ゆずランドへようこそ

アフリカ大陸縦断旅行日記


この日記は1週1ページで、最終更新日が一番下になります


現在地はどこなの?

<<前のページ | 次のページ>>
フレーム
2006年4月10日(月)
ローリー2日目

 皆さんに、俺から役立つ教訓を一つ伝授する。
 悪い事は言わないから、雨季にナイロビ→エチオピア国境間でローリーに乗るのは止めた方が身の為だ。
 『私は真性マゾです』という人なら仕方がないが、それ以外は止めた方がいい、マジで。

 本来、ナイロビ→エチオピア国境までローリーで移動しても1泊2日(24時間前後)で行ける。 それでも、移動して来た人たちは「半端じゃなく辛い」と言っていた。
 だが、俺は出発から30時間が経っているにも関わらず、砂漠の真ん中にいる。
 なぜかって? 雨季だからだよ、ボケっ!!!!

 ナイロビからイシオロ(Isiolo)までの約300kmは舗装道路だったが、その先イシオロからモヤレ(Moyale)までの砂漠を縦断する道路、約550km、は未舗装道路になる。
 今日から未舗装道路だ(写真)。
 ところが、思っていたほど道路の状態は悪くはない。 これなら余裕だぜ!と思っていたあまい考えは、出発から24時間が経つ頃には消え失せていた。
 埃がすごいし、狭いし、飽きた!!
 あー、シャワーが浴びたい・・・ ベッドで寝たい・・・ 日本食が食べたい・・・ パソコンでゲームがしたい・・・ プッチンプリンが食べたい・・・ 『おーい ハニ丸くん』が見たい・・・ ドラえもんのポケットが欲しい・・・
 色々な願望が頭の中を駆け巡る。

 陽も暮れた頃、カイスット砂漠の真ん中にあるマルサビット国立公園に入る。 山に入り、道路に石がゴロゴロ転がっている状態だ。
 夜7時、坂でローリーが登らなくなった。
 荷物を積んでいない大型トレーラーに引っ張ってもらい、さらに荷台の乗客たちもローリーを押す羽目に・・・
 坂を越えるのに要した時間は、2時間。
 荷台の乗客は、大きな石を退かしたり、ローリーを押したりしていた。 俺? そんなだるい事、やるわけねーじゃん。

 夜11時、今度は雨のせいで泥沼と化した道路の真ん中で、大型トレーラーとトラックが止まって道路を塞いでいる。 大型トレーラーのタイヤを見たが、あの大型トレーラーのタイヤが半分以上泥に埋まっているのだから、半端じゃない。 どうやら、動けない大型トレーラーを追い越して行こうとしたトラックも、結局途中で動けなくなった模様。
 深夜だし今はどうしようもないということで、今日はここで車中泊2泊目。
 砂漠の夜は寒い。 しかも、マルサビットは山だからすっげーー寒い!! 吹き荒ぶ風が、ダウンジャケットを着てもおかしくないくらいの寒さなのに、俺の装備はTシャツの上に長袖シャツを着込んだだけ。 マジで死ぬ。

旅の出費
外食代: 100ケニア・シリング
合計: 100ケニア・シリング(約160円)

フレーム
2006年4月11日(火)
ローリー3日目

 早朝7時に乗客全員が荷台から降ろされ、マルサビット(Marsabit)という町まで泥道を歩かされる。
 写真に写っているのが、泥にハマって動けなくなっているトレーラーとトラック。
 歩いていると、また大雨が降って来た。 その降って来た雨で顔と手を洗う。 もうどんどん汚れていく事がどーでもよくなってきた。 完全な末期症状です。

 マルサビットで、何かのリサーチをしていると言う日本人女性に会った。 俺たちとは逆のエチオピア国境の方から四駆で来たそうだが、マルサビットで「動けなくなった」と言っていた。 マルサビットの町中も、泥で道路はグチョグチョだ。
 ローリーが泥道を抜け出してマルサビットにやって来たのは、9時過ぎ。 再び山から砂漠に変わった景色をひたすら北に向かう。

 途中パンクしたりしたが、それ以外の大きなアクシデントはない。 運ちゃんに聞くと、ソロロ(Sololo)という町で1泊して明日モヤレに到着する予定だったが、今日は日中が晴れていたので、道路状態が良い今日の内にモヤレに到着したいとのことだった。

 ソロロで、積んでいた荷物を全て降ろしたローリーは、夜10時を過ぎているにも関わらず、最終目的地モヤレを目指す。 運ちゃんも、急いでいるのが分かる。
 このソロロ→モヤレの道路が悪い。 泥でグチョグチョだったり、「それって道路じゃなくて、一枚岩の表面じゃん」みたいな道路をひたすらブッ飛ばす。
 ところが、またまた問題発生。 泥道で大型トレーラーが転倒して道路を塞いでいて通れない。 既に他のトラックやローリーなど8台が『明日の朝までここで待つ』モードに入っており、荷台に蚊帳を張って寝ている奴までいる。
 えー、丸々3泊4日コースは辛い・・・ 髪の毛が埃でバリバリになってるから、シャワー浴びたい・・・

 運ちゃんもどうしてもモヤレに到着したかったらしく、ものすごい行動を取りだした。
 荷台の乗客を全て降ろした後、道路脇に突っ込んで荒地を暴走、列を作っている8台と、転倒しているローリーを追い抜いた。 もう、むちゃくちゃだ。
 この後が大変だ。 それを見ていた他のローリーの乗客たちが、「あのローリーに乗りたい!」と暗闇を走ってしがみ付いてくる。 う〜む、明らかに乗客の数がさっきよりも倍近く増えている・・・ でも、黒人って全員同じ顔にしか見えないから、どいつも前から乗っていた奴のような気もするし、タダ乗りしている奴のような気もする。
 当然、懐中電灯で1人1人顔を確認され、タダ乗りした奴らは放り出されたり、金を取られたりしていた。

旅の出費
外食代: 105ケニア・シリング
合計: 105ケニア・シリング(約170円)

フレーム
2006年4月12日(水)
エチオピア連邦民主共和国入り

 深夜1時過ぎ、ようやく最終目的地モヤレ(Moyale)に到着。 日付が変わったばかりだが、無理やり今日も付け足せば足掛け4日間に渡る“ローリーの旅”は終わった。 ナイロビを出てから55時間が経っている。
 もう絶対にローリーなんて乗らねー!!
 俺の思い出せる限りの旅の記憶の中で、今回のローリーは輝く“ワースト3”にランクインされた。 もしかしたらNo.1の座を射止めているかも知れん。 1日に飯を食えるのが1回だけというのも相当辛かった・・・ これ以上乗ってたら、餓死してたね。
 ちなみに他の2つは、10年前に乗った中国の夜行列車(硬座)と、7年前に乗ったインドネシア・フローレンス島のバス。 今の硬座はそれほど辛くないらしいけど、10年前の硬座は凄まじかった・・・

 ローリー発着所の近くのゲストハウスによろめきながらチェックイン。
 「とにかくバケツ一杯の水でいいから、水をくれ」と要求。 バケツで髪を洗うと、バケツの水がものすごい色した茶色になって我ながらビビった。

 久しぶりのベッドで爆睡。 体育座り状態で寝るのも、2泊が限度だ。 横になれることが、何と素晴らしいことか!!
 深夜2時過ぎに寝たが、午前9時前には起こされる。 ミラクルと昨日話し合った通り、今日中にはケニアを出国して、エチオピアに入り、両替をしておきたい。
 一度ベッドで寝てしまうと、疲れがドッと出てきたが移動だ。

 国境を歩いて越える。
 ケニアの出国手続きも簡単に終わり、ついに俺にとってアフリカ15カ国目になるエチオピア連邦民主共和国にやって来た。 エチオピアの(個人的な)イメージは、『飢饉』、『インジェラ』、『うざい』。
 『飢饉』は、赤茶色の土の上でガリガリの子供を抱っこしたボロボロのお母さんが飢えでボケーっとしている写真が、エチオピアのイメージ。 実際、1973年の干ばつによる大飢饉では、10万人が餓死したらしい。
 『インジェラ』、それはエチオピアの有名な食べ物。 南下組の話によると、見た目はボロ雑巾、味はゲロだそうです。 食生活に関しては、超々保守派な俺は外国飯に一切興味がない。 好きなスパゲティが明太子スパゲティってところが、ちょっと俺のイタリアかぶれを感じさせる程度だ。 そんな俺がインジェラを食わないといけない羽目になるかと思うと・・・
 『うざい』。 南下組の話を聞いていると、エチオピア人は相当うざいイメージが出来てしまった。 話を聞いている感じではアフリカ最悪らしいし、どーなることか?

 ケニア側モヤレと同じ名前の町、エチオピア側モヤレでもう1泊することにした。 さすがにようやくローリーの旅が終わった後は休養したい。
 宿探しや両替で町中を歩いたが、まぁうざいと言えばうざいが、思ったほどではない。 ガキ共が、「You! You! Fuck you!」と言って来たり、大人が「チャイナ、チャイナ」言って来るのは、聞いていた通りだが、南下組に聞いていたほど酷くはない。 考えたら、南下組はエジプト、スーダンに続いて、エチオピアがまだアフリカ3カ国目だからね。 アフリカなんて、どこもこんなもんだ。 ミラクルによると、西アフリカはもっと酷いらしく木の枝や石を投げてくるらしい。 猿そのまんまじゃん。 いちいち馬鹿に反応していても限がないので、俺は全員猿だと思って接してるから、特にむかつかなくなった。 類人猿だから仕方がないと思うと、彼らが愛おしくさえ思えてくる(これはウソ)。 俺は変な奴にあまり絡まれないし、「You, You」、「チャイナ、チャイナ」言って来る分にはどーでもいい。
 その点、ミラクルは一緒にいても変な奴によく絡まれている。 やはり、類は友を呼ぶだな・・・ そもそも現地人に舐められてるのが駄目だな。

 南アを出て以来、ずっと旧イギリス植民地(ブルンジ、ルワンダを除く)を旅行してきたが、エチオピアに入った途端ガラっと変わった。
 まず英語が通じなくなった。 エチオピアは、独自の言語アムハラ語を使う。 独自の文字を持つのは、アフリカでエチオピアぐらいじゃないかと思う。 それ以外の国は、アラビア語だったり、アルファベットを借用しているが、エチオピアだけが独自の文字を持っている。 全く読めない。
 さらに食文化が変わった。 米があまりない。 でも、なぜかスパゲティがどこにでもある。 第2次世界大戦中に、ムッソリーニ率いるイタリア軍に5年間だけ占領されていた時の名残らしいが、味にイタリアの名残など残っていない。 スパゲティだと思って食わなければ食える。
 エチオピアのカレンダーはエチオピア暦の為、カレンダーも意味分からん。 1年が13ヶ月(30日×12ヶ月、5日×1ヶ月)あるのが、エチオピア暦。 今日はエチオピア暦では、1998年8月4日だ。
 時間も、エチオピア時間・・・ 朝6時を1日の始まりとするので、「6時」と言われたら昼の12時のことになる。
 これだけ独自の歴史と文明が発達しているくせに、人はと言うと、脳味噌が入ってないんじゃないか?と心配になっちゃう奴が多いのは何でだろ?

 闇両替で1USドル=8.7ビルで両替して、今日の仕事は終わり。 宿でボケーっとして、夜は夕飯ついでにビールを飲みに行く。 昼飯に続いて夜飯もスパゲティ・・・ インジェラを食うにはまだ早過ぎる。 ビールは、ガイドブックには『美味』と書いてあったが、どこが美味なんですか? 4種類飲んだが、アフリカの中でもレベル低いぞ。

旅の出費
宿代(2泊分): 125KSh+15B
外食代: 40KSh+26B
合計: 165KSh+41B(約810円)

フレーム
2006年4月13日(木)
初夜

 写真は、ローリーの荷台。 約20人で乗るには狭すぎるので、屋根の鉄パイプに座る人も多い。 ただ、寝る時には全員降りてくるので、むちゃくちゃ狭くなる。

 現時点のとりあえずの目的地は、エチオピアの南西、スーダンとケニアとの国境近くにあるジンカ(Jinka)という町。 ここに何があるか?と言うと、なんと裸族が一杯いるんですねー!! 有名なのが、ムルシ族という族で、女は下唇に土器や木器で作った皿をはめ込んでいる。 いやー、族マニアの俺としては見に行かないわけにはいかない。 ペニスケースを着けてる族がいないのが不満だが、この際仕方がない。
 ところが、国境のモヤレからジンカまでは直通バスがない。 モヤレからヤベロ(Yabelo)までバスで行って、ヤベロからコンソ(Konso)までトラックで行って、コンソからジンカまでトラックで行く2回乗り継ぎしかない。
 しかも、エチオピアのバスは朝が早い。 モヤレからヤベロ行きのバスは、早朝6時発。 4時半に起きて、5時過ぎにはバス・ターミナルへ向かう。 バスの座席は早い者勝ちなので、バス・ターミナルの門が開くと同時にダッシュで席取りをしないといけない。
 そこまでして乗るバスだが、モヤレ→ヤベロは3時間で着いてしまう。 朝が早い意味が分からん。

 バスに乗っていると、警察か軍の検問が多くてビックリした。 検問の度に乗客全員降ろされて、荷物検査がある。 一応、外国人特権で俺らは降りずに済んだけど。

 ヤベロの宿が高かったのと、電源が確保出来る部屋が1つしかなかったので、1部屋をミラクルとシェアすることになった。 エチオピアの宿には、ツインというものがない。 シングルかダブル。 つまりシェアする=ダブルベッドで一緒に寝るということ。
 『New Kenya Lodge』でも、ミラクルがホモじゃないかという疑惑があったので、今日ではっきりさせなくてはならない。 仮に襲って来ても、それ相応の報復は覚悟してもらわねばならん。 ナイロビを出てから、赤いピチピチのチビTを着ていないから、隠れホモを演じている可能性も捨て切れない。

 夜8時ごろ、飯を食いに町に出ると、どこのレストランも閉まっている。 ようやく見付けた汚らしい食堂に置いてあったのは、インジェラのみ・・・ いきなりのインジェラ・デビューになってしまった。 と言っても、とりあえず1つだけ頼んで試し食い。 見た目は、噂のボロ雑巾ではなかったが、絞った雑巾みたい。 そして味は・・・あー、確かにゲロ味!! 胃液の酸っぱい味がする。 日本男児たる者、こんなもんは食えん!と、ミラクルに全部あげて、俺はインジェラの上に載っていた具だけを別に皿に盛ってもらって食う。
 味噌汁と白米が食いたい・・・
 チャイ(紅茶)も飲んで、これで1人2.5ビル(約33円)。

旅の出費
バス代(モヤレ→ヤベロ): 23ビル
宿代(1泊分): 15ビル
電源ソケット: 5ビル
ビール: 7ビル
外食代: 13.5ビル
合計: 63.5ビル(約840円)

フレーム
2006年4月14日(金)
またトラック・・・

 早く首都アジス・アベバに行きたい!! もう田舎はうんざりしてきた。 55時間のローリーの旅が終わった後も、エチオピア南部はハードな旅が続く。
 まず、宿はシャワーが出ない。 水浴びはバケツ1杯の水だから、体と髪をきちんと洗えない。 もちろん洗濯など出来るような状況ではないから、鬼のような汚れ方だ。 せっかくナイロビで洗ったジーンズも、叩けば埃が出る。 ミラクルの時代錯誤甚だしいケミカルウォッシュの白いジーンズも、これまた時代錯誤甚だしいブラックシーンズになっている。 俺のTシャツなど、乞食のような色をしていて我ながら恐怖する。 どうせまた汚れるのが分かってるから、新しいTシャツを着るのも勿体無いので、乞食状態のままアジスアベバまで頑張って、アジスで捨てる。 ホント、埃で恐ろしい色してるもん・・・ ちなみに、俺って日本に電車に乗る時に、ハンカチがないと手すりが握れない人。
 さらに、移動が辛い。 今日のヤベロ→コンソ(Konso)間も、バスが走っていないのでトラックの荷台に乗って移動する。 2tトラックの荷台に、人間40人弱+荷物テンコ盛りという(冗談抜きで)難民トラック状態で、山越え、谷越え、川底を越える。
 ホントは、エチオピア人と触れ合いたくない。 ここで言う“触れ合い”とは、実際に肌と肌の触れ合い。 なぜか?と言うと、ノミとかシラミがうつるから。 バスで隣同士の席になっただけでも、虫をうつされた人がいるくらいだから、服と服と擦れ合うのも嫌だと思っていた。 でもさ、難民トラックってギュウギュウ詰めだから、思いっきり触れ合わざるを得ない(号泣)
 そんな状態で、埃煙をモウモウとあげながらトラックは走る。 あまりの埃に、目を開けておくだけでも辛い。
 ナイロビで、高い金出してバックパック・カバーを買って大正解!!

 マジで都会に戻りたーい!! 一応、裸族が南部エチオピアのハイライトだから、さっさと裸族を見て速攻アジス・アベバに脱出だ。 シャワーを頭から思いっきり浴びてー、洗濯をしてー、24時間電気が使い放題でー、と楽しみは増える一方だ。 こんな事が楽しみに思えてしまう今の状況なんて、クソッタレだ。

 コンソも、人が相当うざいと言う噂を聞いていたが、実際に来てみれば全然普通。 そもそもアフリカってどこも人がうざいから、“普通”のレベルが低いんだけどね。
 どんな程度か?と言うと、歩いていると突然目の前に飛び出してきて、カンフーの真似をしながら「カモン、カモン」と挑発してきたりとか、歩いていると絶えず誰かに「You, You, Fuck you」と言われ続けるとか、呼び掛けが「イエロー」とか「チンク(中国人への侮蔑語)」だったりとか。
 日本の馬鹿人権派とかって、『ちび黒サンボ』の例でも分かる通り、黒人を“被差別者”だと思ってるでしょ? ジャップの分際で何も知らねーな。 アフリカに来てみたら分かるけど、黒人の黄色人種(特に中国人)への侮蔑感情はホント醜い。 アジアの中で、イエロー同士で「チョン公」とか「チョッパリ」とか言い合ってる間に、世界では黄色は白んぼからも黒んぼからも差別されているというのに。

 写真は、噂のインジェラ。 ちゃんとゲロ味してます。

旅の出費
トラック代(ヤベロ→コンソ): 15ビル
外食代: 19.5ビル
ビール: 13ビル
宿代(1泊分): 25ビル
合計: 72.5ビル(約960円)

フレーム
2006年4月15日(土)
山越え川越え、裸族と対面!?

 ついに南部エチオピアのハイライト、ジンカにやって来た!

 コンソの村からジンカまでは、バスも走っている。 アルバ・ミンチ発コンソ経由ジンカ行きがそれだ。 いい加減、トラックの荷台で埃だらけになるもの飽きてきたので、今日はバスでの移動。
 朝9時前にやって来たバスに乗り込む。
 このバスで、山越え、谷越え、川越え(写真)、ひたすら西を目指す。 山の上から窓の外を見ると、下界に広がる平原に彼方まで続く未舗装道路が見えた。
 このルート、徐々に族の出現率が増えてくる。 日本と違い、特攻服は着ていないが、枕を持ち歩いている。 これ、ニャンガタム族という族で、男は必ず枕を持ち歩いている。 やっぱ、何時何処でも寝られるようにかな? それともMy枕じゃないと寝られない性質の族なのかな? 興味は尽きないが、あえて尋ねるほど彼らの枕に興味はない。
 エチオピアは『民族の博物館』と表現されるだけあって、多種多様な族がいるが、俺にとって重要な事は、「裸か?」、「そうでないか?」だけだから、枕を常時持ち歩いていようと、裸でなかったらどーでもいい。

 トラックだったらどんなに辛かっただろうか?と思わせる道のりを5時間半掛けて乗り切った。
 ここから西に行って山を越えれば、もうそこは内戦中のスーダンだ。
 ジンカの最大の見所は土曜日に開催される市場。 つまり、今日だ。 さっさと下唇に土器をはめてるムルシ族を見て、明日にはアジス・アベバに向かって移動を開始しようと、ジンカに到着して直ぐ明日のアルバ・ミンチ(Arba Minch)行きバスのチケットを買う。
 予定では、今日にもジンカ観光を済ませて、明日早朝のバスでアルバ・ミンチに行って、明後日早朝のバスでアジス・アベバに向かえば、明後日には都会に戻る事が出来る。 超ハード・スケジュールだけど。

 バスを降りた時に、屋根の上から荷物を勝手に降ろしてお金を請求する輩と喧嘩になり、警察まで出てきて時間を食った。 結局、びた1ビル払わなかったが、これで時間を浪費してしまい、ホテルに荷物を置いて市場に向かった頃には夕方4時を過ぎてしまっていた。
 「ムルシ、ムルシ」とムルシ族を探して回るが、町から遠い山奥からやって来てる彼らは家に帰るのも早いらしく、夕方4時前には帰って行ったそうだ・・・
 何の為に、55時間のローリーの旅を耐えた後に、真直ぐ首都アジス・アベバに向かわず、わざわざハードな道のりの西に向かって来たのか・・・

 このまま明日の早朝に発ってしまっては、この3日間のハードな移動は意味がなかったことになる、とミラクルと話し合った。 そこで!お金を払っちゃったけど(お釣りももらってないけど)明日のバスを捨てて、四駆をチャーターして!ムルシ族の村にお宅訪問することにした。
 町中を走っている四駆を何台か捕まえて、値段交渉。 結局、トヨタ・ランドクルーザーで100USドルで行くことにした。 100USドルと言えば、俺が国境で換えたレートを適用すると870ビルにも値する。 870ビルもあれば、インジェラが435食も食えるし、シャイ(紅茶)なら1,740杯も飲めるし、安宿の2か月分の宿泊代になる。

 宿は水が出ないし、数軒回ったレストランにはインジェラしかないし、田舎最悪!!

旅の出費
バス代(コンソ→ジンカ): 25ビル
外食代: 7.5ビル
ビール: 8ビル
宿代(1泊分): 20ビル
バス代(ジンカ→アルバ・ミンチ): 35ビル
合計: 95.5ビル(約1,260円)

フレーム
2006年4月16日(日)
ムルシ族

 とんでもない所に住んでいるな、ムルシ族・・・
 ジンカの町からランドクルーザーで往復7時間、道の悪さに思わずモザンビーク北部を思い出してしまった。 昨日の夜に降った雨のせいで、道路がすごいことになっていたのもあるし、車のタイヤも溝が磨り減ってツルツル状態だったこともあるが、横滑りしまくり。 さらにタイヤが空回りする時に跳ね飛ばされた泥が、車内にも入ってきて運ちゃんは全身泥だらけ。
 さらにツェツェ蝿の集団の攻撃を受け、体を刺されまくった。 ツェツェ蝿は、熱帯アフリカに生息する吸血蝿で、種類によっては『眠り病』を媒介する。 『眠り病』に罹ると、その名の通り昏睡状態になって死亡する。 一応、ここのツェツェ蝿は、『眠り病』の病原体は持っていないらしいけど、やっぱり嫌だ。
 マジでアフリカ嫌い・・・

 今日の目玉ムルシ族は、女性が下唇に穴を開けて土器や木器をはめている。 最大で直径12cm以上の土器をはめている場合もあるそうだ。 皿がデカければデカいほど、夫が裕福になるとか。
 世の中には色々な価値基準があっていいね!

 彼らは、エチオピア南西部のマゴ国立公園の中に住んでいる。 国立公園への入園料も必要だが、それ以外にも金が掛かる。
 まず、“チェック・ポイント”と呼ばれる所があり、何族か知らんが、槍とか鉈を持った奴らが道路を通せんぼしている。 そこを通るには彼らの言い値を払わないといけない。 ランクルの運ちゃんが言うには、「ここでは彼らが法律だ」とのこと・・・ ここで通行料として60ビル(約790円)も取られた。
 さらに、村に行ったら行ったで、村長らしきおっさんが出てきて「金払え」。 30ビル(約400円)取られた。

 車を降りると、「金ヅルが来たぞー!」と村人がワラワラ集まってくる。
 「トゥー・トゥー」と合唱が始まる。 電話が話し中の時の音ではない。 写真撮影が1人2ビル(約26円)だから、「2、2」言ってるのだ。
 さらに、自分の下唇にはめこんでいた土器や木器を「買え」と営業が始まる。 う〜む、買ってもいいけど、途中で捨てそう・・・ だって、ヨダレが付いてるし、作りがしょぼいし、使い勝手がないじゃん。 コップのコースターにするにしても、安定が悪そう。

 結局、村には30分滞在して帰ってきた。
 ミラクルは“初めての族のお宅訪問”だったらしいが、俺としては予想通りの観光客ズレで安心(?)した。 “世のなか銭!”という態度を強烈にアピールする彼らに、賛辞を送りたい。

 ちゅーか、奴らが俺にベタベタ触ってきたおかげで、ダニかノミをうつされた・・・ うぜー!!
 超痒い・・・ とりあえず服に殺虫剤を掛けまくったが、それでも安心出来ないので、アジス・アベバに行ったら全部洗濯して天日干しだ。

 一昨日の日記に、エチオピア人って“普通”のうざさだと書いたが、訂正する。 相当うぜー!! ジンカで大人まで「Fuck you!!」と言ってくるのには、俺の我慢にも限界がある。 しかも1人や2人の話じゃないからね。 金銭的に貧しいならまだしも、人間的にも腐ってる。
 めでたくアフリカ一うざい国に決定しつつある。
 俺、エチオピアで今後どんな飢饉が発生しようと、絶対募金なんてしねーと心に決めた。

旅の出費
四駆チャーター: 50USドル
撮影料: 16ビル
入村料: 15ビル
通行料: 30ビル
国立公園入園料: 80ビル
ガイド料: 10ビル
外食代: 29ビル
宿代(1泊分): 20ビル
バス代(ジンカ→アルバ・ミンチ): 33ビル
合計: 50USD+233ビル(約8,830円)





  Copyright © 2004- Yuzurand All Rights Reserved