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アジア横断シルクロード日記


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現在地はどこなの?

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ナリカラ城塞跡からトビリシ市内を望む
2007年4月9日(月)
自己嫌悪

 日本に飛行機で帰ろうかな?とフッと思った。
 だって、スーパーウルトラやる気ゼロだから。
 興味がないんだよねぇ〜、旅行に。 こんな末期症状のまま旅を続けても、意味がないし。
 今日だって、起きたら午後3時。 宿を出る気力すらゼロだったけど、あまりの自分の駄目人間っぷりに「このままではまずい!」と奮い立ち、インターネット・カフェへ・・・
 “トラベラー”な俺は、いつもと違うネットカフェに行こうと思い立ち、地下鉄で3駅も離れたタヴィスプレバ広場にやって来た。 国会や市庁舎、大統領府がある、いわばトビリシの中心部である。 トビリシ滞在11日目にして初めてやって来た中心部。
 全く興味ねー!

 でも『南アフリカから飛行機を使わずに日本に帰る』って決めたのは自分自身だし、止めるのは簡単だけど、日本に帰ってからトルクメニスタンにわざわざ行くか?って言われれば、答えは絶対に「ノー」だし・・・
 せっかくだから、もう少しだけ頑張ってみようかな? 日本に帰ったら、当分は外国に出ることもないだろうし。
 ホント、「旅行に出て1年です」とか「2年です」って人はエライって言うか、旅行馬鹿なんじゃね?
 飽きないのかね? 俺には1年が限界です。 もう限界を超えて、いっぱいいっぱい。

 無理やりにでも旅行モードに切り替えるべく、宿をチェックアウトすることにした。
 行き先は、『南オセチア共和国』の首都ツヒンヴァル。 グルジア内にある自称国家です。
 ここでは、グルジアのお金ラリは使えず、流通しているのはロシアのお金ルーブル。 ルーブルも用意して、準備はばっちり。 あとは、明日の朝に寝過ごさなければ完璧だ。

旅の出費
食費: 5.1ラリ
地下鉄: 0.4ラリ
インターネット: 2ラリ
宿代(4泊分): 48ラリ
合計: 55.5ラリ(約3,800円)

グルジア内務省軍の装備
2007年4月10日(火)
最前線で逮捕?!

 ↑こんな格好をしていますが、警察なんです。
 旧ソ連圏の国には、正規軍の他に内務省直属の警察がおり、戦車など装備は軍と同等レベル。 同じ警察でも、南部式回転拳銃しか腰に差していない日本の警察とは装備が違います。
 実際の仕事も軍と同じだから、普通に“内務省軍”と呼んだ方が理解しやすいかも。
 ちなみに、彼が手にしているのはカラシニコフAK-74で、迫撃弾も撃てるオプション付き。

 実はワタクシ、南オセチアとグルジアの境界付近で身柄を拘束され、2時間の尋問の末、警察署で一夜を過ごしちゃいました。
 今日の日記は、そんなワタクシの悲しいお話です。

 今日は思いっきり寝坊した上に、外は雨でどんよりしている。
 しかーし! ここは気合を入れて行動あるのみ!
 朝食兼昼食を取っていたら午後2時をまわってしまったが、南オセチアに向けて行動を開始した。

 南オセチアとは?
 グルジア国内には、自称国家が2つもある。 1つはグルジアの西にある『アブハジア共和国』、そしてもう1つは北にある『南オセチア共和国』である。
 ソ連が解体した直後、この地域ではグルジアからの独立、そしてロシア連邦への編入を求めて激しい内戦が起った。 結局、ロシアが介入して停戦に至ったものの、多くの難民を出した。
 現在も、これらの地域にはグルジア政府の実効支配は及んでいない。 勝手に政府を作って、大統領までいる“なんちゃって国家”である。
 アブハジアは、基本的にロシアからしか入れない。 グルジア側の治安機関が一般旅行者を通していないのだ。
 南オセチアの方は、グルジアから簡単に入れる。 その上、“入国”に必要な書類もない。

 トビリシからバスでゴリまで行き、ゴリでマルシュルートカ(ミニバス)に乗り換えて南オセチアの首都ツヒンヴァルを目指す。
 1時間ほどすると、遮断機が左と右から交互に道路を遮っていて、武装した兵士が立っていた。 グルジア側の最前線だ。 ここをノーチェックで通過すると、今度は車止めが左と右から交互に道路を遮っている。 これはロシア軍主体の国連平和維持軍だ。 続いて、土嚢を積み上げた南オセチア側の最前線があり、ここもノーチェックで通過する。

 すると、直ぐに大きな町が見えてきた。 ほぼ廃墟の建物が多く『ホントに人が住んでるのかいな?』と思うほどガラ〜ンとしている。 通りを歩いている人も疎らで寂しい。
 しばらく走ると、また遮断機があり、装甲車が止まっていた。 ここもノーチェックで通り過ぎたが、『けっこう検問が多いなぁ』と思ってボケーっとしていると、しばらくして運ちゃんが何か俺に話しかけてきた。 意味わかんねーけど、降りる場所でも聞いてるんだろうなと推測し、「ヴァグザール(駅)」と答えると、運ちゃんはブレーキを踏み、車内は騒然。

 なになに? とっくに通り過ごした?!

 えー、町の中心って感じの所なんてなかったぜ・・・
 運ちゃんも、他の乗客も色々と言ってくるが、何を言ってるかさーっぱり分からん。 何となくジェスチャーで「ここで降りて、逆方向に行くマルシュルートカに乗れ」と言ってるっぽい。
 そんなわけで、降りてみた。

 ・・・・・・・

 って言うか、ここどこ?! 何村?!
 突然、村に降り立った謎の東洋人に村人がワラワラと集まりだした。 色々と話しかけてくれるが、何も理解できん。 俺の方は「イポーニェッツ(日本人)」、「ヴァグザール(駅)」、「マルシュルートカ(ミニバス)」の3単語だけで意思の疎通を図ろうとするも、全く通じん!
 その内、おっさんの1人が携帯電話で電話を掛け始めた。 「・・・イポーニェッツ・・・」と、会話の節々で「日本人」って言ってるから、助けでも呼んでくれてるのかな?

 すると車が来た来たーっ!
 しかし喜ぼうと思ったら、車から出てきたのは軍服を着て、カラシニコフを持った方たち・・・
 どなた?
 でも彼らに「車に乗れ」と言われ、大人しく車に乗り込む。 相手はカラシニコフ持ってますからねぇー。
 さては、ツヒンヴァルまで送ってくれるんだな?

 ところが連れて行かれたのは、畑の真ん中にある施設。 ツヒンヴァル駅ではないことは確かだ。
 早速、俺のパスポートは取り上げられ調べられている。 その間に荷物チェックが入った。 沿ドニエストル共和国に行った時と同様、今回も万が一の場合を考えて必要最低限の荷物しか持って来なかった。 カバンの中身は、歯みがきセット、トイレットペーパー、懐中電灯、コカ・コーラLight、ガイドブック、ロシア語会話帳だけ。 所持金も、その時ポケットには8ラリ(約550円)と100ルーブル(約430円)しか入っていない。
 これはさすがに「これだけ?」と反応するしかないだろう。

 とにかく、自分がどこに行きたいか?を伝えなければならないと思い、「ツヒンヴァル」を連呼する。 ところが、その度に相手は難しそうな顔をして、話は進展しない。 ロシア語会話帳を駆使して(意外に使えない本であることが、今回判明した)、『トビリシに泊まっていて、今日はトビリシからマルシュルートカでツヒンヴァルまで来ようとしたが、ツヒンヴァルで乗り過ごしてしまって、どこだか分からない場所で降ろされた』と自分の状況を説明してみる。

 後になって分かったことだが、実は俺が捕まっていたのは南オセチア軍支配地域ではなく、グルジア軍支配地域のクルタという村だった。 南オセチアと呼ばれている地域内にもグルジア人の村が点在しており、その場所だけ飛び地でグルジア軍の支配下にあるらしい。
 グルジア領から南オセチア領に入ると、いきなり首都ツヒンヴァルがあるのだが、ツヒンヴァルを通り過ぎると飛び地になったグルジア支配地域がある。 そこを越えると、また南オセチア領になる。 俺が降りたクルタは、そのグルジア支配地域の基地になっている村で、一番南オセチア寄りにある。
 つまり俺が捕まった場所は、紛争が起ったら真っ先に道路が分断されて孤立し、戦闘の最前線になる場所だった。

 そんな場所で「ツヒンヴァル」と連呼しても、事態が好転するわけもない。 何しろツヒンヴァルは敵国の首都なんだから。
 そんな事は露とも知らず、すっかり南オセチア軍に捕まったと思っている俺は、「なぜツヒンヴァルに連れて行ってくれないのか?」理解が出来ない。
 その時までに俺が理解していたことは、彼らが軍ではなく警察であること。 連れて行かれた場所は警察署であることだけ。

 尋問の最後に一番偉そうな人の部屋に連れて行かれ、「あれ?」。 部屋に特大のグルジア国旗が飾られている!? 最初は全く意味が分からなく頭が混乱していたが、徐々に説明を聞いている内にようやく理解できてきた。 ここってグルジア領なんだ・・・
 片言の英語を話せる人も来て、俺もきちんと説明出来て、ようやく話は決着した。
 お偉いさんの判断で、俺を『迷子』扱いということでトビリシに送り返すらしい。 強制送還だ。 でも、「今日はもう時間が遅いから警察署に泊まって行け」と言われた。
 豚箱かよ!?と思ったのだが、夜勤の警官用のドミトリーをあてがってもらった。
 ドミトリーは暖房が効いてポカポカだし、テレビもある。 さらには夕食にハチャプリ(チーズ入りパン)をご馳走になった。

 『連行されて、尋問された』といっても、最初っから最後まで終始和やかムード。 俺は椅子に座ってタバコを吹かしながら尋問されてたし、途中でお菓子やらお茶やら出てきて、普通にゲスト扱い。 警官たちも、突然現れた珍客に色々と親切にしてくれた。 AK-74を持たせてもらったし(撃たせてはくれなかったけど)、「写真を撮りたい」と言ったら「ビンラディン!」と言いながらポーズを取ってくれた(日記の写真)。

旅の出費
外食代: 4.1ラリ
地下鉄: 0.2ラリ
バス(トビリシ→ゴリ): 3.5ラリ
マルシュルートカ(ゴリ→ツヒンヴァル): 2ラリ
合計: 9.8ラリ(約670円)

トビリシ旧市街にあるハマム
2007年4月11日(水)
そして半強制送還

 早朝7時に起こされた。 朝が早いよっ!
 パトカーに乗せられて移動した後、トビリシ行きのバスを捕まえて乗せられる。
 半分強制送還である。
 まぁー、バスだから好きな場所で降りれるんだけどね。 乗ったバスも、南オセチアの首都ツヒンヴァル経由のトビリシ行きだから、ツヒンヴァルで降りることも可能だ。
 でも、何か疲れた・・・

 ロシアのプーチン大統領の特大看板を町中に見ながら、ツヒンヴァルを通り過ぎる。 町中にはロシアの国旗と、南オセチアの“国旗”が並んではためいている。 相変わらず陰気臭い雰囲気の町だ。
 町に大した見所があるわけでもないし、バスを降りるのが面倒くせー! ツヒンヴァルなんて忘れて、このままトビリシに帰っちゃおっーと。

 バスは乗り換えなしでトビリシまで来た。
 バスの運ちゃんに運賃を払おうとしたら、「要らない」と断られた。
 ほぇ、何で? 警察に連行されてバスに乗せられた日本人に対する同情か?! 「余計なお世話だ!」と言いたいところだが、ここは有難く同情に甘えよう。

 トビリシの宿に戻って、昨日からの出来事を話す。 今、宿には旧ソ連圏のロシアやアゼルバイジャンに長期滞在経験があって、バックパッカー向けガイドブック『旅行人』の「シルクロード」版の取材・執筆を担当している人がいる。 彼はチェチェン紛争中のチェチェン共和国にも行ったりしている、かなりの旧ソ連通で、彼から色々と南オセチアの説明を受けた。
 行く前に説明を受けろって感じだけど。

 「クルタに行った日本人は初めて聞いた」と言われたが、ただの乗り過ごし&結果的に捕まってるからねぇ〜・・・ ごく最近にも南オセチアで衝突があったばかりらしく、全面戦争になる確率はほとんどないものの、ちょっとした銃撃戦などは散発的に起っているらしい。
 グルジア人が全て追い出されたアブハジア共和国と違って、南オセチア共和国は今もオセット人の村とグルジア人の村が混在しているらしく、そのグルジア人の村々はグルジア人支配地域になっているのだそうだ。 この南オセチア地域内のグルジア人支配地域の中心となるのが、俺が捕まっていたクルタだそうだ。 しかも周りを南オセチア支配地域に囲まれているので、“陸の孤島”状態で、ひとたび武力衝突が起れば最前線になる場所らしい。
 危ねーじゃん、クルタ!!

 「クルタ情報を書いた方がいい」と言われたので、何となく書きます。 誰かの役に立つんかいな?
 クルタでマルシュルートカを降りてから10分後には警察署に連行され、それ以降は外に出られなかったので全然クルタ村を見てないんだけど、見た感じではホントなーんにもありません! 幹線道路(オセチア軍道)沿いに木造民家がポツポツ建っているだけで、それ以外は畑だけ。 でも、北に雪化粧のカフカス大山脈が見えて景色は良かったな。 写真を撮るどころではなかったけど。
 多分、泊まるところなんてないと思うよ。

 疲れを癒すべく、トビリシの旧市街にあるハマム(温泉)に行った。 ここはお風呂屋さんではなく、ホントの温泉が出ていて、温度も超日本人好み。 浴槽も深く、肩までゆっくり浸かれるのがGood!
 ハンガリーのキラーイ温泉のように、ホモのおじさんたちがチ○コを弄くりあっていることもない、健全な温泉です。
 写真は、ハマムの入り口。

旅の出費
雑費: 0.2ラリ
ハマム: 2ラリ
外食代: 10ラリ
地下鉄: 0.2ラリ
マルシュルートカ: 1ラリ
合計: 13.4ラリ(約920円)

ドゥルジャニ・ニコズィット
2007年4月12日(木)
ちょっと休憩

 今日も寝坊して昼過ぎに起きちゃったけど、今朝は許されるでしょ? 一昨日、昨日と掛けて色々と気を使ったんだからさ。
 『自分がどうなるのか?』って心配は皆無だったんだけど、基本的に『旧ソ連圏の役人・警察の類いは末端まで腐敗している』というのが頭にあって、賄賂を請求されたり、カメラを没収されたりしないかの方が心配で、けっこう神経を使った。
 結果的には、良い人ばかりだったんだけどね。

 今日はバザールに行って生活用品を買い揃えたりして、まったりと過ごす。
 明日から、タクシーをチャーターしてグルジア軍道を北上しようと思っているので、それの準備。

 写真は、グルジア料理『ドゥルジャニ・ニコズィット』。 茄子の上にすり潰したクルミとパクチー(香草)が載っている。 「クルミ?!」と聞いて、不味そうな感じだったが実際に食べてみると結構いける。 ご飯に合うおかずだ。

旅の出費
ワイン: 3ラリ
食費: 10ラリ
雑費: 1.3ラリ
タバコ: 1.5ラリ
地下鉄: 0.2ラリ
外食代: 3.5ラリ
インターネット: 3ラリ
合計: 22.5ラリ(約1,540円)

グルジア軍道最北の町カズベキ
2007年4月13日(金)
グルジア軍用道路

 トビリシを北上して、グルジア軍道をロシアとの国境まで行く。
 『グルジア軍用道路』とは、ロシアのウラジカフカスとグルジアのトビリシを結ぶ交通路のことで、帝政ロシアが南下政策で建設した道路の名称だ。
 現在のロシアとグルジア、アゼルバイジャンを隔てる国境は、4〜5,000m級の大カフカス山脈沿いに引かれている。 それでアルメニアも含めた3カ国は、南カフカス3カ国と呼ばれている。

 今回の目的地は、グルジア軍道ではグルジア側最後の町カズベキ。 その先はロシアとの国境になるが、情勢不安定により第三国の外国人はこの国境を越えられない。

 バスやマルシュルートカで直接カズベキに行くことも可能だが、出来ればグルジア軍道の見所を見ながら北上したいと思い、同じ宿の日本人旅行者2人と一緒にタクシーをチャーターして行くことにした。
 ある程度の人数が集まらないとチャーターは金銭的に辛いから、今回はラッキーだ。
 値段交渉して、カズベキまでの片道を60ラリ(約4,080円)で行ってもらうことになった。 1人当たり約1,360円なら、まぁまぁ許容範囲内だ。

 トビリシを出たタクシーは、まずムツヘタという町に寄って、ここでスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂を見学。 そこからグルジア軍道を北上して、途中でアナヌリ教会を見る。
 さらに北上を続けると、徐々に峠道に入ってくる。
 グネグネの峠道を登っていくと、今まで遠くにしか見えなかった雪が道路脇に積もっているようになる。 2m以上は積もっているだろうか? そのまま上がって行くと、スキー場がある。 辺り一面が銀世界で、これなら十分に稼動できる。
 さらに上っていき、グルジア軍道の最高地点ジュヴァリ峠(2,379m)を越える。 周りの景色は雪一色で、木も生えていないから太陽光が雪に反射してチカチカ目が痛い。 サングラスを持って来れば良かった・・・

 ジュヴァリ峠から下りになり、平らになった所から山々の谷間をしばらく走るとカズベキがある(写真)。
 写真に写っていないが、逆側には万年雪を被った標高5,033mのカズベキ山がそびえている。
 トビリシを出て、何ヶ所か寄り道しても4時間程度で着いてしまった。 意外と近いもんだ。

 周囲を雪を被った山々に囲まれて景色は抜群のカズベキだが、町自体はしょぼい。
 な〜んにもない、共産主義時代の遺産みたいな寂れた町だ。 ここからトレッキングにでも行くなら数日間は滞在出来るが、それ以外は辛そう。 俺も2泊するつもりで来たが、1泊だけにします。

 な〜んにもすることがないから、夜8時に就寝。
 一度、夜中に目が覚めて窓の外を見たら、満開の星空が広がっていた。

旅の出費
雑費: 1.5ラリ
地下鉄: 0.2ラリ
宿代(2泊分): 24ラリ
タクシー(→カズベキ): 20ラリ
合計: 45.7ラリ(約3,110円)

標高5033mのカズベキ山
2007年4月14日(土)
久しぶりの雪山

 8時に早起きして、クヴェミ・ムタ山に登った。
 この山の頂上には14世紀に建てられたツミンダ・サメバ教会がある。 麓から見上げると、どうやって建てたの?って思う。

 村人に登山口を教えてもらって、登り始める。
 普通にハイキングみたいな感じで、『余裕かな?』と思っていたのだが、登山道が徐々に標高5,033mのカズベキ山との間に回りこんでくると、道に雪が積もっているようになってきた。
 最初は雪が積もっていない、道の端っこを歩いていたのだが、段々と道自体が雪で見えなくなってきた。 それでも、そのまま登っていくと、雪がとんでもなく深くなってきた。 他人の足跡を辿って歩いていたのだが、たまに深みにはまった足跡もあって、それが恐ろしいほど深い。 多分、腰くらいの深さはありそうだ。
 ハイキング・コースにしてはハードだ・・・
 結局、片道2時間以上掛かって頂上に辿り着いた。

 むっちゃくちゃ寒い!!
 寒風吹き荒び、知らない間に鼻水が氷柱になってるくらいだ。 そして、目の前にはカズベキ山が見える(写真)。 山の尾根を伝って歩いたら、簡単に登れそうな感じだけどね。
 そんな、とんでもない場所にあるツミンダ・サメバ教会だが、人が住んでます。 修行してるのかも。
 「へー、凄い所に建てたもんだねぇ〜」という、当たり障りのない感想を抱いて下山。 せっかく登っておいて、ゆっくりしたいところだが、寒い!!

 帰りは帰りで大変だった。
 ちょうど正午前で陽が降り注いで暖かくなってきた頃で、雪が柔らかくって深みにはまりやすくなっている。 何とか下山したが、もう二度と登らねぇー!
 結局、往復で徒歩3時間以上は掛かった。

 カズベキでの目的は達成されたので、マルシュルートカに乗ってトビリシに帰ってきた。

旅の出費
タバコ: 2ラリ
食費: 3.5ラリ
外食代: 4.1ラリ
地下鉄: 0.2ラリ
宿代(1泊分): 15ラリ
マルシュルートカ(→トビリシ): 8ラリ
合計: 32.8ラリ(約2,230円)

フレーム
2007年4月15日(日)
風邪引いた

 鼻水が止まらん!
 どうやら風邪を引いたっぽい。 写真のような場所を3時間以上も歩いたからな・・・
 来週から精力的に動こうと思っていた矢先の風邪で、ちょっと嫌だな。

 一泊二日とは言え、ある町を拠点にして観光するようになったのは久しぶりの気がする。
 エチオピアにいた去年の4月以来、1泊しかせずに移動したことは片手で数えられるほどしかない。 去年のクリスマスから思い出してみても、ハンガリーのブダペストに2週間、ドイツのデュッセルドルフに1週間、セルビアのベオグラードに3日、ルーマニアのブカレストに5日、ブルガリアのソフィアに3週間、トルコのイスタンブールに1ヵ月半、そしてここもあと少しで3週間と、完全滞在型で観光する気すらなかった俺だが、今週は一泊二日で観光してますからねぇ〜。 凄い進歩ですよ。

 一応の今後の予定は、明日にもアゼルバイジャンのビザを取りに行って、水曜日にはアゼルバイジャンに向けて旅立ちます。 水曜日で、ちょうとトビリシ滞在3週間記念になるから。
 水曜日までに風邪を治さないと。

旅の出費
ゼロ





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