で飽きちゃったんですけど・・・
 ウズベキスタンのボイスンという町で、ソ連軍の兵士としてアフガン侵攻に参加したことのあるボボ(お爺ちゃんの意)に連れられて、“世界の屋根”パミール高原へと続くゼラフシャン山脈を連れ回された時のことを思い出してしまった。 ボボに「アフガニスタンの山はこんなもんじゃないぞ!」と叱咤激励されながら・・・ 俺は「アフガニスタンに侵攻しねーし!」と思いながら・・・

 過去にゴビ砂漠ツアーに参加した人たちのコメントを見ると、皆さん絶賛してましたけど、俺はちょっと・・・
 正直、コストパフォーマンスとしては300元は高いなと思っちゃいました。
 ちなみに、俺のサイトともリンクしている『LOHAs' Packers』(酔って便器とお友達の時の写真)

 も、このツアーに参加したことがあるらしく、サイト上で参加した時の模様を動画で配信しているらしい。

旅の出費
食費: 5元
タバコ: 5元
外食代: 18元
ツアー代: 300元
マッサージ: 78元
インターネット: 3元
合計: 409元(約6,450円)

意味の分からない日本語多用の中国製品
2007年10月31日(水)
裂きイカ的CGI

 裂きイカなのに、なぜか『和風ラーメン』・・・
 ラーメンの味が全くしないのは俺が味覚音痴なのかも知れないが、裂きイカとして食べると美味しい。

 えー・・・こんな死ぬほどどうでもいい裂きイカの話題から入ったことからもお分かりの通り、今日は何もやってません。
 1日中、ひたすらCGIをいじってました。
 ホームページの掲示板への書き込みに対してエラーが多過ぎるというのは、気付いていたけど見て見ぬフリをしてきたが、最近はその掲示板を設置したはずの管理人である俺の書き込みすらエラーにしやがって、むかついたので直すことにした。
 正確に言えば、既存のCGIを直すのは忘れて、新しいCGIを使って掲示板をガラッと変えてしまおうという、素敵で面倒臭くて時間の掛かる作戦である。

 ネットに繋がっている状態で、動作確認しながらCGIをいじるのがベストだが、現在はそんなことが出来る環境にはない。 そこで、部屋で自分のパソコンでいじっては、ファイルをUSBメモリに入れてネットカフェに持っていって動作確認という、恐ろしく非効率的なことを繰り返した結果!
 全く動かず・・・
 間にスパム・フィルターを入れたからかな?

 このせいで、本来は明日にでも敦煌を旅立つ予定だったのに、延長します。

旅の出費
タバコ: 3.5元
外食代: 27元
インターネット: 5元
合計: 35.5元(約560円)

綿花畑 in 敦煌
2007年11月1日(木)
コットン・フラワー的CGI

 綿花って、ほんとにフワフワしてて、ジャンパーが破れた時に出てくる綿屑そのまんまの格好で花になってるんですねぇ〜
 はぁー、そんな綿が入ってるジャンパーって素晴らしいなぁ!

 はぃ・・・何も考えずに書いた出だしから始まった日記からもお分かりの通り、今日も何もしていません。
 今日は、インターネットカフェに6時間半ぶっ続けでいたせいで、目がショボショボして老眼のお爺ちゃん状態です。 絶対に目が悪くなった気がする。
 まぁ、掲示板はほぼ完成したけど。

 昨日もそうなのだが、今日も晴れていて絶好の『鳴沙山』観光日和だったのだ。
 行こう、行こうと思いながらも、掲示板をいじっていたら結局行く時間がなくなってしまった。 その上、「明日には絶対に敦煌を出る!」という固い決意の元、バスのチケットを買ってしまったので、『鳴沙山』に登ることなく敦煌を出ることになった。
 どうやら、俺の敦煌での思い出はCGIだけになりそうである。

 一応、今後の予定を発表すると・・・

   敦煌
    ↓
   酒泉
    ↓
   張掖
    ↓
   武威
    ↓
   蘭州
    ↓
   天水
    ↓
   西安

 こんな感じになる。 目標は、西安に11月15日着!
 ペースを上げないと、中国ビザが切れる。 ビザ延長したくても、パスポートの余白がない・・・

旅の出費
外食代: 27元
シャワー: 5元
インターネット: 13元
宿代(5泊分): 150元
バス代(→酒泉): 65元
合計: 260元(約4,100円)

雪が降ったようだ in 酒泉
2007年11月2日(金)
酒湧き出る泉に雪降る

 ちょうど1週間滞在した敦煌を出て、東に向かう。
 今日はバスで約6時間かけて酒泉という町に移動してきた。 酒飲みには堪らない名前の町である。

 朝10時10分発のバスだったので、余裕をみて9時45分頃にバス・ターミナルへ行った。
 ところが、まるで俺待ちだったかのように急いで荷物を積まされ、せかされて席につくと、バスはすぐに発車してしまった。 ん、どういうこと?
 まぁ、結果的に乗れたから良いけど。

 朝早い出発だったので、発車してすぐに眠りについたのだが、フッと目を覚まして驚いた。
 敦煌の郊外のはずだが、辺り一面が雪で覆われていた。 完全に冬が到来したようだ。 外に出たらめちゃくちゃ寒いんだろうなぁ・・・

 その後も爆睡で、次に目が覚めたのは嘉峪関という町だった。 ここも町中は残雪で白い部分が多い。
 嘉峪関から酒泉までの20kmは、ずっと車窓を見ながら過ごした。 寝ぼけ眼だったのが、ハッとするほど車窓が綺麗だったのである。 右手に真っ白な雪山が連なっており、その起伏の富んだ山並みと、白い雪化粧と雲一つない青空のコントラストが美しかった。
 後で調べてみたら、俺が見たのは祁連山脈だった。 最高峰は、酒泉から南数十kmのところにある祁連山で、標高5,547m。

 夕方、目的地の酒泉に到着。
 ここも町中には雪が沢山残っていた(写真)。 ところがバスを降りてみて驚いたのだが、敦煌よりも暖かい!
 なんでだろう?

 ここ酒泉には伝説がある。
 面倒くさいので、少しだけ省いて書くが・・・
 前漢の武帝の時代、霍去病という武将が(中略)美酒は尽きることなく湧き続けたそうだ。
 そんな理由で『酒泉』と呼ばれているのである!

旅の出費
タバコ: 5元
食費: 5.5元
外食代: 9.5元
市バス代: 0.8元
インターネット: 10元
合計: 30.8元(約490円)

懸壁長城 in 嘉峪関
2007年11月3日(土)
天下第一雄関

 今日はショート・トリップで嘉峪関に行って来た。

 以前から、個人的には敦煌よりも嘉峪関の方が興味があった。 中国に入ってから西安に至るまでの道中で、真のハイライトと言えば嘉峪関だろう。
 ここ嘉峪関は、万里の長城の西の終点である。
 つまり中国の歴代王朝にとっては、ここから西は自国の領土ではない“西域”だった。
 そして西から来た俺にとっては、ここから馴染みのある東アジア文化圏に帰って来た感が強い。

 酒泉から西へ約20km戻ったところへある嘉峪関までバスで行き、嘉峪関でタクシーをチャーターして以下の3ヶ所を回った。
 一、懸壁長城
 二、万里長城第一敦
 三、嘉峪関

 まず行ったのは、懸壁長城(写真)。
 近づく車内からも「ちんちゃんちょーん!」と思うほど、険しい山の斜面に城壁が造られている。 最大傾斜角45度の長城を「ひーほー、ひーほー」言いながら登る。 残念ながら逆光だったが、眼前には雪化粧の祁連山脈が連なっていた。

 続いては、万里長城第一敦。
 渤海に面する河北省の山海関から長々と延びる万里の長城は、この北大河の絶壁でピタッと途絶えており、ここが万里の長城の正真正銘の終点になる。
 もちろん、これは明の時代(1368-1644)の万里の長城の話で、それより昔の前漢の時代(BC202-AD8)の万里の長城は、東は現在の北朝鮮領から、西は敦煌の西にある玉門関まで至った。

 写真で、真ん中にポコッと見えるのが万里の長城の終点である。 滑ったらこうなるぞ!
 現在は瓦礫の山が残っている程度だが、ここに物見台があったそうだ。 東の山海関が「天下第一関」と呼ばれているのに対し、ここは「天下第一敦」と呼ばれている。

 最後は、嘉峪関。
 “地球の歩き方”に書かれている嘉峪関の解説から一文を引用してみよう。
 「中国のとてつもないスケールを実感することだろう」

 ・・・・・そうか?
 “とてつもないスケール”の尺度がどの程度の尺度を指しているのか?は知らないが、城壁の上から西の方角を眺めると、遥か彼方まで平原が広がり「あー、広いね」と実感。 北東の方角を眺めると、雲一つない青空なのに灰色のスモッグが地面と空の間にどんより立ち込める嘉峪関の町が広がり「あー、公害だね」と実感。
 とてつもないよ。

 っていうか、中国の歴史的遺産って“新しい”のが気に障るんだよね。 嘉峪関の城壁なんて、多分新築だぜ。 懸壁長城だって、ピカピカだからね。
 修復し過ぎ!
 あと、嘉峪関の城壁の上って凹凹←こんな形になってるんだけど、よく眺めてみたらこの形に合わせて3種類のイルミネーション・ライトが張られていた・・・ 夜になったら、クリスマス・ツリーみたいに青や赤のイルミネーションがピカピカ光るんだろうなぁー。
 趣味が悪い!
 あと、嘉峪関の中にミニ動物園を作るのは止めて下さい。 意味がないし、そんなものを作る金銭的余裕があるなら、入場料を下げろ!

旅の出費
外食代: 14元
入場料: 105元
市バス代: 1.6元
タクシー代: 100元
インターネット: 4元
バス代(酒泉⇔嘉峪関): 6元
合計: 230.6元(約3,640円)

嘉峪関
2007年11月4日(日)
ロック・オン

 すっかり忘れていたことがあった。
 自他共に認める“族マニア”の俺が、アフリカを出て以来あまり本領を発揮していないのは、そこに族がいないからである!
 “族”と聞いて、特攻服を着てるくせに鬼畜米英艦に突っ込んでいかないような、鶏冠みたいな髪型をして欧米伝来の自動二輪装置で走り回っているような族を思い浮かべる程度の昭和な脳味噌をしている連中には用がない。
 この平成のご時勢、“族”といったら裸族しかいねーだろうぐわぁーっ!!

 が、俺は思い出した。
 中国にも気になる族の存在があったことを・・・
 “ちんぽー族”なる族が、中国のどこかに潜んでいるという機密情報を手に入れたことをすっかり忘れとった・・・
 素人的考えでは、名前から連想して「裸族なんじゃないだろうか?」となるのだろうが、族プロフェッショナルの俺様は違う。 何となく、ただ何となくだが、俺の勘が「裸族かも知れねー!」と叫んでいるのだ。
 根拠は全くないが、名前から連想したわけではないことははっきりさせておこう。

 どんな素敵なちんぽーケースを着けているのだろうか?とか、写真を撮る時は「マネー、マネー」と金を請求されるのだろうか?など、興味は尽きない。 そこで、とりあえず初めて会った場合の状況をシミュレーションして心の準備をしておくことにした。
 奴らは、絶対に自己紹介の時に「I am ちんぽー。」と名乗ってくるだろうから、そこで下手に対抗意識を燃やして「I was called ちんぽー when I was young!」などと、過去の血気盛んだった頃の話を持ち出すのはガキの対応である。 こちらは大人な対応をして、大和男児とは何たるや?を思い知らしめてやらねばなるまい。
 ちんぽーケースを装着した戦闘態勢で出向いて、「よろしくねー」と言いながら、ちんぽーケースをピコピコと指で弾くぐらいのジャブを放って、己の立場を優位に持ち込んでおいてから・・・(以下、自粛)

 だが問題もあって、現在の俺は残念なことにちんぽーケースを持ち歩いていない。 だって、寒いから。
 南アフリカのお土産屋さんで大人買いした、装着実例写真付ちんぽーサックでもいいけど、アレはあまり好きじゃないんだよなぁ〜・・・

 “ケース”と違って“サック”ですからねぇ、指サックと一緒で先っぽだけでしょ?
 もっと寒いし、露出度が過ぎる!

 いずれにしても、俺の中国旅行に大きな目標が出来たことは言うまでもない。
 今日は酒泉からバスで約4時間かけて、張掖という町へ移動して、さらにちんぽー族に近づいた。

 ところで、どこにいるんだろ?
 新彊ウイグル自治区にだけはいて欲しくない。

旅の出費
食費: 8.4元
外食代: 10元
市バス代: 0.8元
インターネット: 4元
宿代(2泊分): 120元
バス代(→張掖): 38.5元
合計: 181.7元(約2,870円)





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