アフリカ大陸縦断旅行日記
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2006年1月30日(月) |
鶏鍋 in ザンビア |
いよいよ明日タンザニアに向けて出発! ということで、2等寝台を1等寝台にアップグレードすべくTazara Houseに行く。 ところが休みでやんの・・・ 明日の朝8時半にオフィスが開くらしいので、何とか当日にアップグレード出来ることを祈る。 出来なかったら、(自業自得だが)2等寝台で2泊3日も棺桶ベッドで過ごさなければいけない。
昼飯でついにアフリカ・デビューを飾った。 トウモロコシを潰した粉末を熱湯で煮詰め、捏ね上げたシマという主食を食べてしまった。 アフリカに1年以上住んでいながら、食べたのって多分2回目。 ケープタウンで『ママアフリカ』というレストランに行った時に食べたような記憶も薄っすらとあるので、それ以来だ。 しかも手で食べたのは初めて。 今後の旅行では食事に苦労しそう・・・ 全く外国の飯に興味ないからなぁ〜
夕方、皆とフットサルをしに行く。 やはり体を動かす前には準備運動を念入りにしないといけない。 そこで、アキレス腱を伸ばしたり、ストレッチをしたら疲れた。 疲れたっと言うか、息切れがした。 そんなわけで、残念ながら俺の神業的なドリブルを披露する機会もなく、ベンチでハーハー言いながら休んでいた。 体力ゼロじゃん・・・ 待ってろよ、キリマンジャロ!!
夜は、とーる君邸で鶏鍋(写真)。 一応、ここはザンビアなんだよ、という証明のために、ザンビア・ビール『MOSI』も一緒に。 昆布ダシがばっちり出て、超旨かった。 やっぱ鍋には日本酒だよ。 やっぱりアフリカには鍋&日本酒だよ。
旅の出費;
バス代: 3,000クワチャ
電話代: 20,000クワチャ
タバコ代: 11,000クワチャ
食料代: 51,550クワチャ
バティック: 15,000クワチャ
鶏鍋代: 20,000クワチャ
インターネット: 550,000クワチャ
合計: 670,550クワチャ(約22,680円)
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2006年1月31日(火) |
タザラ鉄道に乗り遅れた |
日本米とシジミ汁に、梅干で朝食を取る。 いよいよルサカを出発だ。
とーる君とシェフに車で送ってもらう。
まず、Tazara Houseで2等寝台から1等寝台へアップグレードする。 出来て良かった。
Tazara Houseに隣接するIntercityバスターミナルで、2人とはお別れ。 予定では、ここからバスで3時間ほど北にあるカピリ・ムポシという町に向かい、そこからタンザン鉄道に乗り込む。 発着が首都ルサカではないところが意味不明。
ちなみに“タンザン鉄道”は日本での呼び名。 現地では“タザラ鉄道”と呼ぶ。
ルサカからカピリ・ムポシ行きのバスを探し、乗り込む。 まだ午前9時で時間は十分にある。 余裕だったので、ちょっと寝ることにした。
昨日の日本酒が残っていたのか、思いっきり寝てしまい、気が付いたら11時。 あれ? 「10時に出る」って運転手が言ってたんだけどな。 11時だけど、バスはルサカのIntercityバスターミナルに止まったまま。
ザンビアのバスは乗車率100%にならないと出発しない。 つまり、座席が1席余っていても出発しないのだ。 窓から外を見ると、同じくカピリ・ムポシ方面に行くバスと、俺が乗っているバスの間で乗客の取り合いをしていて、胸ぐらを掴む喧嘩が始まっていた。
12時になっても出発しない。 ちょっと焦ってきた。 座席は残り3席。 俺も客の取り合いの喧嘩に参戦しようかとちょっと迷う。
絶対にやばい。 9時にバスターミナルに来てから、既に4時間が経過している。 その間に、待ちくたびれた乗客の数人がバスを替えて降りて行ってしまった。
午後1時にようやくバスはルサカを出発する。 列車の出発時刻は午後4時で、あと3時間しかない。 ギリギリだ。
「ぶっ飛ばせー!」という気持ちとは裏腹に、バスの運ちゃんは警察の検問で2回も捕まり、10分以上も時間をロスする。
3時半くらいになると、4時にカピリ・ムポシに着くのは絶望的となった。 こうなったら列車が遅れて出発してくれることを願うだけだ。
カピリ・ムポシに着いたのは午後4時10分。 バスを飛び降り、タクシーを捕まえてタザラ鉄道の発着駅である『ニュー・カピリ・ムポシ駅』に向かう。
駅に着いた。 タクシーの運ちゃんが駅の周辺でボケーっとしている連中に大声で聞く。
「タザラはまだ出てないか?!」
『10分前に出たよ』
げっ! 乗り遅れた・・・ どうしようと途方に暮れる俺に、タクシーの運ちゃんがボソッと呟いた。
「ジャンクションに行こう」と。
え? ジャンクションって何? 線路のジャンクションが近くにあって、そこでは列車がスピードを緩めるから、飛び乗れるのか? よく分からなかったが、とりあえず運ちゃんの言う通りジャンクションに向かう。
ところが連れて行かれたのは、普通のT字路。 確かにジャンクションだけど・・・ すると運ちゃんは、「ここでトレーラー車を捕まえて列車を追い掛けるんだ」だって。
普通に列車に乗るつもりだったので、財布の中にはクワチャが2万(約670円)しか入っていない。
え〜・・・ 旅行モード・ゼロ状態なのに、いきなりのピンチでスロットル全開にしないといけない雰囲気・・・
しばらくボケーっとパンをかじりながら考えたが、カピリ・ムポシに金曜日まで滞在して、次の列車を待つことにした。
タザラ鉄道の駅に向かい、乗り過ごした分のチケットで次の列車に乗れるか?聞いてみる。
駅長の部屋に案内され、状況説明をする。 すると腰の低そうな駅長は「I'm sorry」を連発して同情してくれた。
さらに「君はどうしたい?」と聞かれたので、チケットを金曜日の便に変更して欲しいと言うと、「No problem」を連発しながら簡単に変更してくれた。
さらに「金曜日までカピリ・ムポシで待つのか?」と聞かれたので、駅の余ってる部屋か警察署か教会に案内してくれと頼む。 金が2万クワチャしかないし、時間的に両替も出来ないから、駅か警察署か教会にタダ泊して金曜日まで待つと言うと、駅長たちは何やら相談を始めた。
ちなみに、どうしても野宿しなければいけない状況になったら、警察署や教会を訪ねるのが良い。 ただちょっと間違えると面倒なことになるのが難点。 俺はフィリピンを旅行中に統一教会の施設にタダ泊した時に、説法に強制参加させられ、教義にたて突いたら追い出された甘い思い出がある。
相談をし終えた駅長は、警察署でも教会でもタダ泊はおススメ出来ないと言う。 まぁ、普通はそう言うわな。
彼らの考えでは、カピリ・ムポシを6時過ぎに出るバスに乗って、タンザニアとの国境の町ナコンデに向かえば、列車より先に着くので、そこから列車に乗れると言う。
さらにバス代も、駅長が両替してくれると言う。 「為替レートはお前の言い値で良い」とまで言われた。
さらに外で待っていたタクシーの運ちゃんが、タクシー代を俺に請求した途端、駅長が運ちゃんに説教を始めた。
「彼は外国人なんだぞ、分かるか?! ザンビアを訪れた外国人をプロテクトするのがザンビア人の使命なんだ。 お前が日本に行った時に、日本人がお前をプロテクトしてくれなかったらどう思う!?」
じーん。 駅長! 俺、感動しちゃったよ(涙)。
俺、日本人なんて一言も言ってないのに、日本人だって分かってくれてたんだね(涙)。
30USドルを両替してもらい、駅長たちに連れられてバスターミナルに向かう。 バスのチケットの購入から、バスの運ちゃんに「こいつをよろしく頼む」まで至り尽くせりだった。
ザンビアって、思っていたよりいい国じゃん。
カピリ・ムポシに着いたバスは見た目は立派(写真)。 ルサカ発ナコンデ行きのバスは、ザンビアの他のバスと一緒で乗車率100%にならないと発車しない。
つまり、ルサカ発だから、ルサカを出る時点で乗車率100%だったということだ。 俺の場合、そのバスに途中から乗るわけだから、座席がない。
すると、運転手が屋台で使われているようなチープ感全開のプラスチック製イスを通路に置いて、「座れ」だって。
もちろん背もたれ無し。 しかも1列が3席+通路+2席の“通路”ってめちゃくちゃ狭くて、細身の俺でさえケツが両側の座席に挟まってイスにきちんと座れない。
これって、新手のザンビア式拷問ですか・・・?
めちゃくちゃしんどい。 そろそろ国境かな?と時計を見たら、出発してからまだ30分しか経っていなかった。
ケツは痛いし、寄り掛かるところがないし、隣の親父はワキガ臭いし、辛い・・・
旅の出費;
2等→1等へアップグレード: 19,000クワチャ
バス代(ルサカ→カピリ・ムポシ): 35,000クワチャ
タクシー代: 40,000クワチャ
バス代(カピリ・ムポシ→ナコンデ): 80,000クワチャ
水: 2,000クワチャ
合計: 176,000クワチャ(約5,950円)
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2006年2月1日(水) |
追いついたぜ、タザラ鉄道 |
死の10時間が経ち、早朝5時にバスはタンザニアとの国境の町ナコンデ(Nakonde)に到着。 もうアフリカ縦断とか、どーでもいい感じ。 すっげーしんどかった・・・
しかも列車に乗り遅れたおかげで、せっかく使った学割分の節約がパーだ。
列車がナコンデに到着するまで4〜5時間あると言うので、ナコンデで陽が登るまで待つ。
ナコンデでも色々な方たちに声を掛けられた。 その内の1人と会話をしてみた。
「ニーハオ、チーチェーホー」
『ごめん、ニャンジャ語(ザンビアの現地語)は分からないんだ』
「違う、違う。 これは中国語だ」
『え?! あなた中国人?!』
「違う! ザンビア人だ!」
『そっか、黒い中国人見たことないもんなぁ。 でも中国語もしゃべれてスゴイね。』
「・・・」
『皆、中国語しゃべれるし、ザンビアでは中国人が人気なんだね。 他の国では中国人嫌われてるのに、ザンビア人だけは中国人が好きなんだねぇー』
「・・・」(首を横を振りつつ消えて行った)
ガハハ、褒め殺しで勝ったぜ。 馬鹿めっ!
ヒマ潰しをしたところで、タザラ鉄道のナコンデ駅に向かう。 歩いて向かっている途中で、スーツ姿の人に名前で呼ばれた。
「あれ? 何で俺の名前を知ってるんだろう?」
なんと、彼はナコンデ駅の駅長さんで、『昨日、カピリ・ムポシ駅々長から、列車に乗り遅れた日本人が行くからと電話をもらった。 列車には乗れるから安心しろ』と言う。 すげー、話が早ぇー。
午前9時45分、俺が乗り遅れながらも、バスで追い越したタザラ鉄道の国際列車がナコンデ駅に到着。
タザラ鉄道の乗客は車内で出入国手続きを済ませることが出来る。 ザンビア側の出国手続きはナコンデ駅に到着するまでに終わるので、俺だけ出入国管理事務所に行って出国スタンプを押してもらってから列車に乗り込む。
タンザニア側に入ると、直ぐにタンザニアの出入国管理官が各部屋を回って入国スタンプを押してくれる。 ビザも50USドルで、有効期間は3ヶ月。
タンザニアに入った途端、ザンビアのお金は車内で使えなくなると聞いていたが、問題なく使えた。
しかも値切れた! 食堂車で昼食を食った後に、8,000クワチャを請求されて、「7,000しかない」と言ったら7,000クワチャになった。
こんなんでいいのか?、タザラ鉄道。
旅の出費;
タンザニア・ビザ代: 50USドル
昼食代: 7,000クワチャ
ビール: 900タンザニア・シリング
合計: 50USD+7,000K+900TSh(約6,080円)
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2006年2月2日(木) |
ダルエスサラーム到着 |
1等寝台は片側上下2人の合計4人部屋。 俺はアメリカ人とザンビア人と、夜になると何処からともなく現れて寝て、朝になると消える国籍不明人と相部屋だった。
列車に乗ると、お姉さんがミネラル・ウォーターと石鹸をくれる。 トイレットペーパーは1部屋で1個だ。
食堂車とバーもあるが、部屋にデリバリーしてもらうことも可能だ。 値段も思っていたより安くてビックリした。
シャワーは、お姉さんに言わないとカギを開けてくれない。 俺が「シャワーを浴びさせろ」と騒いでいたので分かったのだが、相部屋の人たちはシャワーがあることさえ知らなかったようだ。 ちなみに水シャワーだ。
毎日ベッドシーツを交換してくれるのにもビビった。 さすが1等だぜ。
ダルエスサラームの手前で、列車は国立公園の近くを走り抜ける。
まずは左にUdzungwa Mountains国立公園、続いて左にMikumi国立公園、右にSelousゲームリザーブがある。
俺が見たのは、インパラとイボイノシシ、サル、ゾウの頭蓋骨2つだけだったが、ゾウやキリンを車窓から見ることも出来るそうだ。
昼の12時に終点ダルエスサラームに到着。
相部屋だったアメリカ人とザンビア人とタクシーをシェアして市内に向かう。
俺はブルンジ大使館に近いYMCAに泊まることにした。
このYMCAで日本人旅行者と知り合った。
俺と同い年の彼は、初海外旅行でアフリカを6ヶ月間旅行予定だと言う。 アフリカに上陸してから今日で4日目らしいが、2日目でいきなり拉致られて身ぐるみ剥がされたそうだ。
優しげに近づいて来た人の車には乗ってはいけませんよ!!
夜は、そのタケシ君とビールを飲む。 タンザニアはビールの種類が豊富だ。 ゾウがラベルの『NDOVU』、キリマンジャロ山がラベルの『KILIMANJARO』、ヒョウがラベルの『SERENGETI』などがあるが、俺的には『SERENGETI』が飲み易くて好き。
旅の出費;
コカ・コーラ: 400タンザニア・シリング
タクシー代: 3,500タンザニア・シリング
携帯電話SIMカード: 3,000タンザニア・シリング
ビール代: 1,700タンザニア・シリング
外食代: 2,800タンザニア・シリング
合計: 11,400タンザニア・シリング(約1,190円)
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2006年2月3日(金) |
タンザニア連合共和国とは |
俺にとってアフリカ10カ国目となる、『タンザニア連合共和国』についてちょっと説明。
国の面積は94万3,000平方キロで、日本の約2.5倍。 でも人口は3,300万人で、日本の約4分の1だ。
公用語はスワヒリ語と英語で、ようやく「ジャンボ!」の国に来たわけだ。
『タンザニア連合共和国』としては、1964年に本土のタンガニーナと、島のザンジバルが統合して結成された。
タンガニーナとザンジバルはそれぞれ若干別々の歴史を歩んでいる。
タンガニーナの方は、19世紀末にドイツが進出し、1890年に帝国植民地になった。 やっぱナミビアもそうだったけど、旧ドイツ植民地はビールが旨くて、良い遺産を残して行ってくれた。 タンガニーナは第1次、第2次世界大戦を経て、1961年にイギリス連邦内で独立した。
一方のザンジバルは、古く8世紀頃からアラブ人やペルシャ人が進出、象牙や奴隷貿易で繁栄して豊かな商業都市を形成。 19世紀前半には、オマーンのスルタン(君王)がザンジバルに本拠地を移して王国を建設。 その後、イギリス保護領となった後、1963年にスルタンを国王とする王国として独立するが、翌年にはアフリカ人(黒人)の革命で人民共和国となり、タンガニーナと合邦した。
タザラ鉄道が中国の援助で出来たことも分かるが、ザンビア同様に社会主義を標榜していた時期もある。
そういえば社会主義で思い出したけど、ザンビアのニュー・カピリ・ムポシ駅に毛沢東の写真は掲げられていなかった。 禿げ親父の写真を掲げてもカッコ悪いからかなぁー。
ダルエスサラームも、歴史の影響を色濃く受けた町だ。 ダルエスサラームという名前自体、アラビア語で『平和の家』を意味する通り、町を歩いていてもアラブ人やインド人の姿を非常に多く見かける。
宗教もイスラム教とキリスト教がそれぞれ人口の35%を占めるなど、イスラム色が一気に濃くなった。 モスクやヒンドゥー寺院を多く見掛ける。
ザンビアから来てちょっと驚いたのが、町を歩いていても「チャイナマン」とか「ひーほー」とか言われない。 やっぱザンビアより垢抜けてて、都会だよぉ〜!
今日はトラベラーズチェックを両替した。 現金なら町中の両替所の方がレートが良いが、T/CなのでNBCという銀行で両替する。 為替レートは現金と一緒で、1USドル=1,166TShだが、T/Cの場合は0.5%の手数料が掛かると言う。
途中で俺の担当者が変わった。 新しく窓口に入った彼女は0.5%の手数料を引くのを忘れていた。 気付く前に逃げよっと!
両替の後は、ダラダラ(ミニバスのこと)に乗ってブルンジ大使館に行く。 ダラダラの中で、「俺はブルンジ大使館に行きたいんだ!」とブツブツ言っていたら、周りの人たちが勝手に相談して、俺を適当なところで降ろしてくれた。 皆に言われた通りに歩くと、ブルンジ大使館を発見。
超しょぼい、ブルンジ大使館! 看板が出てないし、ブルンジの国旗なんて誰も知らないから分からないぜ。 簡単に侵入出来たので、侵入すると携帯電話に夢中になっているガードマンを発見。 忙しそうだったので、声を掛けるのにちょっと躊躇したが、思い切って聞いてみた。
「ブルンジ?」
ちらっと俺を見て、軽くうなずき、再び携帯電話で遊び始めるガードマン。 大使館もしょぼいが、ガードマンもしょぼい・・・
ダルエスサラームで取得するブルンジ・ビザは発給に丸1日掛かるらしく、金曜日に申請してしまったが為、月曜日までダルエスサラームにいないといけない羽目になってしまった。 ビザ代も高ぇー!!
夜、鶏鍋 in ザンビア・ルサカでも一緒だったテツとYMCAで再会。 宿の近くに『BILICANAS』という東アフリカ一の設備を誇るクラブがあるらしく、金曜の夜だし出動する気満々だったのだが、付近一帯がいきなり停電に。
暗闇を歩いていくのも難だし、今日は大人しくおネンネすることにした。
旅の出費;
ダラダラ: 400タンザニア・シリング
ブルンジ・ビザ代: 45,000タンザニア・シリング
外食代: 13,750タンザニア・シリング
インターネット: 3,600タンザニア・シリング
タバコ代: 850タンザニア・シリング
合計: 63,600タンザニア・シリング(約6,270円)
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2006年2月4日(土) |
サイバーパッカーのススメ |
俺のパソコン内、さらに60GBの外付けHDD内には、旅行に欠かせない色々なデータが入っている。
長瀬と加藤あい主演のドラマ『I.W.G.P』、『やんパパ』、その他日本語字幕の洋画12本など。
ちょっと前までは、メタリカとU2のライブビデオも入っていたのだが、データ量が多くなり過ぎてしまい、18禁モノの為に削除してしまった。
やはり100GB以上の容量の外付けHDDは必要だと痛切に感じる、今日この頃だ。 CDやDVDは、何枚も持っていると結構かさばるので、やはりデータだけHDDに移した方が荷物を軽く出来る。
他のサイバーパッカーと出会った時は、データの“スワッピング”を申し出る。 「読み終わった本を交換しませんか?」などと言う会話は昔の話で、今は「映像データを交換しませんか?」と言う会話になる。
そんなわけで、昨日の夜にルサカで仕入れたドラマ『やんパパ』を見た。 気が付いたら早朝6時だった。
めちゃくちゃ睡眠不足。
やっぱアフリカ縦断ってハードだぜ・・・
映像データだけではない。 日本の週刊誌もパソコンに取り込めば読むことが出来る。 『電子書籍の本屋さん eBook』では週刊誌や漫画、小説、はたまたヌード写真集などをネットからパソコンにダウンロード出来る。
ただ重いのが難点で、小説1冊分で20MB前後あり、ネット環境が悪い国だとダウンロードが無理な場合もある。
世界で高速データ通信化が進むか、ファイル圧縮技術がさらに進歩すれば、旅先でデータのやり取りが今以上に簡単になり、つまらない旅が楽しくなるというものだ。
バックパックの中身がデジタル機器化すると問題なのが電気。 ダルエスサラームも電気事情があまり良くないのか、停電が頻発する。
そこで、サイバーパッカー用に表面全体をソーラーパネル化したバックパックを売り出したらどうだろう? 雨季には弱いが、太陽エネルギーはタダだし、どんなジャングルに行こうが、砂漠に行こうが、餓死はするかも知れないが、パソコンでエロビデオは観られる。
俺は直接会っていないが、ソーラー発電機を持ち歩いているパッカーもいるらしい。 ただ単3乾電池をフル充電するのに3日掛かるらしく、あまり実用的ではなさそうだ。
インターネットもイリジウム携帯電話を持っていれば、サハラ砂漠の真ん中でも、エベレストの頂上でも、アマゾンの真ん中でも、エロサイトに接続可能になる。
イリジウム携帯電話とは、66個の低軌道人工衛星を使った通信システムのことで、地球上どこでも通信が可能。
実際に、ナミビアで知り合ったカナダ人オーバーランダーはイリジウム携帯電話を持っていて、「地球上どこからでもホームページをアップデート出来る」と豪語していた。
問題が1分1,500円くらいする通話料金だ。
町中をブラブラと散策してみる。 古い建物が多く、大抵の建物にはヒンディー語と建築年が見て取れる(写真)。 写真の建物は1931年と書いてあった。
今日は何か行事があったのか?全身黒服の集団を多数発見。 詳しくないので定かではないが、シーク教徒だと思う。 女性もベールで顔を隠していて、目だけ出てる。 そんな集団がいっぱいいた。
旅の出費;
外食代: 11,250タンザニア・シリング
インターネット: 2,500タンザニア・シリング
合計: 13,750タンザニア・シリング(約1,355円)
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2006年2月5日(日) |
ダルエス飽きてきた |
写真は、ダルエスサラーム市内のAzikiwe通り。 ダルエスサラームに来て4日が経つが、特に興味も湧かない都市だ。 ルサカより都会だが、それでも中途半端な規模。
ダルエスには、南ア資本のスーパーマーケット『SHOPRITE』や、『WOOLWORTH』もある。
YMCAのすぐ近所にCiti Bankもあってちょっとビックリした。
Citi Bankの隣にはファーストフードの『SUBWAY』がある。 客層はほとんどがアラブ系。
ダルエスの町中を歩いていると、「ひーほー」言われる代わりに、「こんにちわ」と日本語で声を掛けられることの方が多い。 今日もマリファナの売人に日本語で声を掛けられた。
でも、全然うざくない。 もっとうざい所は他にもっとあるから、ダルエスは相手にされない方だ。
あまり構ってもらえないと、ちょっと寂しかったりして、通りすがりのタクシーにクラクションを鳴らされたら、立ち止まるか、振り返ることにした。
急ブレーキを掛け、戻ってくるタクシー。
「どこに行く?」
『はぁ? ただ振り向いただけなんだけど』
ふ〜、ダルエスも飽きてきた。 でも、移動する気力があまりない。 明日元気があったらボートでザンジバルにでも行こうかな?
旅の出費;
外食代: 9,500タンザニア・シリング
合計: 9,500タンザニア・シリング(約940円)
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