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アフリカ大陸縦断旅行日記


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現在地はどこなの?

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2006年2月20日(月)
交流したくないのに、交流中

 ダラダラに乗って、ブルンジとの国境マニョブ(Manyovu)へ行く。
 当然、乗車率100%に達しないと出発しない。 ワゴン車に大人17人+子供2人が乗り、さらに大量の荷物が積み込まれる。 俺は、やたらスワヒリ語で話しかけてくるお爺ちゃんと一緒に助手席を確保出来た! でも、20kgの荷物を全部自分のヒザの上に載せないといけないのが辛い。
 午前9時半に乗車率100%達成し、キゴマを出発する。 いやー、助手席にして良かった。 たまに後部座席の空気がモワッと来ると、気を失いそうになる。 なんなの!この今までに嗅いだことがないような臭いは・・・ 俺なんて、鳥肌になりながらも朝シャワー浴びちゃったから、ラベンダーの香りを漂わせちゃってるっちゅうーのに。
 後部座席に座ってたら、間違いなく口から泡を吹いて失神してたね。

 マニョブまでの道路はこんな感じ(写真)。 雨でぬかるんでドロドロになってます。

 途中で隣のお爺ちゃんが下車し、代わりに英語を話せる男の子が隣に来た。
 「これからどこに行く?」って聞いてくるから、
 『ブジュンブラ(ブルンジの首都)』って答えたら、
 「今日はもうブルンジ側国境からの交通手段がないから、明日の朝じゃないと行けないよ」と言われた。
 うそ〜ん、そんなわけないだろ?と思うも、タンザニア⇔ブルンジの国境越え情報を持っていないから不安になる。 現状は特に大きな問題がないブルンジだが、首都以外の町に行くには最新の治安情報が必要って言われてるし、特にタンザニアとの国境付近は“安全”とは言い切れない(ゲリラが出没する)から、無理は出来ない。
 今日中にブジュンブラに行く気満々だったのだが、ここは大人しく国境のマニョブで1泊することにした。

 マニョブには、出発から2時間後の11時半に到着。
 やたら聞き取り難い英語を話す、何とか君(名前を3回聞いたけど忘れた)にノコノコとくっ付いて、なぜか彼の家について行く。 電気も水道もない、“アフリカ”ってイメージそのままの家。
 何とか君が、珍しい東洋人を連れて帰ってきたもんだから、近所のガキどもが集まってきた。 イスに座っていると、その周りをグルッとガキどもに囲まれ、瞬きもせずジーっと見つめられる。 俺の一挙一動に皆の視線は釘付けだ。 さらにはガキだけではなく大人たちまで集まりだした。 まるで動物園の猿状態だぜ、俺。

 「家に泊まってもいい」と言われたが、まだ何とか君がどんな人か読み切れていなかったので、お断りする。 何とか君が良い人だったとしても、家族全員がどうかは分からないし。
 彼に案内してもらって、村にあるゲストハウスに泊まる事にした。 1泊2,000TShで、約197円。 村に電気・水道がないから、もちろん電球もない。 ただのベッドだけ。

 午後、彼に「母校に行くんだけど、一緒に行かないか?」と誘われたので、特にすることもないし行く事にした。
 チャリンコに2人乗りして出発!
 しかし、“ちょっと遠過ぎるんじゃない?”と思い出した頃には、すでにとんでもない所まで来てしまっていた。
 キリマンジャロは登れなかったけど、タンザニアとブルンジの国境でゆうに往復3時間以上は歩かされました・・・ チャリンコだから上り坂では歩きで、しかも丘を3つくらい余裕で越えた・・・ すでに隣村だったし。
 やべー、アフリカってことをすっかり忘れてたぜ。 俺の2006年度分の歩きを今日で達成してしまった。

 彼は、キゴマにある大学へ受験しに行って来たという話を一生懸命していたが、俺は丘を越えるのに精一杯で、ハァハァ言いながら「あーそう」。
 彼の母校に行ったら行ったで、珍しく中国人が来たってもんで、「チーナ、チーナ」と学校中の皆が校舎から出てきて、観察される。
 毎日毎日チーナ呼ばわりされてると、ちょっと洗脳されてきちゃって『もしかして、俺って中国人だったのかな?』って思えてくる。 わけねーよ! 毎日毎日ムカつくんだよ! まず、俺は中国人ではない。 さらに、彼らが中国人を蔑視してるから、俺をチーナ呼ばわりして接する時も蔑視している態度になるわけ。 「ひーほー」とか「ちぇーふぉー」とかゲラゲラ笑いながら言ってくるのがまさにそうなんだけど。
 まぁ、こんなところもアフリカが所詮第3世界である理由でもあるんだろうけど。

旅の出費
ダラダラ代: 3,200タンザニア・シリング
携帯電話通話料: 2,000タンザニア・シリング
宿代(1泊分): 2,000タンザニア・シリング
外食代: 2,500タンザニア・シリング
合計: 9,700タンザニア・シリング(約955円)

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2006年2月21日(火)
ブルンジ共和国入り

 ボンジュール、ブルンジ共和国! ダルエスを出てから、調子に乗って移動しまくってるぜ。 まるでバックパッカーみたい。
 さてさて、俺にとってアフリカ11カ国目となるブルンジ共和国を、2つのキーワードで表すとしたら『虐殺』、『ピグミー』(以上、俺の独断と偏見)。
 最近のブルンジで起こった出来事を見ると、

1972年: 1,000人のツチ族が殺害され、報復に3ヵ月後20万人のフツ族が虐殺、10万人が難民。

1988年: 4,000〜24,000人が虐殺。

1993年: フツ族出身の大統領が暗殺され、その後の混乱で40万人が難民。

1994年: フツ族出身の新大統領が、隣国ルワンダの大統領(同じくフツ族)と同乗していた飛行機が撃墜。 その後の混乱で、10万人が虐殺。

 隣国のルワンダも同じ民族構成なので、起きたことも一緒で、2カ国合わせて合計50万人近くが虐殺されたという報告もある。

 さてさて、そんな未だに政情不安定な国ブルンジに向かうべく朝8時に起きた。 というか、何とか君に起こされた。
 彼のチャリンコの後ろに乗り、マニョブの村中心部から国境に向かう。 歩いたらそこそこ遠い。
 さて、国境。 タンザニア人は何の書類も必要なくブルンジ領に出入りしているので、イミグレ・税関の皆さんは絶対にヒマなはず。 俺が9時ごろイミグレに行くと、誰もいない。 周りの人に聞くと、「市場に買い物に行ってる」らしい・・・ 市場から帰って来るのを、9時半までボーっと待つ。 やっぱり出国のスタンプは必要だからね。

 無事、市場から帰ってきたばかりのイミグレ係官にスタンプを貰い、チャリンコでブルンジ領に入る。 歩いたらそこそこ遠い。 実際には、マニョブの村からは交通手段がないから、歩くしかないけど。
 ブルンジ領に入ってしばらく行くと小さな村落があり、そこから最寄の町マバンダ(Mabanda)まで乗り合いタクシーが出ている。 ブルンジ側のイミグレは国境にはなく、マバンダにある。
 国境からマバンダまでは1,500BFr(約170円)。
 ここで、何とか君とは別れる。 もう2度と会うことはないと思うけど、一応形式的に住所交換。
 無償の親切に出会うのは難しいもんだね。 国境からマバンダまでの乗り合いタクシーが2,000BFrと言われたので渡したら、彼が500BFrを自分のポケットに入れるのが見えた。 まぁ、日本円で50円だし、チャリンコで送ってくれたことを考えれば逆に安いもんだけど、後味は悪いよな。 コソコソと、しかも超微妙に金をせしめようとする魂胆がいかん。

 国境から30分ほどでマバンダに到着する。 ここで入国スタンプを貰い、町の市場から出ているミニバスで首都ブジュンブラ(Bujumbura)に向かう。
 このミニバスは4,000BFr(約455円)。

 ブジュンブラまでの3時間、ミニバスに21人が詰め込まれ、窒息寸前。 最初は舗装されていてキレイな道路だったのだが、ブジュンブラに近づくにつれ凸凹道に・・・
 ブルンジに入ってから、別に緊張した様子は全くない。 緑の多い山がちな景色は美しいし、村も人も他のアフリカ諸国と変わらない。
 ただ、ちょっと武装した警察や兵士の数が多いかも。 検問の数はけっこうあったし、人が集まっている所には必ずライフルを持った警察が数人いた。
 とある検問で、5、6人いる警察を眺めていると、見付けた〜!! ピグミーの警官! 別の言い方をすれば、警官のピグミー!
 うぉぉぉ〜、写真撮りてぇー! でも、ブルンジ、ルワンダでは、警察、兵隊、橋、空港、政府関係の建物(郵便局も)を写真で撮ると、かなり面倒なことになるらしい・・・ ライフル持ってるし、雰囲気も明らかに「ハイ、チーズ」ではないしね。 そんなわけで写真は撮れなかったが、言葉で説明すると、大人の警官たちの中に1人小学生の警官がいたって感じ。 ん?あれ、本当にピグミーだったのかな? 実は俺を騙すために、小学生が警官の制服を着てたとか? そこら辺はちょっと自信ないけど。
 国連軍も、装甲車や部隊も見掛けた。 軍服の袖に張ってある国旗のワッペンを見たところ、ケニア軍、南アフリカ軍、中国人民解放軍などがブルンジで活動している模様。
 人民解放軍がいる割に、ブルンジに入ってから「チーナ」とは一回も呼ばれてない! いい国だ、ブルンジ。 なんだか、皆さん優しいし。

 ブジュンブラでは、『Hotel Le Doyen』に1泊8,000BFr(約910円)で泊まることにした。 安くはないが、町の真ん中だし、一番重要なポイントとしてインターネットカフェが目の前、グヒヒ。 しかも、自前のPCが接続可能! それだけで、宿決定。

 夜はちょっと奮発してイタリア料理レストラン『OASIS』。 すげー高けぇー!! 俺の宿代より高い! でも味は中々旨い。

 ガイドブックによると、夜間外出禁止令が出ているらしい。 10時頃ブラブラ歩いてみたけど、人がいないし、街灯がなくて真っ暗だし、ちょっと怖い。 いきなりライフルを持った3人組が現れてビビるが、巡回中の警察だった。

旅の出費
タクシー: 3,400ブルンジ・フラン
ミニバス: 4USドル+200ブルンジ・フラン
外食代: 11,800ブルンジ・フラン
宿代(2泊分): 16,000ブルンジ・フラン
インターネット: 2,700ブルンジ・フラン
合計: 34,100BFr+4USドル(約4,340円)

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2006年2月22日(水)
大洪水

 ブルンジ情報を仕入れるために、ツーリストオフィスに行く。
 まず、ブジュンブラ市内の安宿情報を調べたが、安くても5,000BFr(約570円)はする感じ。 だったら今の宿でいいや。 今のホテルは共同だけど、バスタブ付きでお湯が出る。 お湯が出たのって、とーる君家以来だぜ。 部屋もかなり広いし、天井が非常に高い。 洗面台も付いているし、コンセントもきちんとある。 ツインだから、2人で泊まれば安上がりだ。
 さらに夜間外出禁止令について。 深夜12時以降の徒歩での外出は禁止されているらしいが、自動車での移動は大丈夫だそうだ。
 国内の治安は、北西部の山間部を除いては中央政府の統治下におかれている様子。 北西部には『Parc de la Kibira』という国立公園があるが、ここは現在立ち入れないみたいだ。 「それ以外は問題ない」らしい。 「レンタカーで3日くらい掛けて一周してきたら?」って言われちゃった。
 ブルンジの見所を聞いたけど、全然興味湧かねー! ブジュンブラの南10kmほどの所に、リビングストーン(探検家)のモニュメントがあるらしい。 へー。
 「ビーチは好きか?」って聞かれたから、『まぁ』って答えたら、「タンガニーカ湖のビーチに是非行ったらいい」だって。 ザンジバルでビーチに行ったから結構です。
 やべー、ブルンジって思った以上に見所ない。 ピグミー村も聞いたけど、観光客が行く所ではないって言われた・・・

 ツーリストオフィスにいる間に激しい雨が降って来た。
 止むのを待って宿に戻ると、途中の道が洪水で陥没していた(写真)。 川と化した道の真ん中で、タクシーが1台潰れていた。
 ハハ、だっせー!っと思いながらホテルに戻ると、ホテルが茶色い海の中で孤島と化していた・・・ ホテルに近づく事が出来ず、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、それを見掛けたホテルの掃除お兄さんが助けに来てくれた。
 掃除お兄さんにおんぶしてもらって、ホテルへ。 水位がひざまであるじゃん! お兄さんの背中は大きく、そして臭かったが、かなり助かった。
 それを見ていた他の宿泊客(ブルンジ人)が、「俺もおんぶしてくれ!」となり、そのお兄さんは皆をおんぶして運ぶ羽目になっていた。

 夕方まで電気は止まってるし、水が引かないからどこにも行けないし、部屋でボケー。

旅の出費
外食代: 12,400ブルンジ・フラン
タバコ: 1,400ブルンジ・フラン
雑費: 1,600ブルンジ・フラン
インターネット: 3,500ブルンジ・フラン
合計: 18,900ブルンジ・フラン(約2,150円)

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2006年2月23日(木)
ブルンジにいるタイ人

 ブジュンブラ市内で見掛けた国連PKO部隊は、ケニア軍、南ア軍、中国人民解放軍の他にも、ザンビア軍、ネパール軍、パキスタン軍、スリランカ軍、コスタリカ軍などがいた。
 さらに、あっ、あの国旗は・・・我が第2の故郷タイじゃないですか!
 任務中らしく立ち話しか出来なかったが、タイ人兵士3人と少しおしゃべりをした。 なんでも、6ヶ月の任期でブルンジに派遣されて来ているらしい。
 まさかブルンジでタイ人に会うとは思わなかったぜ。 まぁ、向こうもまさかブルンジでタイ語を話す怪しい日本人に会うとは思ってもいなかっただろうけど。
 本当は、ちょっと親しくなって任務に同行させてもらおうと思ったのだが、なんだか職業軍人だけあって、そんなことは頼めない雰囲気を醸し出していてビビった。

 ルワンダ大使館に行って、観光ビザを申請する。 国境でも取れるけど、値段は一緒だし、ヒマだったから。
 しかし高けぇーよ、ルワンダ・ビザ。 60USドル(約7千円)もしやがる。 しかも、15日間有効のトランジット・ビザも、3ヶ月有効の観光ビザも、マルチエントリー・ビザも同じ値段。 だったら、せっかくだから3ヶ月有効のマルチをおくれ。

 来る前に読んでおけ!って感じだけど、今さら外務省の海外安全情報でブルンジを調べてみた。
 危な〜い、ブルンジ! 首都ブジュンブラには「渡航の是非を検討してください」、その他の地域には「渡航の延期をおすすめします」勧告が出てんじゃん!
 なになに、「停戦合意未署名の反政府武装勢力(FNLルワサ派)については、ブジュンブラ近郊県を中心に戦闘行為を継続しており、一般市民の犠牲者も出ています」だって・・・
 さらに、「非常に危険ですので、ブジュンブラ市内から近郊県への陸路での移動は絶対に控えてください。 武装解除が進んでいないために、生活の糧を失った旧兵士やそれを装った者が、各地で外国人を含む一般市民に対し、強盗、誘拐及び強姦等の銃器を使った凶悪犯罪を多数引き起こしています」だと・・・
 外務省のHPには「国連職員に対しては、国内を車で移動する際は2台以上の車列を組み、ブジュンブラ近郊県への渡航の際には軍の護衛を付けることが義務付けられています」って書いてあるのに、レンタカーで1人国内旅行を薦めたツーリストオフィスって・・・素敵。

 でもね、国連関係者にも聞いたけど、現状ブバンザ(Bubanza)周辺以外は落ち着いてるみたいだよ。

 楽しかったらブルンジ国内を旅行しようと思っていたのだが、つまらん!! そんわけで、ブルンジにわずか4日しかいなかったけど、明日ルワンダ共和国に移動します。
 その名も『New Yahoo Junior』というバスで。 “New”で、“Junior”を名乗っているということは、お父さんでもいるんだろうか? 間違いなくYahoo.comとは無関係です。

 本当はルワンダ・ビザの発給には1日掛かるのだが、頼み込んで即日発給してもらった。 けっこう適当。

 夜は、ブルンジ唯一の中華料理屋『東方飯店』へ。 マーボー豆腐に炒飯を食っちゃったぜ。 そして宿代より高かった。

旅の出費
宿代(1泊分): 8,000ブルンジ・フラン
ルワンダ・ビザ代: 60USドル
外食代: 13,800ブルンジ・フラン
電話代: 250ブルンジ・フラン
乾電池: 3,350ブルンジ・フラン
バス代(ブジュンブラ→ブタレ): 10,000BFr
インターネット: 2,100ブルンジ・フラン
合計: 37,500BFr+60USドル(約11,170円)

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2006年2月24日(金)
血液検査

 久しぶりに早起きしちゃった。 早朝8時発のバスに乗ってルワンダ共和国を目指す。
 道路沿いには均一間隔で兵隊が立っている。 タンザニアから陸路で入って来た時は、道路沿いに立っていたのは警察だったから、やはりブルンジ北部の治安は悪いのかな? ちなみに迷彩服を着ているのが兵士、紺色の囚人服みたいなツナギを着ているのが警察。

 首都ブジュンブラを出てから3時間後の11時に、国境に到着。 国境沿いには乞食が多数いて、「金くれー」と近づいてくる。
 ブルンジの出国手続きは早く済んだが、ルワンダの入国手続きが遅くてようやく入国出来たのは12時過ぎ。

 俺にとってアフリカ12カ国目となるルワンダ共和国を、3つのキーワードで表すとしたら、『虐殺』、『ピグミー』、『ゴリラ』(以上、俺の独断と偏見)。
 1994年のルワンダ大虐殺は世界に衝撃を与えたと同時に、フツ族とツチ族の調停に当たった南アのマンデラ元大統領に「だからアフリカは野蛮だと言われる」と言われちゃった事件。 この前の日記で、『ブルンジ、ルワンダ合わせて50万人が虐殺されたらしい』って書いたけど、ルワンダ大虐殺だけで100万人が虐殺されたって話もあるらしい。
 俺は知ってたけど、遠いアフリカの地での出来事だし興味なかったね。 でも、国民の4分の1に当たる200万人が虐殺されたカンボジアでも思ったけど、人間は心のどこかにサディスティックな部分を隠し持っているんだろうな。

 『ゴリラ』は、世界に野生のゴリラは700頭しかいません。 しかも、ルワンダ・ウガンダ・コンゴ(DRC)の国境地帯のゲリラが出没する危険地帯にしか生息していない。 ボルネオ(カリマンタン)にしか生息していない野生のオランウータンを見に行ったこともあるし、せっかくだから野生のゴリラも見に行くつもり。 別に類人猿好きじゃないけど。
 やっぱ日本人だから、“貴重”とか“限定”とかいう言葉に弱いじゃない? “限定1,000個”とか言われちゃうと、欲しくないのに買っちゃうみたいな。 それと一緒。 “ルワンダ・ウガンダ・コンゴ国境地帯限定野生ゴリラ”と聞いちゃうと、見に行かなきゃ損?と思ってしまう、悲しい性。

 バスに乗っている時から感じていたが、体の調子がおかしい。 熱っぽいし、立ちくらみがする。
 ダルエスで暑くて死にそうな日々を過ごしていたのに、キゴマからは寒い。 特に明け方の冷え方は、寝袋が欲しいと思うくらい。 赤道のすぐ近くなのに、標高が高いから陽が落ちてからは寒いのだ。
 ただ風邪なのか、マラリアなのかハッキリしない。 薬は風邪用にアスピリン、マラリア用にコーテクシンを持っているが、どっちを服用したらいいのか判断しかねる。

 そこで、ルワンダのブタレ(Butare)に着いて直ぐ病院に行った。 ルワンダ国立大学付属病院。
 注射針(ちゃんと新品)をブスッと指に突き刺し、血を出す。 それをガラス板の上に垂らし、病院内の研究室に持って行く。
 小学校の理科の実験室みたいな研究室(写真)で、顕微鏡で俺の血を覗く医者。 30分くらいして、結果発表があった。
 ネガティブ。
 う〜む、エイズ検査の時もこの言葉を聞くが、毎度ドキドキするぜ。 日本人、『ネガティブ』には悪いイメージ、『ポジティブ』には良いイメージがあるが、この場合は逆だからね。

 ただの風邪と分かったので、さっさと帰りたかったのだが、医者が一応薬の処方箋をくれると言う。
 医者のおススメは、マラリア治療薬のコーテクシンとファンシダールを同時に服用、さらに抗生物質も服用とのこと。 なんでも、マラリア検査は100%の精度ではないのでマラリアの可能性もゼロではない、と言う頼りないお言葉だ。
 ファンシダールって副作用があって、目が弱くなったりするから服用したくないんだけどね・・・ さらに「マラリアじゃないかも知れないし、そうかも知れない」ってだけで、コーテクシンとファンシダールを同時に服用するのはリスクがあるような気がするんですけど。

旅の出費
宿代(1泊分): 2,500ルワンダ・フラン
診察代: 2,070ルワンダ・フラン
外食代: 1,600BFr+1,000RFr
バイクタクシー: 200ルワンダ・フラン
合計: 1,600BFr+5,770RFr(約1,410円)

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2006年2月25日(土)
休養

 アスピリンを服用して、1日中牢屋みたいな部屋で寝ていた。
 今、泊まっている『Motel Dusabane』は、シングルで2,500RFr(約530円)と安いが、電気・水道なし。 正確に言うと、スイッチ・蛇口はあるが、電気は付かないし、水も出ない。 停電・断水にしては長過ぎるぞっ!! 詳しいことがフランス語だから分からん・・・
 窓から陽も入らないから虫の宝庫かと思ったが、意外に蚊もいなくてビックリ。 ベッドシーツも毎日替えてるみたいで、一応清潔。
 今日はまだ熱があるみたいだから移動しなかったが、明日にはもう少しマシな宿に移る予定だ。

 写真が、噂の『Dettol』だ。 知らない人は、先週13日(月)の日記を参照すること。
 『Dettol』→『Dentol』→『Dental』の連想で歯に良さそうなくせに、全くもって歯とは無関係な除菌剤だ。

旅の出費
宿代(1泊分): 2,500ルワンダ・フラン
外食代: 2,600ルワンダ・フラン
インターネット: 1,100ルワンダ・フラン
合計: 6,200ルワンダ・フラン(約1,320円)

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2006年2月26日(日)
食後に行ってはいけません

 写真は、ほぼ白骨化しているけど、防腐加工された子供の死体です。
 ブタレからミニバスに乗ってギコンゴロ(Gikongoro)という村に行って来た。
 ギコンゴロには、ムランビ記念センター(Murambi Memorial Centre)があり、1994年のルワンダ大虐殺の痕を生々しく見ることが出来る。
 記念センター自体は日曜日のためか(?)中に入る事が出来なかったが、おじさんに建物の裏手に連れて行かれた。 記念センターの裏手には、平屋建ての建物が6、7棟あり、おじさんはその内の1棟に近づきドアを開けてくれた。 続いて別のドアも。 さらに別のドアも。
 3つとも、部屋の中は死体でいっぱいだった。
 「他の部屋も見るか?」と聞かれたが、もうお腹いっぱいです・・・ っていうか、胸いっぱいです・・・
 ちなみに24ある部屋全て、死体でいっぱいだそうだ。
 防腐剤の臭いなのか?死体の臭いなのか?分からないが、部屋に足を一歩踏み入れると独特な臭いがして、息を詰まらせる。
 「写真を撮れ」と急かされるが、一眼レフを出してまで撮りたい絵ではない。

 最後に、記帳を求められた。 他の訪問者のコメントを見たが、どれも『don't know what to say...』、『No words』など言葉少ない。 確かにコメントを求められても、何を言えばいいんだ? 「人間は歴史から教訓を学ぶ事が出来ない愚かな生き物だということを、今日改めて感じた」とでもコメントしたらよいのか?
 案内してくれたおじさんが隣で「ビールをおごってくれ」とせがんでくるし、また熱が出てきたようだ。

 斜面にはバナナの木が生え茂り、のんびりとルワンダ人たちが歩いている丘陵の景色に、大虐殺の過去がウソのように思えた。
 でも、部屋の中は死体でいっぱいだった。

 最近、日本でも公開の映画『ホテル・ルワンダ』。 機会があればどこかで観てみたい。

 宿に戻ってから、ルワンダ大虐殺について調べてみたが、大虐殺時にあった2つの事実が、気になった。
 まずはマスメディアの力。 フツ系ラジオ局では繰り返し“ツチ族の抹殺”を扇動し、それに呼応した大人(女性も)や10才の子供までが、ツチ族や穏健派フツ族を殺害・レイプしたそうだ。
 さらにカトリック教会の大罪。 避難場所を求めて教会に逃げ込んで来たツチ族の敵は、実は牧師や修道女だった。 フツ族の牧師が、ツチ族に保護を与えると見せかけ教会に呼び集め、まとめて殺害したそうだ。 これは何も特別な例ではないらしい。
 その結果、首都キガリの通りはバラバラ死体が散乱し、腐りかけた肉の臭気が漂っていたそうだ。

旅の出費
宿代(1泊分): 4,000ルワンダ・フラン
交通費: 2,000ルワンダ・フラン
寄付: 1,000ルワンダ・フラン
タバコ: 60ルワンダ・フラン
外食代: 6,500ルワンダ・フラン
合計: 13,560ルワンダ・フラン(約2,885円)





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