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まだ途中の世界一周旅行





<ラオス・ビエンチャン> アヌサワリー
 ビエンチャンのシンボル。昔、フランスの植民地だったので、パリの凱旋門を模して作ったそうだ。 外側はそこそこ立派だが、内側は作りが粗末。
 世界一のんびりした首都と言われるのも納得できるほど、何もない町(国自体もだけど)で、観光といってもココを観る以外に大した建造物はない。
 ビエンチャン市内をアヌサワリーも含めて日本語ぺらぺらのイラン人リザと一緒に観光する。 夜はイラン革命について語り合った。
 ラオスは、北西にあるフェイサイから入国し、ボートでメコン川を下りながら古都ルアンプラバンまで行き、そこから陸路でビエンチャンまで行き、そこからさらにメコン川沿いに南下してパクセまで縦断した。
<インドネシア・イリアンジャヤ> ダニ族の女
 ジャカルタから客船で7泊8日でニューギニア島の海岸沿いにある州都ジャヤプラに着く。そこから内陸には幹線道路がないため、飛行機でワメナへ飛ぶ。
 赤道直下ということで暑いイメージがあるが、ニューギニア島の中央部には3,000mを超える横断山脈が走り、最高峰ジャヤ峰(5,030m)には氷河もあり、はっきり言って寒い。
 ワメナから徒歩で2泊3日ほど掛けて奥地に入っていくと、ニューギニア高地人と呼ばれる先住民が、男性はコテカ(ペニスケース)、女性は腰ミノのみで生活している。彼らは元人食い人種だ。
 でも、ワメナ近くの集落だと皆ジャンバーを着ているし、スレているから、本物の人食い人種がいる『秘境』に行くには片道15日くらい歩かないと遭えないそうだ。
<インドネシア> ドボンソロ号の食事
 首都ジャカルタの港タンジュン・プリオクと、イリアンジャヤの州都ジャヤプラを結ぶ航路には、国営ペルニのDOBONSOLO号とCIREMAI号のどちらかが毎週金曜日に出ていた(当時)。所要7泊8日で、エコノミー運賃で353,500Rp(約5,000円)。
 運賃には2食の食事も含まれているが、その食事というのが毎食、写真の食事。囚人気分を味わえる。
 しかも、この写真の食事をもらうのに1〜2時間並ばなければいけない・・・
 そういえば、隣のベッドの親切にしてくれたRiniという人は、東ティモールのディリで降りていった。その後、1999年の東ティモール独立紛争に伴う虐殺を生き残っただろうか? 手紙を出したが、返事は来ない。
<インドネシア・コモド島> コモド・ドラゴン
 世界最大のトカゲ。大きいもので体長3mを超えるといわれる。
 コモド島は島全体が国立公園になっており、あちこちでコモド・ドラゴンがウロウロしている。島には宿泊施設が1軒しかなく、旅行者は皆そこに泊まるのだが、朝起きて朝食を食べにレストランに行こうとすると、階段の下でコモド・ドラゴンがボーっとしていてレストランに行けず困った。
 ちなみに普通に観察していると、彼らは非常にのろいが、基本的にトカゲなので走ると速いらしい。そのため、あまり近づき過ぎると食べられるそうだ。
 コモド・ドラゴンは獰猛な肉食動物で、餌に鹿を食べるらしい。
<インドネシア・フローレンス島> クリムトゥ山
 バリ島の東に連なるスンダ列島を船とバスで渡り歩く。とにかく移動がきつい旅としては、今まででベスト3に入るくらい辛かった。
 ボロボロになりながら辿り着いたフローレンス島はポルトガル語で『花』を意味する。
 フローレンス島の港町エンデから改造トラックバスで約3時間でクリムトゥ山の麓にあるモニという村に着く。旅行者は通常モ二に1泊して、翌日の早朝3時半に起きて改造トラックバスに乗り込み、クリムトゥ山の火口湖を目指す。
 この島にあるクリムトゥ山では、黒い湖、青い湖、緑の湖が並んでいる変わった景色を見れる。ここは5,000Rp紙幣のデザインにもなっている。この地域には死者の魂が湖にやってくるという言い伝えがあり、若者の魂は緑の湖、老人の魂は青い湖、犯罪者の魂は黒い湖に吸い込まれていくと云う言い伝えがあるほど幻想的な景色だ。
<インドネシア・ジョグジャカルタ> ボロブドゥール
 カンボジアのアンコールワット、ミャンマーのパガンと並ぶ世界3大仏教遺跡のひとつ。全て見たが、個人的には@アンコールワット、Aボロブドゥール、Bパガンの順ですごいと思う。
 ボロブドゥールは、ほぼ完全に修復されており、きれいな姿で建っていた。ただ、やはりアンコール遺跡の方がスケールが大きい!
 ボロブドゥールの近くに、プランバナン遺跡がある。別名ロロ・ジョングラン(痩身の乙女)とも呼ばれて、世界で最も美しいヒンドゥー寺院なのだそうだ。世界一かどうかは知らないが、確かに荘厳な雰囲気で建っていて、ボロブドゥールよりも味が出ている。
 ボロブドゥールもプランバナンも、ジョグジャカルタ市内から45分ほどで行ける。
<フィリピン・ボラカイ島> ホワイトサンドビーチ@
 ボルネオ島にあるマレーシア領サンダカンからフィリピンのミンダナオ島ザンボアンガまで船が出ている。「レディー・メリー・ジョイ2号」と立派な名前だが、実は元々徳島と大阪を結ぶ定期カーフェリーの「あきつ丸」だった。『徳島観光記念メダル刻印機』が置いてあった。ザンボアンガからフィリピンに入国し、ダバオから北上、レイテ島→セブ島→ネグロス島→パナイ島と船とバスで1ヶ月掛けて渡り歩き、フィリピン旅行のハイライトはボラカイ島。パナイ島のカティクランから、今にも沈みそうなボートでわずか15分でボラカイ島に着く。
 ボラカイ島では『ニュー・ビレッジ』に1泊400ペソで泊まる。ホワイトビーチまで2分という立地だ。
 島にはハングル文字が多い。韓国からの観光客が多いのだろう。
<フィリピン・ボラカイ島> ホワイトサンドビーチA
 ここは真っ青な空、真っ白い砂浜、エメラルドグリーンの海に、椰子の木と、南国リゾートの条件を全て満たしている。
 一日中だらだらとサンミゲル・ビールを飲みながら、ビーチサイドのオープンバーでボーっとする。
 個人的にはビーチとしては東南アジアで一番好きかもしれない。ただセブ島の日本人ダイビング・インストラクターいわく、ダイビングスポットとしてはイマイチらしい。
 ボラカイ島では『おふくろさん』という日本食レストランに入り浸っていた。レストランで宮本輝著「ここに地終わり、海始まる」を読んでいたら、無性にポルトガルに行きたくなってきた。日記には「2000年の冬にはヨーロッパにいるだろう」と書いていた・・・
<オーストラリア> エアーズロック
 インドネシアのビザが切れそうだったので、ビザの更新目的だけ!でオーストラリアに行った。最初はティモール島から漁船で上陸を考えていたのだが、面倒なことになりそうだったので、おとなしくバリ島から飛行機でノーザンテリトリーのダーウィンに飛んだ。ダーウィンで1週間ほどボーっとしていたがヒマだったので、エアーズロックを見に行くことにした。
 ダーウィンから1,530km、20時間掛けてアリススプリングスへ行き、そこからエアーズロックを目指す。
 エアーズロックで日没を見るためにヒッチハイクをした。行きは2〜30分掛かったが、フランス人夫婦が乗せてくれた。帰りはイギリス人夫婦が乗せてくれた。
<ブルネイ・バンダルスリブガワン>
スルタン・オマール・アリ・サイフディン・モスク

 1958年に総工費500万ドルを掛け、贅の限りを尽くして建設されたブルネイを代表するモスク。
 その豪華さは金持ち石油王国を実感するには充分過ぎる。
 ちなみに国王が住む王宮は、総工費40億ドル、部屋数1,790部屋、王宮内で働くスタッフ1,000人以上、所有する乗用車は全てベンツで110台だそうだ。
 さらに国民に対しては医療費、教育費はタダ。ジュルドン・パークという王族が開発した遊園地は、東南アジア一の規模を誇る上に全てがタダ!!(最近有料になったらしい) 昼間は客が全くいないので、遊園地を貸し切る気分が味わえるブルネイ。
<インドネシア・ポンティアナック> 赤道記念碑
 マレーシアのクチンからバスで10時間かけてインドネシアで唯一(当時)の“陸路”国境を越えてインドネシアに入る。
 赤道直下のポンティアナック(厳密に言うと市内は赤道の南数百mにある)はインドネシアの中では異色で、人口の35%を中華系が占めているそうだ。つまりインドネシアでよく中華系に間違われた俺としても、ジャヤプラで握りこぶし大の石を投げれられたり、メダンやスラバヤで集団で絡まれたような危険に遭う確立が低いので喜ばしい。
 しかしポンティアナックは暑い! いや熱い! クラクラしながらベモで赤道記念碑を見に行くが、はっきり言ってしょぼい。でも折角来たので、北半球と南半球を何回か行ったり来たりしてから帰った。
 ポンティアナックから首都ジャカルタまではペルニのエクスプレス船で13時間。
<マレーシア・ティオマン島> コーラルアイランド
 マレー半島東海岸の町メルシンからボート(25リンギット)でティオマン島まで約4時間。木の葉のように揺れるボートで着く先は、ティオマン島のアイルバタン。
 真っ青な空に、エメラルドグリーンの海が見たかったら、島からモーターボートで10分かけて沖合いに出るのがいい。
 透き通った海が広がり、覗いて見ると様々な色をした珊瑚が揺れ、カラフルな魚たちが泳いでいた。
 ビーチのキレイさで比較したら、フィリピンのボラカイ島の方が個人的には好きだが、海そのものについて言えば甲乙つけ難い。
 東海岸には、他にもカパス島などキレイな島がある。





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