さようなら、『アドリア海の真珠』(写真)。 そして再び内陸へ移動。 今月はトルコから数えて7ヵ国+1地域も訪れている・・・もうしばらく頑張れ、俺!
ドイツは目の前だ、多分。
ヨーロッパ6カ国目となる『ボスニア・ヘルツェゴビナ』にやって来た。
1991年から95年までのボスニア紛争で20万人が死亡、270万人が難民になった国、それがボスニア・ヘルツェゴビナ。
ボスニア・ヘルツェゴビナには、@セルビア人、Aクロアチア人、Bムスリム人(血はセルビア人またはクロアチア人だが、宗教がイスラム教だからムスリム人)という3つの民族が住んでいて、紛争時はこの3民族で三つ巴の激戦を繰り広げた。
1995年に停戦協定が結ばれ、『ボスニア・ヘルツェゴビナ』自体は単一国家として存続するが、内部には「ボスニア連邦(略FD)」(クロアチア人とムスリム人で構成)と「セルビア人共和国(略RS)」(セルビア人で構成)の2つの支配地域が存在し、それぞれの領土はボスニア連邦51%、セルビア人共和国49%で分けられている。
首都サラエボも、FD側とRS側に分かれているが、今は以前と比べて相互行き来も進んでいるようだ。
旧ユーゴスラビアでは、全ての紛争問題にセルビア人が関係してるんだね・・・
早朝8時発のクロアチアのドブロヴニク発、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ行きのバスに乗り込む。
約40分ほどで国境に到着。 クロアチア側の国境でもパスポート・チェックだけで、出国スタンプなし。 ボスニア・ヘルツェゴビナ側の国境でも入国スタンプなし。 あれ?コソボに入って後から1回も出入国スタンプを押されてないんだけど・・・ 国境は3回越えてるのに。
ボスニア・ヘルツェゴビナに入ってからの景色がこれまた良い。 険しい2000m級の山々の合間を、濃い碧色をした川が流れる。 山の急斜面には緑が多く、紅葉のシーズンには絶景だろうなぁ〜と思わせる。
ただ、今まで訪れた東欧の中で一番戦争の傷跡が残っていた。 途中の町では橋が破壊され、建物には砲弾の跡や弾痕が残っていた。
ドブロヴニクを発って約7時間後に首都サラエボに到着。 1992年4月からセルビア人勢力に包囲され、3年半の間攻撃され破壊された町だ。 1万人以上がその間に殺されている。 外界との接点は唯一1kmに及ぶ地下トンネルだけだったと言う。
それでも戦争が終わって10年が経ち、復興が進んでいて、ガラス張りの新しいビルも目立つ。 その一方で、古いビルには弾痕の跡が必ずと言って良いほど残っている。
市内中心部を流れるミリャツカ川の南はセルビア人共和国(RS)の支配地域になる。 観光する分には、FD支配地域内だけで済みそうだ。
旅の出費(2人分);
トラム: 3.2マルク
タクシー: 3.5マルク
宿代(2泊分): 30マルク
食費: 1.5ユーロ+4マルク
合計: 1.5ユーロ+40.7マルク(約3,280円)
|