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アジア横断シルクロード日記


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現在地はどこなの?

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サムゴリ・バザール in トビリシ
2007年4月30日(月)
異常気象

 絶対に異常気象だ・・・
 12月のモスクワで雪を見なかったくらい温暖だった冬に続いて、冷夏が到来か? もう明日には5月だというのに、トビリシはすっげー寒い。
 その中でも今日は特に寒い!
 こりゃ、地球は滅びるぞ。

 本当は今日にでもアルメニアに向けて旅立とうと思っていたのだが、中止。 だって寒いもん。
 こんな日は温泉に入って温まるに限ります。
 『ポセイドン』で温まった後は、生ビールをグビッと空けて明日の旅立ちに備えます。

 冗談抜きで、時間がなくなってきた。
 5月18日のトルクメニスタン入りまで、あと3週間もない。 予定よりも1週間余裕をみて入国日を指定しておいて良かったぁ〜。
 トビリシを出た後の俺は、鬼のような高速移動の連続でウズベキスタンまで走り抜けます。
 多分。

 写真は、サムゴリ・バザールのガラクタ屋台。 ボッロボロに錆び付いた鉄アレーとか、“本物のガラクタ”が所狭しと売られている。

旅の出費
ハマム: 2ラリ
外食代: 5ラリ
タバコ: 1.6ラリ
地下鉄: 0.2ラリ
インターネット: 1ラリ
宿代(3泊分): 36ラリ
マルシュルートカ: 0.5ラリ
合計: 46.3ラリ(約3,170円)

銅山の町アラベルディ in アルメニア
2007年5月1日(火)
アルメニア共和国入り

 今日から移動開始です。
 俺にとって旧ソ連構成国10カ国目になる『アルメニア共和国』にやって来た。
 アルバニア、アルメニア、アブハジア、似たような名前が多くて、どこがどこだか混乱するけど、別に気にしなくていいです。 違いを知ったところで、出世するわけじゃないから。

 今回トビリシを出たことは、俺の中で大きな意味がある。 もうグルジアには戻らないし、前進あるのみ。 しかも、当分の間はビザの制約のせいでダラダラ出来ないから、移動の連続になってしまう。
 次に少しゆっくり出来る場所といえば、ウズベキスタンか、クルグズスタン(日本名:キルギス)になりそう。

 今朝は9時前に起きて、荷造り。
 トビリシ駅前からマルシュルートカに乗って、マルネウリという町まで行く。 そこでマルシュルートカを乗り換えて、アルメニアとの国境の町サダフロへ。
 国境自体は町から3kmほど離れているので、歩くか、タクシーを使うしかないのだが、マルネウリから乗ったマルシュルートカの運ちゃんが「連れて行ってやる」と言うので、サダフロの町からそのままチャーターして国境まで行った。 どうせラリなんてもう要らないから、残っているラリを全部あげた。 と言っても、たったの4ラリ(約270円)なんだけどね・・・

 国境越えは簡単だった。
 アルメニアのビザは国境で発給してくれるので、アゼルバイジャンの時のように「スタンプを押し忘れてるから、トビリシに戻れ」なんてことはない。

 国境を越えると、タクシーと値段交渉をしているアジア人のバックパッカーがいた。
 話をしてみると、韓国人だった。 「一緒にタクシーをシェアしないか?」と言われたが、タクシーで行く気ゼロの俺は断って「マルシュルートカで行く」と言うと、彼も一緒に来ることになった。

 国境から通りに出て、トボトボと歩いているとアルメニア人が「こっちに来い」と手招きしている。 カフェに連れ込まれた俺らは、コーヒーやらジュースやらを奢ってもらい、最終的にはマルシュルートカを捕まえてもらった上に運賃まで払ってもらった。 何で、そこまで親切にしてくれるの?って感じだが、とにかく良い人たちだった。

 今日の目的地はアラベルディ、昔は銅山で栄えていたけど今は廃れた感じの寂しい町だ。(写真)
 ここの周辺にある教会が素晴らしいらしい。 全然興味ないんだけど、皆が「行った方が良い」と言うので、「あら、そう?」と寄ってみました。
 今日は、サナヒン修道院とミコヤン博物館を見てきた。 ミコヤン博物館は、ミコヤンさんの記念博物館です。 入り口には現物のMiG-21戦闘機が展示されている。 実はロシアが世界に誇るミグ戦闘機を開発したのは、アラベルディ出身のミコヤンさん。 『ミ』コヤンさんと、同僚の『グ』リイェヴィチさんが共同開発したからミグって言うんだって。
 へ〜

 ちなみに、アラベルディの人たちは皆フレンドリーで良い人たちばかりです。
 でも、民族性なのか?フレンドリーなんだけど、けっこううざい。 珍しい奴はほおっておけないのか、かなりの高確率で絡まれます。
 さっきも「松尾芭蕉の俳句を知っている」というおっさんに絡まれて、おっさんの持っている日本の知識を延々とロシア語で披露されていました。 多分、酔っ払っていたと思うけど、かなりしつこかった。
 皆、フレンドリーで絡んでくるから、無下にシカトが出来ないのが辛いところで、毎回当たり障りがないように適当に対応してるけど疲れる。

旅の出費
タバコ: 300ドラム
ビール: 300ドラム
外食代: 1,500ドラム
ロープウェイ: 100ドラム
宿代(1泊分): 2,000ドラム
アルメニア・ビザ代: 30USドル
マルシュルートカ(トビリシ→マルネウリ): 2ラリ
マルシュルートカ(マルネウリ→国境): 4ラリ
合計: 6GEL+30USD+4,200AMD(約5,240円)

ハグパット修道院 in アラベルディ
2007年5月2日(水)
徒歩3時間30分

 今日、往復3時間半も歩いて修道院を見に行ってしまった。 なんか、ケチなBP(バックパッカー)って感じで、だせー!

 アラベルディの周辺には10世紀に建てられた修道院が幾つかある。 基本的に、俺は修道院系に興味はない。 だって、ただの宗教建築物だろ?
 とは言っても、『アラベルディに行ったら、ハグパット修道院は行っておいた方が良い』という勧めを受け、そのハグパット修道院とやらに行ってみることにした。
 旅して4年になるという韓国人なんて、行く気満々だ。 彼の名前は聞いたけど、数秒で忘れてしまった。

 ハグパット村まで行くバスは、非常に少ない。
 朝の早い時間帯は知らないが、お昼の時点で次のバスは午後3時と言われた。 さすがに午後3時までは待てないので、途中まで乗せていってくれるバスを探すが、言葉がうまく通じず全て断られてしまった。
 仕方がないので、歩いて行くことになった。 あまり乗り気ではなかったが、歩きながらバスを捕まえてもいいかな?と思って。

 結果的にバスは捕まらず、往復18kmくらいの距離を3時間半も掛けて歩いてしまったのだが、ハグパット修道院なんてわざわざ歩いてまで行く所じゃねーな。
 まぁ、人によって“旅のツボ”があるので一概には言えないけど、もしもう1人の俺がいて、これからハグパットに行こうとしてたら「わざわざ歩いてまで行かなくていいんじゃね?」って言うね。
 しかーし! もしですよ、ハグパットに裸族がいるっていうのなら話は別。 2〜3日歩かないといけなくても、俺は絶対に行くね。 でも実際にハグパットにあるのは、UNESCOだか何だかで世界遺産に登録されている古い修道院だけ。
 確かに山の上にあるから、景色は良いですよ。 遠くに雪を抱いた山々が見えるし。 でも、そんなので言ったらグルジアのカズベキにあるツミンダ・サメバ教会の方が遥かに景色は良いからね。 教会自体の価値で言ったら、ハグパット修道院の方が世界遺産に登録されてるんだから凄いんだろうけど、俺はそんなのどーでもいいしな・・・

旅の出費
食費: 450ドラム
宿代(1泊分): 2,000ドラム
合計: 2,450ドラム(約810円)

カスカード in イェレヴァン
2007年5月3日(木)
大きいのが好き

 早朝出発のマルシュルートカに乗って、アルメニアの首都イェレヴァンまで移動して来た。
 アラベルディを南下し、小カフカス山脈につづくアルメニア高原を走る。 アルメニア高原の平均標高は1800mで、途中の車窓からはアルメニア最高峰のアラガツ山(4090m)が見えた。

 わずか3時間弱で首都イェレヴァンに到着。
 ここで韓国人とは別れ、1人でイェレヴァン市内をブラブラしてみる。

 まず行ったのは、カスカード(写真)。 『ソヴィエト・アルメニア成立50周年記念碑』が頂上にあり、それに連なる巨大な階段状のモニュメントからなる。 もうソ連は解体しているので記念碑の名前は変わっているが、いずれにしても“大きいのが好き”という共産主義国家の遺産を見れた。

 続いては、母なるアルメニア像。 これもソ連時代の遺産で、自由の女神みたいな巨大な女の像だ。 ちなみに、母なるグルジア像とか、母なるウクライナ像とか、旧ソ連の国々は巨大女像が沢山ある。 母なるアルメニア像の周りには、なぜか戦車やミグ戦闘機、ミサイルなどが置いてある。

 その後は、町の中心を南下してオペラ・バレエ劇場を通り過ぎ、共和国広場を通って、最後は聖グリゴル・ルサヴォリチ大聖堂を見て観光は終了。

 アルメニア人は思っていたよりも良い感じで、特に悪い印象はない。 実際にアルメニアに来る前は、「チンチャンチョン」と冷やかされて嫌な思いをしたとか、顔を見て笑われて嫌な思いをした(特にイェレヴァンで)などのネガティブな感想を聞いていたので、多少は気にしていたのだが、大して気になるほどのものでもない。
 ようするに、ただの田舎者ってだけなのだ。 東洋人が珍しいから、友達とコソコソ話してクスクス笑ってみたりと、そういうレベルの話。
 アフリカと一緒で、“フレンドリーさ”と“ウザさ”が比例してしまうのがアルメニアという国。

 お金の話をすれば、グルジアより場面によって(バスとか値段が表記されていないもの)は若干劣るものの、アゼルバイジャンよりは遥かにまともだ。 今のところ、あまりボラれた記憶はない。
 至ってまともな気がする。

旅の出費
タバコ: 300ドラム
食費: 1,835ドラム
地下鉄: 150ドラム
シャワー: 500ドラム
外食代: 1,000ドラム
インターネット: 670ドラム
マルシュルートカ(→イェレヴァン): 1,700ドラム
合計: 6,155ドラム(約1,990円)

『ソ連カラオケ』 in イェレヴァン
2007年5月4日(金)
ソヴィエト社会主義共和国連邦カラオケ

 今日は生憎の雨。 本来なら、こんな天気の日は外出なんてしないのだが、なんと観光しちゃったもんね! フフフ、やる気満々って感じだ。

 向かった先は、『大虐殺博物館』。
 アルメニアで大虐殺? 実はあったんです、90年以上前に。 第1次世界大戦中の1915年、オスマン帝国時代のトルコ軍にアルメニア人が100万人以上虐殺されたのが、アルメニア大虐殺。
 それの慰霊碑と博物館がツィツェルナカベルド公園内にある。 知らない間に世界各地の虐殺記念館を回っていた俺としては外せない見所の一つだが、わざわざ行くほどの場所でもなかったね、ここ。
 まぁ、自称だが174万5,390人が虐殺されたそうです。 博物館のスペースを一番使っているのが、2000年頃に書かれた絵というのは仕方がないのか? 2000年と言えば、わずか7年前。 想像上で書かれた絵を虐殺博物館に展示して、悲惨さをアピールするのも宣伝工作の一つとしては有効かも知れないが、史実性という観点から見れば疑問も残る手段だ。

 イェレヴァンの観光地巡りは、大虐殺博物館で終了。 あとは町をブラブラしてみました。
 その結果、ツーリスト・インフォメーションの隣にあった怪しげなナイト・クラブを発見(写真)。 その名も『CCCP』。 『CCCP』はロシア語でソヴィエト社会主義共和国連邦の頭文字をとった略語で、英語では『USSR』と呼ばれる。 まぁ、つまりは“ソ連”ってことです。
 そんな名前だけど、カラオケ。
 しかも、地下に下った階段の先にはレーニンの顔が・・・ 怪しさ満点です。 さらに、ナイトクラブ『CCCP』の隣には、ポルシェのディーラーが。 まるで社会主義の象徴と、資本主義の象徴が並んで店を出しているかのようなギャグに、結構ウケました。
 金に余裕があれば行ってみたいんだけどなぁ〜

 雨が激しくなってきたので、今日の観光はこれにて終了。 実質、ほとんど何もしてません。

 夜は昨日に引き続き、シャワー屋さんにシャワーを浴びに行った。
 アルメニアは民泊が安いのだが、どこもシャワーがないのが難点。 シャワーどころか、水すら出ない。 アラベルディの宿も水が出なかったので、2日目に我慢できなくなり浴槽に溜まっている怪しい水で髪を洗ってしまった。
 イェレヴァンの宿も水が出ないのだが、すぐ近くにシャワー屋さんなるものが存在する。 30分で500ドラム(約160円)払えば、熱々のお湯をガンガン使ってシャワーが浴びられる。 しかも、全て個室になっており中も広々している。

 今後、アルメニアにいる間はシャワーを浴びるのは難しそうだなぁ〜・・・ アフリカ並みの水事情の悪さは、何とかして欲しいものです。

旅の出費
地下鉄: 50ドラム
タバコ: 300ドラム
食費: 1,530ドラム
シャワー: 500ドラム
生活用品: 700ドラム
宿代(2泊分): 3,000ドラム
マルシュルートカ: 200ドラム
合計: 6,280ドラム(約2,030円)

ザンゲズル山脈 in アルメニア
2007年5月5日(土)
ナゴルノ・カラバフ共和国入り

 自称『ナゴルノ・カラバフ共和国』にやって来た。
 ここは本来はアゼルバイジャン内にある自治州だ。 ところが、自治州内に住んでいるのはほとんどアルメニア人(1920年には94%)。 そのため、元々自治州内のアルメニア人は「アゼルバイジャンじゃなくて、アルメニアと一緒になりたい」という意見が強かった。
 ソ連時代からナゴルノ・カラバフ自治州の帰属問題を巡って、アルメニアとアゼルバイジャンとの間で軍事衝突が起っていたのだが、ソ連崩壊と同時の1991年9月に自治州は『ナゴルノ・カラバフ共和国』として独立を宣言。 その結果、アゼルバイジャン軍との間で戦争になった。 1994年の停戦まで、アルメニア側が優勢に戦いを進め、ナゴルノ・カラバフ自治州だけではなく、ついでに隣接するアゼルバイジャン領も制圧してしまった。
 これはアゼルバイジャン領土の約20%にあたる。

 こんな経緯で発足した『ナゴルノ・カラバフ共和国』だが、世界でこんな国を認めているのはアルメニアしかない。 当然、ナゴルノ・カラバフ問題を巡ってアルメニアとアゼルバイジャンは超仲が悪い。
 一応、アルメニアからは国家として認めてもらっているが、それ以外からは国家として扱われていないので、同じような境遇の『沿ドニエストル共和国』(去年12月に訪問)、『南オセチア共和国』(3週間前に訪問して捕まった)、『アブハジア共和国』ら“悪の枢軸”たちと仲が良い。 サミットを開いたりして、お互いを慰めあっているらしい。

 ナゴルノ・カラバフ共和国の国境は、アゼルバイジャン側は未だ“停戦中”なので最前線になっており、当然入れない。 そのため、開いている国境はアルメニア側のみ。
 一丁前に“国家”を自称しているので、入国に際してビザが必要だ。 イェレヴァンに大使館があり、そこで取得できる。

 でも、大使館に行くのが面倒だから、ビザ無しでやって来た。 アルメニアとの“国境”はノーチェックなので、そのまま見付からずに素通り。 ただ、その先の検問所でパスポート・チェックを受けた。
 「ビザがない!」と言われたが、「首都ステパナケルトで取るから」と言って無罪放免。

 アルメニアの首都イェレヴァンから、ナゴルノ・カラバフの首都ステパナケルトまでは、マルシュルートカで5時間半掛かった。 とにかく山道で、グネグネ&凸凹していたが景色は良かった(写真)。

 首都ステパナケルトは、人口4万人。 国自体の人口が14万人しかいないから、小さな国(?)だ。
 ステパナケルトに着いて直ぐ“外務省”に行った。 ここでビザを発給してくれるらしい。 小さな外務省で、入って行くと誰もいない・・・ 「おーい!」と叫んでたら、ようやく出てきた。 ビザ発給をお願いすると、「プロブレム」と言う。
 おぉっ、今度はどんなプロブレムだ?と思っていると、ビザ代は銀行振り込みになっており、その銀行が今日は土曜日で休みらしい。
 そんなわけで、土日はあまりウロウロするなと言われました。 月曜日にビザ代を振り込んだら、また外務省に出頭です。

 そういえば、今日のイェレヴァンは最高に快晴だったのだが、アララト山が綺麗に見えた。
 ハグタナク橋からアララト山を望むと、その手前に見えるイェレヴァンの街並みとの遠近感が絶妙な感じで、良い写真が撮れそう。
 俺は撮らなかったけど。

旅の出費
食費: 1,350ドラム
外食代: 900ドラム
荷物代: 200ドラム
市内マルシュルートカ: 100ドラム
マルシュルートカ(→ステパナケルト): 5,000ドラム
合計: 7,550ドラム(約2,450円)

ナゴルノ・カラバフの象徴『お爺さんお婆さん』
2007年5月6日(日)
お爺さんお婆さん

 ↑この写真を見て、「なんじゃ、このヘンチクリンな像は?」と思ったあなた!
 ナゴルノ・カラバフをナメるなよ!
 これこそナゴルノ・カラバフの象徴、『パピク・タティク』である。 国家の象徴である上に、国章にさえ起用された素晴らしいデザインのアートである。
 ちなみに『パピク・タティク』を日本語に訳すと、『お爺さんお婆さん』という意味らしい。
 まぁ、『パピク・タティク』は現地人が勝手に呼んでいるだけであって、正式名称は『我らの山』だそうだ。 カラバフの山々と住民の調和を象徴したらしい。
 どの角度で見ても、山々と住民の調和を表しているように見えないのは、俺だけか? 右側のおっさん、アゴが長過ぎるだろ!
 ナゴルノ・カラバフのビザを取得すると、もれなく『パピク・タティク』の絵がデザインされたビザがパスポートに貼られる。

 今日のステパナケルトは快晴に恵まれ、ジャケットが要らないくらい暖かい。
 ブラブラと歩いてパピク・タティクを見学した後は、マルシュルートカに乗ってシューシという近郊の町まで行って来た。
 昨日、外務省の担当官に「ビザを取得するまで、ステパナケルトを出るな」と言われたけど、関係ねー。

 シューシは、昔は町の半分がアルメニア人地区、半分がアゼルバイジャン人地区だったが、1918年の戦争の際にアゼルバイジャン軍が町を制圧して、アルメニア人地区は廃墟に。 ところが、1992年の戦争の際は逆にアルメニア軍が町を占領。 町全体が破壊されて廃墟になったが、今は難民を中心にして人が住んでいる。
 結局、“見所”は廃墟だ。
 現在の町の中心はアルメニア人地区。 新しい教会も建っており、普通の町っぽい。 そこから坂を下っていくと、元のアゼルバイジャン人地区がある。 当然、アルメニア人でシャーシに移住して来た人たちが住みついたりしているので、地区内に人1人いないわけではない。

 そこは破壊されたアパートと、人の住みついたアパートが混在する空間だった。
 破壊されたモスクなどの建築物は、15年という年月を経て“遺跡”のような雰囲気になっており、あまり悲惨さは感じられなかった。 元アゼルバイジャン地区の周りには新たに建築中の家々もあり、“破壊”と“建設”の間をとったような場所だ。

 ブラブラと写真を撮りながら歩いていると、アルメニア人のおっさん達に呼び止められた。 ビールをご馳走になったりしたが、彼らのアゼルバイジャン嫌いも中々のものだった。 顔をしかめながら「アゼルバイジャン人はムスリムだが、アルメニア人はクリスチャンだ」。 続けて、喧嘩するポーズを取りながら「Good problem(グッド・プロブレム)!」と強い口調で言っていた。 多分、『Big problem(ビッグ・プロブレム)』の間違いだと思うが、あえてツッコまないでおいた。
 アゼルバイジャンではアルメニアの悪口を聞かされ、アルメニアではアゼルバイジャンの悪口を聞かされるが、第三者の目から見れば、まだアルメニアの方が精神的余裕がある風に感じられる。
 やはり戦争の勝者と敗者の差か。

 民族と領土の問題が絡んで、未だ解決していない土地ナゴルノ・カラバフ。 旧ユーゴスラビアのコソボも同じような問題を抱えているが、実際に憎悪は憎悪しか生まないことは事実のようだ。

旅の出費
ビール: 300ドラム
外食代: 2,300ドラム
インターネット: 250ドラム
マルシュルートカ: 400ドラム
合計: 3,250ドラム(約1,050円)





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